●記念日とは
天然現象から1年という日月が流れたことに物理的には何の意味もない。しかし、人間は時間という文化を発明して、人生を区切る癖がある。身近に事件が起きると地球が太陽を一回りしたときをもって意味づけをしようとする。
もっとも身近な例が誕生日である。誕生日は誕生した日の1日しかないはずが、それから毎年同じ月日を誕生日記念日として、これを誕生日という。
同じように死んだ日を命日という。命が尽きた日のことを省略して命日というようになったのだろうか。
その命日が1万9千も重なった日が、2011年3月11日。東日本大震災から今日で1年が過ぎた。
毎日どこかでだれかの命日がたくさんあるのだが、同じ日にこれだけの数が、ほぼ同じようなところで、ほぼ同じ原因で命日が発生するのは珍しいから、それを思い出す行事を共同でやりたいと人間は思うらしい。
1923年9月1日、1945年3月10日、1995年1月17日、2001年9月11日、そして2011年3月11日、これらがわたしが記憶(体験ではない)している大量命日である。
昨3月10日の命日を共同で思い出す行事を誰かしたのだろうか。
10万人以上がいわば虐殺の人災で死んだ日なのだが、人間は忘却する能力もある。2万人の1年、10万人の67年、この差は何を物語るのだろうか。
●犠牲者とは
震災で死んだ人たちを「犠牲者」というのが気にかかる。
犠牲とは何かのために何かを捧げることである。野球に犠牲バントというがある。塁に出ている走者を進めるために、打者が自分がアウトになるのにバントをするのである。これは打者が走者のために犠牲になったと言える。
では津波で死んだ人は、だれのために犠牲になったのか。中には誰かを助けて命が尽きた人もいるだろう。それはそれぞれ個別の犠牲者である。
しかし、どことかの町は何千人の犠牲者とか、震災の犠牲者は全部で19000人とか言うのと、生き残ったもの全部が死んだ人に助けられたことになる。
これでは生き残ったものはだれもが負い目を持って生きなければならない。たまったものではなかろう。
軽々しく犠牲者といっては、生き残った人たちには気の毒だし、本当の犠牲者には失礼になると思う。
●中間貯蔵とは
中間とは、出発点と終点との間のどこかを言う。
出発点では、福1原発が発射した放射性物質が福島県内外に降ってその地域のあらゆるものを汚染させた。
しょうがないから、その核毒汚染したもろもろを集めて廃棄せざるを得ない。
で、中間点として、その汚染廃棄瓦礫塵芥類を、福島県双葉郡内に設ける中間貯蔵施設に集めるそうだ。大量凝縮核毒捨て場である。
その土地が降り積もった核毒で使えなくなっているのだから、これはやむをえないだろう
そして問題は、終点である。30年以内にそれらを県外のどこかの最終処理施設に移動するのだそうだ。
はたして県外にその大量核毒を引き受けるところがあるだろうか。だれでも沖縄の普天間基地移転騒動のことを思い出すだろう。毒に汚染されていない地域を、あらためて毒で汚染するのである。
中間貯蔵とは言いながら、多分、最終捨て場にならざるを得ないだろう。そう、「核毒の森」となって。
●ふるさと放棄の政策も
震災は社会のトレンドを10年くらい後押しするものだと痛感したのは、2004年の中越震災復興支援で、中越の山村に行くようになってからだ。
昨年の大震災もまさにそうである。被災した各地で人口が激減しているが、10年後に起こる予定が早まっただけである。
問題は、突然の進行だから、対応できないということだ。いや、突然の進行でもない日本各地での人口減少に対応できていないから、なおさら問題である。
問題となる根本は、自然現象とでも言うべき人口減少に対抗しようとすることである。
だから、ある人口減少地域から、都市へと移住すると後に残るものから冷たく見られる。
地域に残らせるための政策はいろいろ振興策としてあるけど、地域から出て行くための政策はない。出て行くものは、やむをえなくても自力でがんばるしかない。
なんだかおかしい。いまや出て行くことが主流になりつつあるのに。
人口減少してもハッピーな社会、出て行った先でもハッピーな暮らしをできる政策のほうが今は求められているはずと、わたしは思うのだ。
積極的に「ふるさと放棄」の政策はないのか。そう、遠い別の地につぎなるハッピーな「それぞれのふるさと再建」をするのである。
災害にあったその地でふるさと再建こそが第1だとする政策では、他に移ったものにはやりきれないだろう。
これは去年の大震災で背中を押された日本社会で大きな課題として、あぶりだされなければならない
参照→地震津波火事原発
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#jisin
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