2010/03/06

245【世相戯評】優勝は銀メダルらしい

 まったくもう、新聞の社会面にも第1面にもづかづかと土足で、毎日毎日入り込んできて、本当にジャマであった。スポーツ欄に引っ込んでろよ、オリンピックめ!
 TVは見ないから言いようがないいが、あちらはモットすごかったのだろう。
 なんでこんなに大ニュースなのか。社会面にはなんだか美談調のお話らしい見出しである。中味はもちろん読まない。
 この紙面の感じは、どこかで見たなあ、そうだ、この1年ほど父の戦争史を調べているので、図書館で1931年からの戦中の新聞を見出し読みしてきたのだが、その激戦の報道とソックリである。
 負けているのに勝ったかのような報道は、スケートで韓国と日本の女の子が競った記事である。いや、読んではいないのだが、見出しだけ眺めていると分かるのだ。
 第1面にどかどかと瓜実顔の女の子が出ていて、「銀」、と大見出しである。ふ~ん、この報道量の大きさからしてオリンピックってのは昔は金が優勝だったけど、いまは一等賞が銀で、2等賞が西瓜顔の女の子の金なんだ、、。
 この書きっぷりは、日本軍の大本営発表(戦後になって嘘発表の代名詞になった)鵜呑み記事に、雰囲気がなんだか似ている。 ボロ負けしてもボロ勝ちしたように書かされるのだった。
    ◆◆
 1933年3月3日に、日本の東北の三陸地方で大津波が発生して、1500人以上も死者が出る大災害が起きた。新聞はそれまでは毎日毎日、満州事変が拡大して日本軍が万里の長城を越えて侵攻した熱河作戦記事でいっぱいだった。その日から毎日がこの昭和三陸地震記事(死者1522名、行方不明者1542名)で埋めつくしている。かなりの期間、中国での戦争は脇に追いやられた。
 後の太平洋戦争末期の1944年12月7日に、東海地方で1200人以上の死者が出た東南海地震について、当局は「戦局苛烈な折、国民の士気を阻喪してはならない」と実情報道を禁じた。翌12月8日の朝日新聞は「一部に倒半壊の建物と死傷者を出したのみで大した被害もなく、郷土防衛に挺身する必勝魂は、はからずもここに逞しい空襲と戦う片鱗を示し復旧に凱歌を上げた」とある。
 満州事変時代はまだ少しは健全であったとも言える。
 今はどうか。オリンピックの前に起きたハイチ大地震の記事は、オリンピックになってからぱっと消えさった。
 と思ったら、オリンピック終了直前にチリ大地震である。さすがに1面に載ったが、社会面はオリンピックお涙頂戴記事、次の日からオリンピックがすぐに押し戻した。遊びが災害に勝った。いま、時代は健全か?

033オリンピックが終ったらしい

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