2011/10/23

512路地と小路

 街の中の狭い道が、自動車が通りやすくとか、災害時に消防車が入りやすくとかの理由で、次第に広げられていく。
 昔の道は、人が歩き荷車がとおればよいから、ほとんどの道幅が6尺程度でよかった。街を貫通する大動脈のような数本の主な表通りは広くても、それらをつなぐ毛細血管のような道は細くてよいのだ。

 そこでは子どもの遊び場でもあったし、ちょっと広がったところに井戸があって井戸端会議をする。縁台を出して涼みながら将棋をうったりして、近所つきあいの場でもあった。
 先般、ネパールに行ったとき、カトマンヅ盆地の古都バクタプルを訪ねて裏町を歩いたら、子どもが遊び井戸端会議のある路地が生きていた。

 戦前の都市計画では、便所の汲み取り路として、細い裏道をわざわざつくったものだ。それが生活の道となって今も生きているところがある。東京の銀座にもそのような細い裏道が今も生きている。
 そんな狭い横丁や裏道を「路地」とか「小路」とか、各地で呼び名がちがう。
 いまは法律が4m幅未満の道路を許さない。だから、今も生き残る狭い路地は道路としては違法であるか、または道路ではない街の隙間である。

全国路地サミット」なる妙な名前の会合が、毎年一回は各地で開かれている。今年は、東京都墨田区の向島地区である(2011年10月21~23日)。
 毎回、100人ばかりが全国からやってきて、うろうろとあちこちの狭い路地を歩きまわったあとは、みんなで集まって路地を守ろうと気勢を上げる。もちろん路地裏の飲み屋での2次、3次の会が続くらしい。

 自動車が通りやすいように道を広げてばかりいるが、狭い道がかつて持っていた地域での生活の場としての役割を見直そう、というのが会合の大義名分である。そのいっぽうでは裏路地の飲み屋の保存も大切な目的であるらしい。
 新潟市や諏訪市など、かなり興味深い路地保存運動がされているところがある。行政マンが市民運動として保存運動をしているのも面白い。

 墨田区では、来年の夏にスカイツリーなるノッポ鉄塔ができて、これの見物客がわっと押し寄せる。そうすると路地にも観光客が入り込んでくるかもしれない。
 表通りの商売人は喜ぶだろうが、路地はほとんどが住宅地だから住民は大いに迷惑である。さて、どう考えるか、そんなことが話題になっている。

 だが、住宅地の面白くもない路地に入ってくるのは、物好きだけだろうとおもう。
 もっとも、鉄塔がらみの観光客は年間2千万人と皮算用だそうだから、その0.1パーセントの物好きがいても2万人か、ちょっとした数ではある。

 その物好きのひとりであるわたしは、昨日、向島の玉の井をうろうろしてきた。永井荷風が愛した私娼窟だった街である。
 実は歩いてみても、その名残はなにもないのである。東京下町によくあるありふれた木造建物が密集する住宅街である。

 1923年の関東大震災以来のその下半身商売繁盛の街は、1945年の東京大空襲による丸焼けのあともさらに北に広がって繁栄する。1956年の売春防止法の施行によって幕を閉じた。
 いま残るのはその曲がりくねった細道ばかりだが、これは江戸時代からの遺産で、田んぼの畦道がほとんどそのままに現代に引き継がれているのだ。

 細い路地を通り抜けながら、故郷の高梁小路(しょうじ)をおもいだしていた。
 こちらは江戸期の都市計画の城下町だから、道は曲がりくねるのではなくて直線だが、ところどころに筋替えとなる食い違いがあるのが特徴である。
 向島はまったいらだから、路地の向こうには広い表道に建つビルが見えるが、高梁は盆地の中で小路の向こうには必ず山が見える。ハイデルベルグの路地と同じなのである。

 高梁救助か町にはたくさんの小路があるが、それらの名前のなかでわたしの記憶にあるのは「菊屋小路」と「牢屋小路で」、「森小路」というのがあったような気がする。
 菊屋小路は幅6尺ほど、わたしの生家と母の実家を結ぶ路の一部だったので、よく通ったものだ。両側に蔵が並び、途中で食い違いに折れ曲がる。
 幼児のわたしが、ひとりで母の実家に行くとき、母に必ず言われたことは、菊屋小路からでて本町(ほんまち)通りを横切るときには「左右を見てバスに気をつけて!」
 その本町通りは、なんとまあ狭い道であることか。

 だが、高梁のそのような小路も、自動車が通りやすいように道幅を広げているし、食い違いはまっすぐにしている。時代の要請だろうが、道の先が見え隠れする面白さがなくなって、味気ない風景となっていく。
 せめて道の上に、元の道の形を色違いにして描いて、城下町の記憶のよすがにする工夫をしてほしいものだ。

 菊屋小路は今もあることを先日に確認したが、この道は都市計画によって12mに拡幅されることになっている。
 はたしてそれが必要なのだろうかと思うが、わたしのノスタルジック小路は、さて、いつまであるものやら。
 牢屋小路はいまもあるのだろうか。

0 件のコメント: