2013/01/30

712日暮里富士見坂から半身不随の富士山と満身創痍の都市風景が見える

 東京日暮里に富士見坂なる名前の場所がある。
 その名の通りここから、まだ富士山が見える。でも、そのうちに見えなくなる予定であるらしい。富士見坂と富士山との間にビルが建つからである。

 その富士見坂に、今日、大勢の見物人がやってきたそうだ。
 ここから見る最後になるかもしれない富士山頂上に沈む太陽を見るためである。まったく暇な物好きな人が多いものだ。
 なにもわざわざ日暮里まで行かなくても、太陽は毎日沈んでいるのだから、毎日どこかで富士山頂上に沈む太陽を見ることができる。今日に限らなくってもよさそうなものを。

 なんていうと怒る人がいるだろう、何をバカなことを言っておるか、富士見坂から見るから価値があるのだと、。
 でもね、「山あて」の道や坂はどこにでもあるよ、ここだけじゃないと思う、富士見坂ってのは、。
 で、ウェブサイトを見たら「東京の富士見坂」というのがあった。
http://www.t3.rim.or.jp/~kuri/fujimi/
 ここにも物好きな人がいて、都区内18か所の富士見坂を訪ねて、富士が見えるかどうかを確かめている。
 なんと富士山が少しでも見えるのは、たったの3か所だそうである。

 つまり日暮里の富士見坂におおぜいのヤジウマがやってきたのは、坂の名前に由来する風景が見えなくなるという噂に、ちょうど今日が太陽がてっぺんに沈むという現象とが重なった貴重なチャンスということだろう。
 で、その富士見坂から富士山をみえなくするビルが建つことに関しては、その眺望の消滅を惜しむ人たちにが建設反対運動を粘り強く続けているらしい。
 今日、ダイヤモンド富士を見に来た人たちは、もちろん、ビル建設反対運動をしているのであろう。

 ただし、そのビル建設を法的規制することは不可能だろう。今すぐできることは、だれか奇特な金持ちがそのビル用地を買い取ることしかなさそうだ。
 そのような奇特な人がいたとしても、富士見坂から富士山まで視線上にある土地あるいは視線を妨げる範囲の空中権を全部買い占めなければ、今後も同じことが起きるに決まっている。
 では、法的制限方法はあるか。都市計画でそれを決めることは法的には可能である。
 ただし、その制限受ける範囲の地権者や関係市町村の市民の意見も聞かねば決められない。さてそれは、どれだけのおおぜいになるのだろうか。

 ほかの富士見坂でも、こんな富士山夕陽見物とか眺望消滅反対運動が起きたのだろうか。それとも、誰もなにも言わなかったのだろうか。その違いはなんだろうか。
 かつての高度成長バンザイの貧乏な時代を抜け出て、景観にも目を向けるよう豊かな時代になったということだろうか。

 だが、それもなにかおかしい。日暮里の富士見坂から富士山の方向を見る風景写真は、ウェブサイトにたくさん登場する。
 それらを見てわたしが奇妙に思うのは、もはや富士山は左肩(右肩か)を失って半身不随、そしてその富士山を取り巻く都市風景は満身創痍であることだ。都市風景についてはだれも何も言わず,富士山が見えないことだけを言うのは奇妙である。
http://www1.ttcn.ne.jp/fujimizaka-hozen/shinnookubo/20111007-1.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/07/96d0fae037f5d656083f8876db406c03.jpg

 いやはや、この日暮里富士の頂に夕陽の光背が輝けば、これは片翼を失った鶴が掃き溜めで昇天するの図である。

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