2011/10/11

506濃縮核毒と共に生きる

 どうもわからない。原発から降ってきた核毒を、地上から取り除く「除染」である。
 おなじことを何回も考えては書いてしまう。
「消染」ならわかるが、除ってのはとり除くだけで、染まった核毒が消えるのではない。消すことができないらしい。
 だから、ここからとり除いた核毒は、何十年か何百年か知らないが、あいかわらずどこかにあるのだ。
 しかも、除染作業によって集めた核毒ゴミは濃縮されたことになる。除染濃縮核毒である。

 そんな濃縮毒物質をどこか最終処分場にもっていくまで、あちこちの中間貯蔵場に積んでおくらしい。右にあった毒を左に置くだけである。
 で、その中間貯蔵場は、あたりまえなのことに、だれもがNIMBY(NOT IN MY BACKYAD)である。東電からの贈り物なんか、うちの裏庭においてほしくない。
 だからわたしはITNPY(IN TODEN NUCLEER PLANT YARDS)しかないと思うのだが、誰もそういわないのが不思議である。
 
 そこで更に思うだが、もうものすごく核毒降り積もる東電福島第1原発の周りの除染はどうするのだろうか。
 あ、そうだ、原発そのものの除染はどうするのだろうか。ものすごい毒性でものすごい量のゴミが出るだろう。どこかに持っていくなんて常識はずれだ。
 考えてみると、原発を要としてひろがる核毒扇のどこまでを除染するのだろうか。
 その除染超濃縮核毒汚染ゴミを、常識的には持っていくところがあるはずがない。
 それなのに、中間貯蔵場とか最終処理場とか言う。そもそも処理できるものなのか

 わたしたちは核毒と共に生きていくしかない、いや裏庭の核毒に埋もれて死んでいくしかない、思えば思うほどそうとしか思えないのである。

 除染、除染とこのところ騒がしいが、多分、除染産業なるものがおきるだろう。いや、もう起きているだろう。
 福島の産業の再生は、除染産業がになうことになるだろう。そして除染科学が地域に学問を興すかもしれない。
 それは原子力産業が支える地域の、もうひとつ姿である。
 それは核で生きてきた地域の悲しい宿命である。
 福島のほかにもその宿命を背負う候補地があることを、忘れてはならない。

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