2015/03/23

1071歌劇「オテロ」を観てきたが実は歌劇「イアーゴ」だなこれは

 久しぶりのオペラ見物、ヴェルディ作「オテロ」、原作はシェイクスピア、はじめて観た。
 音楽の展開は面白かったが、ストーリー展開は「?」の感だった。もっとも、歌劇や能楽のストーリーについてマジメに考えると、どれもバカらしくなるから、それはよしとしよう。
 目と耳が楽しければよいというのが、オペラだろう。 

 第1幕の初め、オテロが嵐の中を船で凱旋してくる。ようやく上陸して最初の言葉が、憎い回教徒を海に沈めてきた、という。
 おいおい、いまどき、それを言うのかいって、しょっぱなで現実に戻ってしまった。
 近ごろは回教徒とは言わないから、原語(イタリア語)はイスラム教徒となっているのを、字幕ではわざと回教徒としたのだろうか。
 
  このオテロが、いとも簡単にイアーゴに騙されて妻を殺すという筋書きを、なんとも理解できない。これまでも誰もがそう思うらしく、そのことでパンフレットに解説が書いてある。
 それによると、実はシェイクスピアの原作にあった第1幕を、ヴェルディのオペラではカットしているのだそうである。
 そのカットした原作の第1幕では、オテロの出自がネグロイドのイスラム教徒であったのが、キリスト教に改宗し、底辺から出世してコーカソイドの貴族の娘デスデモーナとの恋を実らせたことによる、社会的摩擦と個人的苦悩の根源が語られているそうだ。

 このオペラの主題は男の嫉妬だが、実はその裏には宗教や人種問題が潜んでいるのであった。だからいきなり、回教徒撲滅が出てくるし、主役ひとりだけがネグロイド人種のムーア人で、ほかはみなコーカソイドなのである。
 もっとも、わたしは原作を読んだことはないから、19世末のヴェルディや原作者の17世紀初のシェイクスピアが、宗教や人種に関して、今日的な意味で問題と考えていたかどうかは知らない。後世の解釈かもしれない。

 カットされたシィクスピアの第1幕を知らないと、オテロのあまりにもおバカな行動が、なんとも理解できない。
 つまり、このオペラをつくった1887年の頃は、これを観る人たちは17世紀初のシェイクスピア劇を、すでに知っているという前提で制作されているのだ。
 おや、能と同じだな。連想したのが、日本のオペラともいうべき能楽である。わたしはまたもや能楽を観る眼でオペラを観ることになる。

 多くの能は、それが作られた頃には古典文学になっていた源氏物語、平家物語あるいは伊勢物語について、観客は既に知っているという前提で筋書きできている。古典文学を知っていないと面白さが半減する。このオテロの場合と同じである。
 突然に思い出したのは、わたしは10年以上まえのこと、「オセロ―」という新作能を観世能楽堂で見たことがある。内容を忘れたが、観世流の津村礼次郎がシテを演じたような気がする。

 戻ってからオセローと津村をネット検索したら、津村禮次郎のサイトには、次のようにある。
・1991年に新作能「オセロー」(上田邦義能原案・津村禮次郎作能)初演
 ほかには、「英語能・シェイクスピア能・現代口語能」のページに次のようにある。
・平成4年10月(1992年) 公演「新作能・オセロー」(日本語)作・演出(初演)(宝生能楽堂 主催:朝日新聞社。観世流緑泉会公演、シテ・津村礼次郎。能楽師による我が国最初のシェイクスピア能公演。
・平成12年6月15日(2000年)、『能:オセロー』シテ:津村禮次郎、アイ:野村萬斎
 初演が1991年か92年かわからない。またべつに、宝生流で2014年に初演ともある。
 わたしが見たのは2000年だろうか。狂言方の萬斎がイアーゴとして登場したのが面白そうだが、覚えていない。

 能ならばどうするだろうかと思いながら、オテロの舞台を見ていた。
 群集劇の場面が、その動作や衣装の多様さが眼では面白いが、視覚が散漫になってどこでオテロやイアーゴが歌っているのかわからない。
 能ならば、シテのオテロとワキのイアーゴの歌唱に、地謡が群衆の歌を謡うだろう。そう思いながら、舞台をみていた。

 舞台装置も視線を散漫にさせるが、ちょっと面白い装置ではあった。完全なるリアリズムでもなく、かといって抽象でもない。よく見ればかなり具象であり、同じ装置を演技中の舞台上で動かして場面転換する。
 そして中央には8角形の置き舞台があって、ここが演技中心であることを示している。

 置き舞台は能舞台だとすれば、周りに立つ装置が煩瑣なのである。同じ装置を向きを変えて使いまわしするから、場面が転換しても視覚では転換前の印象を引きずってしまう。
 これが能ならば、わずかな作りものはあるばあいもあるが、舞台装置を観客の頭のなかに作らせるから、もっと自由に観ることができる。但し、それには演者も観客も技量と努力を要する。
 吊り橋のような装置を上げ下げして出入り場面があったが、これは能ならばまさに橋掛かり演出で、実に効果的になるのになあ、と思った。

 このオペラの主役は、実はイアーゴだなと思いつつ観た。ただし、これはストーリーの上でのことで、観た舞台のイアーゴの演技は、なんとも脇役級であった。
 イアーゴを主役にして宗教や人種問題を主題に据えた演出の、オペラ「オテロ」ならぬオペラ「イアーゴ」を観たいものだ。
 たぶん、既にどこかにあるような気がする。

 3階席の一番上手の一番前の席で6000円、よく観えよく聞こえて、値段の割にはよい席だった。
 しかし、今回つくづく思ったのは、上階の席への出入りには、これからだんだんと苦痛になるだろうということだ。客席階段の蹴上げは高いし、踏み面の幅は一様でないから、けっこうヨタヨタしてしまった。まあ、運動というか、リハビリテーションにはなった。
 年とると安い席に行けなくなるなあ、そうか、能楽堂に年寄りが多いわけがわかったぞ、だって、あそこは平土間席ばかりだもんなあ。


神奈川県民ホール開館40周年記念
神奈川県民ホール・びわ湖ホール・iichiko総合文化センター・東京二期会・神奈川フィルハーモニー管弦楽団・京都市交響楽団 共同制作公演
ヴェルディ 歌劇「オテロ」全4幕
新制作/イタリア語上演日本語字幕付
公演日時: 2015年03月21日(土)~2015年03月22日(日)
指揮:沼尻竜典
演出:粟國 淳
装置・衣装:アレッサンドロ・チャンマルギ
照明:笠原俊幸
音響:小野隆治
合唱指揮:佐藤宏
舞台監督:菅原多敢弘
出演:21日/22日 
オテロ 福井 敬/アントネッロ・パロンビ
デズデモナ 砂川涼子/安藤赴美子
イアーゴ 黒田 博/堀内康雄
エミーリア 小林由佳/池田香織
カッシオ 清水徹太郎/大槻孝志
ロデリーゴ 二塚直紀/与儀 巧
ロドヴィーコ 斉木健詞/デニス・ビシュニャ
モンターノ 松森 治/青山 貴
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団、赤い靴スタジオ(児童合唱)
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

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