昨年4月にこのブログに「118父の遺品の蛇腹写真機」を掲載した。
それをご覧になった方からメールをいただいた。承諾を得てその一部を引用する。
「ご尊父の遺品のカメラですが、戦前に私の祖父が経営していた山本写真機製作所の製品の錦華ハンドカメラに間違いないと思います。1933年ごろの製品です。神田小川町に所在し、近くの錦華公園に因んでKINKAと名付けたようです。山本」(抜粋)
おお、そうであったか。「日本製だろうか」と書いたけど、れっきとした国産であったか。身元がわかって嬉しい。
さっそくウェブサイト検索したらCamerapediaというサイトがあり、そこにKinka plate foldersなるページがある。はじめのほうにこう書いてある。
「The Kinka (錦華カメラ) 6.5×9cm plate folders were made in the early 1930s by Yamamoto Shashinki Kosakusho. One source says that they were released in 1931. The company later made a number of other cameras under the Kinka brand: see Kinka Lucky, Kinka Roll and Semi Kinka.」
これによると錦華カメラは、1930年代に山本写真機工作所が製造販売したらしい。
そこにカメラ雑誌の「アサヒカメラ」1932年6月号に載っている広告の画像があるので引用した。
このFAMOSEを辞書を引いても分からないが、FAMOUSの書き間違いだろうか。
父がカメラを買ったのは、多分、初めての子が生まれた1935年だろうから、山本さんのメールにある1933年ごろの製品とすると年代的には合う。
ここに載っているカメラと父のカメラとは、形はソックリだけど、部品はちょっと違うようだ。
父のカメラのレンズは、Munchenとあるからドイツ製らしいが、シャッターはELKA T.B.C.T.とあって、Camerapediaで調べると製造所はよく分からないが日本製とある。
値段もわからないが、広告にあるものと大差ないとして30余円だろう。
物価の差を調べてみると当時の葉書が1銭5厘、今は50円だから3333倍、とすると30円の3333倍は10万円か、高いようにも思うが、今と違ってカメラは珍しい頃だからそのようなものだろう。
父はどのようにしてこれを買ったのだろうか。昔、高梁の新町に写真機店(店名を忘れた)があったから、あとあと乾板を買う必要もあるからそこで買ったのだろう。
現像と印画は家でやっていたようだ。薬や印画紙がたくさんあったが、少年のわたしが玩具にして露光させてしまった。
なんにしてもインターネット時代はすごいものである。普通なら古物写真機マニアにしか分からないことが、こうやって分かるのだから。
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