調べもののことは別に書くつもりだが、山口文象が1949年に設計した建築を「新発見」したので、当時の雑誌に載っているか探したのだ。
国道15号を南に向かって、単に品川駅に行くことだけを目的にてくてく歩いて、ふと思い出した。
たしかこのあたりのどこかに、JR線路の下をくぐって東側に抜ける、ものすごく天井が低くて、狭くて、暗くて、しかも長~い、奇妙なトンネルがあったはずだ。今もあるのだろうか。
最後に通ったのは、もう30年くらい昔のような気がする。探検してみることにした。
あるとき歩いて通り、普通に歩くと頭を擦ってしまう低い天井が延々と続くのに驚いた。その後にタクシーでも通ったことがあるから、レッキとした普通の道路であるらしい。
さてどこにあるのかと、国道15号の東側を注意して歩いてたら、歩道の真ん前に、大きな背丈以上の石垣とその上に繁る大木とが、立ちはだかった。
国道にさえも伐り倒しを許さない大木と石垣なら、なにかタタリでもある代物かとそばによる。石垣は車道の路側帯にまではみ出している。
案内板があって「高輪大木戸跡」とある。江戸の町への南の入り口として、旧東海道の左右に石垣を築いて間に門扉をつけていたそうだ。そういう史跡だから道路もよけて残したのだろう。
実際はもっと石垣ははみ出ていたのを切ったのかもしれないし、あったはずの対になった道の反対側の石垣らしきものはなにも見えないから、残したとしてもかなり申し訳程度の感がある。残さないよりは良いが、。
このあたりはJR車両基地があるから、線路敷の幅はかなり広くて200m以上ありそうだ。
そして東西に抜ける道は、ここから北には札の辻、南には八つ山だから、その間は4~5キロになるのだろうか、ずいぶん間があいている。道路交通の原則から言えば、このあたりに狭くても東西に抜ける道がほしいことはよく分る。
久しぶりにその道に入っていった、というより、穴にもぐりこむ感じに近い。いくら東西の道がほしいからと言って、これがまともな道だろうか、それにしても奇妙な道だと、感慨を新たにした。
車の交通は西から東への一方通行である。西の入口の手前で、一台の乗用車が初めてらしく、戸惑って引き返していた。それなりに通過交通はある。
西側の一方通行入口 左の自転車はすいすいと出てきたが、右の白い車はここで引き返して行った |
車両制限高1.5mと掲示してあるように、天井高さ1.6mちょっとくらいらしく、大人歩行者も自転車に乗る人も、そのままだと頭がつっかえてしまう。わたしは身長1.73mだから首を傾けて帽子を天井にこすりながら歩いた。
だれもかれも頭を下げて行き交う |
閉所恐怖症のわたしはちょっと閉口している |
東の出口にあった表示で分ったが、この道の名前は「高輪橋架道橋}という。
この道に入るには、地表を走る鉄道線路の下に潜り込むので、わたしはてっきり地下トンネルと思っていたが、そうではなくて橋なのであった。そうい言えばそうだ、頭の上には土があるのじゃなくて、低い橋があるのだった。そう、コンクリートでつくった溝の中を歩かされるのだ。
東側の一方通行出口 |
近いうちにこのあたりに新駅ができるらしいから、多分、それに合わせて広い東西道路が整備されそうな気がする。いずれにしてもこれが見納めになるだろう。
2度と歩きたいたくないと思った道で、これと反対に上も左右も下も広々とした、閉所恐怖症向きの道のことを思い出した。レインボーブリッジの歩道である。
景色はひろがってよいのだが、車による振動、騒音、排ガスで、あまりにひど過ぎる道だ。せっかくの金がかかった歩道なんだから、あれはなんとかせい。
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