ただ今の安倍政権は、日本にインフレを招く経済政策を採用するのだそうである。
インフレね~、インフレというとまず思い出すのは、1940年代後半の太平洋戦争直後のころである。44年から49年までの消費者物価はなんと100倍になったそうだ。 今持っている1万円が10年後には100円になるのか、。
わたしが大学生の1950年代の後半、山手線の1駅は10円、今は120円かしら、半世紀ほどで12倍である。10年で100倍はすごいものである。
戦争直後インフレ時代に小学生だったわたしは、家計のことはわからないが、義務教育費は無料ではなかったから、父母がわたしにもたせる教科書代や給食代などに悩んでいた。
なにしろ毎日物価がどんどん上がるのである。持って来いという教師も悩んでいただろう。
対策として新円切り替えというのもあった。新札を出して旧札を使えなくするのである。その効果は知らない。
戦後すぐの大改革に農地解放があった。大地主が小作人に耕作させている農地を、政府が強制買い上げして小作人に売り渡したのである。わたしの生家の神社の農地がまさにその対象になった。
いくらで買い取られたか知らないが、年賦で支払われる債券(というのだろうか、切り取り式切符のようなもので、毎年の支払い額が書いてあって、銀行に持って行って現金に替えた)は、大インフレでたちまちにして紙くず同然となった。
戦後は小作米が入らなくなって、その日の食うのにも困った。神社境内は芋畑になった。育ちざかりの息子3人を抱えて、親は大変だったろうと思う。
この農地改革とインフレが、腹ペコ少年だったわたしの戦争への恨みになっている。食い物の恨みは怖いよ。今、その農地は住宅地になっている。
長じてのインフレ記憶は、オイルショック後1974年の狂乱物価である。あまり実感がないのは、食い物の恨みになっていないからだろう。
ブラジルは今は安定した経済の国になっているが、1980年代半ばからの10年ほどはものすごいインフレ国であったそうだ。
わたしが訪ねたのは1990年で、インフレ時代の低額の紙幣は、1枚では紙くず同然で使いものにならない。そこで20枚とか50枚とかまとめて丸めてゴムひもでくくり、まるで硬貨のように通用していた。中身枚数が足りているかどうか誰も気にしないのが、おかしかった。
ドイツでは第1次世界大戦後に猛烈なインフレで、日常の買い物もベビーカーに札束を載せていったとかいう話がある。
さて、今日ただいま日本はインフレ政策だそうである。庶民にはインフレは生活の恐怖としての記憶しかないから、え~、なんでインフレ~なの~?、ってなもんである。
物価上昇に収入が比例すればよいけど、そうじゃないとどうすればいいのか。
さしあたりの心配は年金額である。2か月ごとの年金の受取り時点の物価上昇に合わせて上昇してくれるんでしょうね。でもねえ、どうせ役所仕事の常として手続きは1年遅れになるんでしょ。このギャップをどうしてくれる。
インフラストラクチャ強靭化とて金をかけるし、インフルエンザは流行するし、インフレーション進行に力を入れるし、あと残るはインフリとインフロ、ってか?
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