(このエッセイは、雑誌「本の雑誌」に投稿して2011年11月号に掲載された)
小中学生のころは戦争直後で、本が無かった。あちこちの大人の本棚をあさったので、戦前の漱石とか日本古典の全集もあったが、戦後のカストリ雑誌も読んだ。
貸し本屋が流行っていて、少ないお小遣いで探偵小説を借りたものだ。わたしには大人用の江戸川乱歩が先だった。
勤め人になって自分の金で本を買えて嬉しかったが、狭い家ですぐに困って、本棚の空きと相談して買うようになった。
50歳でフリーランスとなって、東京に仕事場と平日泊りの部屋を借り、鎌倉の自宅は休日用にした。3ヶ所あればもう置き場に困らないと、本買いが止まらなくなった。
そして20年、仕事をやめて大量の本の処分に窮した。古本屋に売る気にならず、知人たちにあげたり、イベントに無料お持ち帰りをと出したりした。たくさんの「本の雑誌」、「東京人」(坪内さんのころか)、「季刊銀花」なども同じ運命。
なんとか整理して自宅だけにしたが、ついつい本買いが止まらない。だがいまや本棚も年金家計も限界である。
そこで去年から、近くの市立と県立図書館の積極活用で、本買い停止と決めた(あ、「本の雑誌」だけは買ってます)。
近頃の図書館員は若い美女が多くて、「どうぞこちらへ」「ありがとうございました」なんて、町の本屋並みに親切、もっと前から利用すればよかったなあ。
蔵書量増加は止まったが、机上のPCの中のデータはどんどん増えていく。これは置き場に限度は無いが、難点は整理しにくいことだ。
本は版型や色を視覚で記憶しているから、たとえ名前がわからなくても、ほぼ間違いなく見つけられる。PCデータは名前でしか記憶できないので、歳とともに名前を忘れるから行方不明が増加する。もっとも、棚の蔵書と同じく、保存してから一回も見ないデータがけっこう多いのだが。
さて、自分の蔵書が増えなくなったので、他人の蔵書を増やしてやる趣味をはじめた。PCの中にあるわたしの著述類を机上で編集して、「まちもり叢書」と名づけて十数種類、これを装丁・印刷・製本して手製ブックレットにする。
いやとは言わせないように、わたしの遺言だから受け取ってくれと、知人たちに配っている。ただいま延べ発行部数105冊。(伊達美徳・都心隠居74歳・横浜市)
(この投稿に対して本の雑誌の浜本編集発行人のコメントがついている。曰く「なにはともあれ、本誌だけは購入いただき、ありがとうございます」)
●参照→まちもり叢書
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html
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