2012/01/15

571思い出エッセイ「杖」

六十五歳の夏のある日、左の尻の中がなんだか痛いなあと気がつき、次第に痛みが進んで左脚を引いて歩くようになりました。かかりつけの町医者は神経痛というが、どうもおかしい。
 近くの大病院で見てもらったが、ここも中年の女医が神経痛だろうとて、電気ビリビリみたいな治療をすれども、一向に直りません。

 そこで、MRIとか骨シンチグラムとかなんとかの徹底的な検査漬けでわかったのは、「大腿骨骨頭壊死症」なる厚生省指定の難病の宣告でした。
「これは原因不明で治療方法はない難病、股関節をつくる大腿骨の頭が腐って行き、ボロッと崩れて歩けなくなる。手術してチタン合金製人工骨に取替えしかない。手術は今すぐでもよし、歩けなくなった時でもよい」

 えっ、それって美空ひばりが晩年に罹った病だったなあ、わたしも大スター並みか、いや、しゃれている場合ではありません。
 あまりのことに、セカンドオピニオン(実態的には3度目)を求めて大学病院に行きました。
 でも若い男の医師の診断は変わらずで、そこの難病医療センターに隔月検査に通う患者となりました。

 脳力なくても脚力には自信あったのになあ、罹ったものは仕方がない、どうせやるなら体力ある今すぐ手術でチタンマンになるか、でもそのうち新治療方法がでるかもなあ。
 楽観的覚悟で成行きにまかせることにして、仕事場にも出張先にもそれまで同様に出かけます。
 道を歩くのは、まあなんとかなりますが、つらいのは電車や新幹線あるいは行列での立ちんぼでした。じっと立つのがつらい。

 息子がお見舞いの杖を持ってやってきました。
 なんと百円ショップで買ったという。それまで杖を使うことを全く思いつかなかったのですが、安上がり親孝行に応えて初の杖突き歩行です。
 でも、自分の脚を自分の杖に引っかけて転んで、こんなもの役立つのかよ。

 ところがすぐに分ったのは、水戸黄門印籠効果のすごさです。
 行き交う人が杖を見て、ササッと横に避けてくださるのです。特に、当たられると怖い階段ではありがたい。エレベータでも先を譲られる。
 通勤電車や新幹線では誰もが席を譲ってくださる。特に若い女性が多い、いやホント。
 この百円杖は、人を優しくさせるオーラを発するのです。時には座席の若者を居眠りさせる逆オーラも出すらしい。

 杖突き同志が出くわすと、互いに相手の痛み度合を心中で測定し、こちらが軽いと負けたッと、先を譲るのも絶妙な気分です。
 わたしもそれまで席や道を譲ることはしましたが、譲るのはその場限りの行きずりなのに、譲られる側になると身と心に沁みるものがありました。
 単にありがたいと思うだけでなく、見知らぬ間柄でも世代を超え場所や時間を変えても、人には互いに助け合う暗黙の約束事があり、今それを果たしあったと感じる達成感なのです。
 つまり、普段は潜在する約束事の作動装置が世にあり、それが杖でした。

 そうやって半年、痛み軽減型杖突き歩行術に熟達してきました。
 ところがどういうわけか、その頃から痛みが薄らいできて、杖無しでも平気なのです。
 でも、不治の難病という宣告ですから、突然の骨頭崩壊に備えて常に杖と同行の日々です。それなのに、出先にたびたび置き忘れて、気がつくと手ぶら。
 まさか治ったせいかしら、いやボケでしょう。

 やがて一年、大学病院の人事異動で替わった中年の医師が4度目のオピニオン、X線写真を見て言いました。
「これは大腿骨骨頭壊死症ではない、骨頭萎縮症という珍しい病気で、中高年や妊婦がかかるが、しばらくすると自然に治る。念のため半年後に診察します」

 えッ難病じゃなくて珍病なの?、治るの?、妊婦じゃないよなあ、では痛くないのは治ったんだよ、やっぱり。
 本当ですか先生、じゃあ誤診だったの?、もしも手術してたら早まった手遅れなの?、なんて聞きたかったけれど、医者の気が変わったり、別の病名宣告されると怖いので、余計なこと言わず早々に退散。
 どうにも緩んでくる頬をしきりに引き締めつつ、この一年つきまとった頭上の暗雲を杖を振り回して払い退けながら、家に駆け戻りました。

 半年後に無罪放免となり、今はあのとき知った暗黙約束作動装置を、杖以外にも見逃さないように心がけています。
 わたしのインタネットサイト「まちもり通信」にこのいきさつを書いたら、たまに同病になった方から、相談のメールをいただくことがあります。
 誤診だったのですから、治療でお役に立つことがいえるわけではありません。でもお見舞いくらいはその人の身になって言えるのがちょっと強みです。これも暗黙約束のひとつでしょう。

●参照にわかはハンディキャッパーは誤診だった

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