静岡に行ってきた。このたびは地元の商店街の経営者の人たちや、静岡の都市プランナーたちと一緒であったので、わたしはなにも知らない静岡の歴史について学ぶことが多かった。
そのなかで、特にわたしの無知が恥かしいが、この街は徳川家康で持っているのであった。
徳川家康というと、静岡あたり出身であるらしいことは分かるが、やっぱり江戸でしょうよ、と思っていたのだ。
ところが征夷大将軍をたったの2年で退いてからは大御所といわれて、静岡つまり駿府で10年間も実質的に政治の実権をもっていたののであった。天皇家ならば院政である。
江戸初期の静岡は、日本の政治中心であったのだ、と、静岡の人たちは思っているようだ。
浅間神社商店街できいた歴史的な話にも、徳川家康、金地院崇伝、林羅山などが地元の人として登場するのである。徳川様の町である。
家康号、竹千代号という名のボンネットバスが、浅間神社商店街を走っている。
徳川家といえば、徳川慶喜は敗軍となって静岡に蟄居したが、このとき江戸から観世流能役者たちが家元ともども静岡に移った。
おなじように学者も移って来て、「静岡学問所}ができたそうである。
ほかにもその時代の一流どころが移ってきたすれば、維新前後の静岡は一時的にせよ、日本でもかなり高い文化的状況であったのだろう。
それは今の静岡に続いているのだろうか。
●参照→◆静岡:門前町の盛衰ー静岡の街並み(2010.06)
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