ことしも法末集落の小正月行事「賽の神」と「初釜茶会」に行ってきた(2013年1月14日)。
「賽の神」はこのあたりの昔から伝わる年中行事のひとつで、日本各地で「ドンド焼き」とか「左義長」あるいは「三九郎」と言われる小正月行事である。
●真っ白な法末集落
●私たちの拠点「へんなかフェ」は雪の中
集落の中心部にあるキャンプ場の雪の中に、笹の葉がついたままの青竹を2本立てて、その周りに稲藁やマメガラを巻きつけて、藁でぐるぐると巻いて高さ6mほどの塔にする。
藁やマメガラは、この日に備えて各家に保管してあり、各自が背負って持ってくる。わたしたちも稲刈りの時にとっておいた藁束を納屋から出して運んだ。
塔の正面と決めたほうに、正月飾りやしめ縄類を塔にぶら下げ、その手前に雪で祭壇をつくって、お神酒や肴を供える。
雪の降る中、ここまでを午前中に集落の男衆10数人があつまってやるのだ。毎年のことで、その協力の仕方も要領がよい。
●できあがった「賽の神」の前でわたしの喜寿記念撮影
雪は降りやまないが、午後1時から行事開催、60人くらい集まってきた。
このうち集落住民は4分の1くらいだろうか、それぞれの子や孫がこの日のためにやってきたのだ。めずらしく子どもの声が聞こえる。
わたしたちは、毎年バスを仕立てて関東からやってくる。今年は15人がやってきた。中越大震災の翌年の2005年以来、毎年やってきている。
今年は巳年なのでその年男や年女が、その塔の根元に火をつけることから行事が始まる。でも神事はない。昔はあったのだろうか。
お神酒を祭壇から下げて、紙コップで参加者に配り、最長老94歳の正平さんが音頭をとって、祝唄「法末天神囃子」をみんなで歌うのも恒例である。
正平さんはあい変わらぬ元気ぶりである。この人は太平洋戦争の悪名高い負け戦インパール作戦に参加した、数少ない生き残りである。
燃え上がる藁から黒い灰が落ちてくる。これをコップ酒に受けて、藁の火であぶったするめや餅を肴にして飲めば、今年は無病息災。
久しぶりの出会いの挨拶などしながら、降りしきる雪の中で、突っ立ったままの宴会は続く。
子どもはみんな宴会に飽きて、そばの雪の斜面を登り滑りを繰り返して歓声を上げている。この集落で子どもの歓声を聞くことはめったにないから、大人たちも嬉しくなる。
●「賽の神」は燃え上がる。
1時間ほどで、藁の塔はくずおれて燃え尽き、今年の賽の神もお開きである。まだ雪は降りやまない。
さて次は、会場を屋内に替えて「初釜茶会」である。ぞろぞろと会場のやまびこ食堂に集まる。本式のお手前で立てた抹茶をいただくのである。
集落の人々が神妙なお手付きでお茶いただく様子は、賽の神の陽気な気分と対になって、なかなかに法末らしい小正月の雰囲気を醸し出している。
茶会は法末の新しい年中行事である。中越大震災の翌年に「復興見守り隊」として入った国際女性建築家会議日本支部(UIFA)のメンバーが始めたのである。
初釜茶会は、いまではもう法末の年中行事に定着した感がある。
わたしが乗ってきた貸し切りバスは、じつはUIFAのお茶会担当が法末に行くために出したので、それに便乗したのだ。
おわって17時ころにバスは出発して帰途についた。
ところがこの日、関東地方も北部から南部まで思わぬ積雪だそうで、交通路線は大混乱、かなりの渋滞が予想されるので覚悟せよとのこと。
高速道路は閉鎖で、雪の一般道を南下するが、2時間近くたっても新潟県を抜けられない。このままだと東京着は、夜中の2時か3時ころとの予想である。
そうなると東京からまだ南下するわたしは、電車が無くなってしまう。タクシー料金と新幹線代を比べ、さらに体力も考慮して即座に決断、越後湯沢駅で新幹線に乗り換えることにした。
意外にもこの判断をしたものは15人中の3人だけ。なんだか仲間を置き去りにして逃亡する気分であったが、残る方もそれなりの判断であろう。
わたしたち逃亡組は21時30分には東京駅に着いたのだが、後で聞いたらバス組は、やはり練馬ICを降りたのは午前2時ころであったという。
そこから先もタクシー探し騒動やら、都心仕事場泊り込み始発電車帰宅やらと、大変だったらしい。
それはそれで貴重な体験であるが、年寄りにはつらいから、われらが判断はよかった。
それにしても豪雪3mで平然としている法末から戻ってみると、こちらは10cmで豪雪騒ぎであった。
関連サイト
●法末集落の四季
●中越山村の暮らし
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