いま排水装置が故障している。前立腺が錆付き膨張しているとて、脱錆薬で修理中だが、順調に機能回復中である。
実はこれと同じことを4年前にもやった。そのときは突然に39度の熱が出て、震えがすごくて立っていられなかった。このときも突発性の炎症で、1か月くらいかかって薬で治った。
わたしは幸なことに大病をしたことがない。もの心ついて入院した経験は2回しかない。思い出して書いておく。
最初は中学生1年生のときで、右腕骨折。校庭で走っていて、丸太で作った平行棒のような遊具に足をすくわれた。
ちょうどその頃、母親もなんだか忘れたが接骨医院に入院していて、わたしもついでに入院した。いま考えると父親は大変だったろう。
2回目は、40歳の頃、ある日駅の階段を登っていたら、突然に左の臀部が痛くなり、歩きにくくなった。
大腿骨の頭と骨盤とのフリージョイント部には、潤滑油のようなものが入っていて円滑に動くようになっているのが、重い荷物をもって階段を駆け上がったので、その潤滑油が切れて骨と骨とが接触したのであった。
実はこうわかるまで1ヶ月くらい、あちこちの医者で見てもらったが一向によくならなかった。鎌倉のS病院でそうとわかって、10日間くらい入院した。
やった治療は、ベッドで寝ていて右足に紐をくくりつけ、その先に錘をつけてこれをベッドからぶら下げておくのである。要するに、骨と骨の間をひぱって開けておき、そこに切れた潤沢油を戻すのだ。分かりやすい治療である。
そんなことは通院でもできそうなものだが、それでは行きかえりでまた元に戻ってしまうから、ベッドにくくりつけておくのだそうだ。
入院配しているが気分のほうは全く問題ないのだから、ワードプロセッサーを持ち込んで仕事をしていた。
大部屋だったので周りの入院患者たちの様子を観察してもいたが、これは面白かった。
骨折して入ってきた80歳の老人は、完全介護の付き添いが何もかにも世話していた。そのうちにしだいに老人はボケが進んでいく様子で、これはちょっとこわかった。
もう何回目かの入院ベテラン中年男がいて、看護婦をこき使っていたのも奇妙だった。次の入院も人生模様のある大部屋がよい。
夕方になると近くの銭湯に行く。胃腸は健康そのものだから、病院の給食を食ってから後がこまる。幸にして銭湯のまん前が酒屋である。カーテンの中で本を読みつつ、ばれないように一人静かにカップ酒を飲むのは、なんとなく禁酒法時代もかくやと、悪くなかった。
退院してからもしばらくは、わが家で足引張りをしていたら、そのうちにどちらの足か忘れるようになった。
入院はその2回だけである。全くもって生命傷病医療保険の料金の払いすぎである。
入院こそしなかったが、現代医学で社治療方法がない難病、奇病にかかったことがある。
この大腿骨頭壊死症、萎縮症の件はすでに別のところに書いた。
●参照→にわかハンディキャッパーは「誤診」だった(2003~06)https://sites.google.com/site/machimorig0/handicapped
奇病といえば、大学2年生のときにメニエル氏病になったことがある。
三半規管が故障して、まっすぐに歩けないのである。例えば、歩道でふち石の上を歩いても、3歩も続かず足が外れる。
原因は分からないままだったが、2、3ヶ月だったか通院を続けて栄養剤の投与をしばらく続けて治った。
これは奇病かどうか分からないが、帯状疱疹で寝込んだことがある。30台の終り頃だったろうか、勤め先の仲間と大勢で山陰の海に泳ぎに行った。
どういうことだった忘れたが、かんかん照りの太陽の下を、裸で3時間ぐらい歩き続けた。そのときは特になんともなかたが、自宅に戻った次の日から、腹と胸を一周してたくさんの真っ赤な粒粒が出てきた。触ると痛くて痛くて肌着も着ることができない。
真夏なのにふわふわ毛布を出してひろげ、その上のそ~っと寝転び、寝返りもうてずに安静にするしかない。あれは苦しかった。1週間ほど寝込んだ。
後で知ったが、もともと体内にあるヘルペス菌が体調がわるいと出てきて発症するもので、帯状疱疹は命に関わることもあるとか。
同年齢あたりの仲間が集まると、どうも病気の話になりやすい。あまり経験がないので話の仲間に入りにくいのが、残念なような、それでよいような。
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