若い頃に訪ねて印象深かったところを、もういちど訪ねて、わが人生を振り返るのである。振り返ってどうするってことではないが、まあ、身体能力の差を明確に確認することはできる。
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信濃から越後へと1週間の旅をぶらぶらとしてきたが、その中で日本アルプスの登山基地である上高地を訪ねる感傷旅行をした。
半世紀以上も昔になったが、大学山岳部の春合宿で、初めて上高地に入り、帝国ホテルに泊まった。といっても積雪期はホテル営業はしていないし、たとえ営業していても学生が泊まれるところでもなかった。泊まったのはホテル管理人の家であった。登山者たちを泊めてくれていたのだ。
その後、いつの日か上高地帝国ホテルに泊まりたいと思っていながら、いまだに果たせていない。それで今回は遂にその宿願を果たした。というのは嘘で、松本駅前のビジネスホテルに泊まっての日帰りであるのが、情けない。
上高地までバスで行き、帰りのバス時間を決めておいて、その間で行き着けるだけ行って戻ってくることにした。
なんだか東京繁華街並みのにぎやかな河童橋あたりを抜けて奥へ奥へと歩き出す。
昔々、初めて上高地に入った山岳部合宿のときは、西穂尾根に登って西穂高岳まで行く予定は、尾根の上で吹雪の日々が続いてテントに閉じ込められて敗退した。もちろん島々から重い荷物を背負って雪道を徒歩で往復である。
次の年の夏は剱岳から縦走してきて、横尾にテントを張って屏風岩を登攀した後に、歩いて上高地に下り、更に歩いて島々まで下った。
その秋だったか、島々から徳本峠を越えて上高地に入り、涸沢でテント生活数日、北穂高岳滝谷の岩場登攀、奥穂から槍ヶ岳に縦走して帰ったこともあった。
それが今ではもう下から眺めて、それらの思い出を心の中で反芻するだけの、センチメンタルジャーニーである。もし次のチャンスがあるならば、せめて横尾から屏風岩の下まで行って見たい。往復20kmを超えるが。
その秋だったか、島々から徳本峠を越えて上高地に入り、涸沢でテント生活数日、北穂高岳滝谷の岩場登攀、奥穂から槍ヶ岳に縦走して帰ったこともあった。
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