そして更に、それを見物する大勢の人たちが、同じ色の服を着て、一斉にそろってひとつの方向に動く様子が、見ていて気持ちが悪くて仕方がない。
と言っても、わたしは現物を見たことはなくて、新聞に嫌でも目に付く写真による。北朝鮮のマスゲームさながらである。
でも、うちの近くの横浜球場あたりを徘徊していると、その一団に出くわすことがよくある。無邪気な人たちの様でもあるが、その無邪気さがどうにも不気味である。
世界球蹴り運動会が地球の裏で始まるらしく、その記事が新聞の朝夕刊の一面にも登場し、スポーツ欄はもちろん4,5ページも占め、社会面も2ページくらいを占めてしまう。
わたしは隅っこの残りの記事を、重箱の隅をほじくるように読むしかない。
毎日、毎日、読むところのない新聞が配達されてくる。ゴミをカネ出して買う日々がつづく。
たぶん、TV番組もそうなんだろうが、わたしはTVそのものを見ないからいっこうに構わない。
おいおい、いつのまに朝日新聞はスポーツ新聞になったんだい、 スポーツ新聞ならエロやゴシップ記事を満載しろよ |
そのひとつめの方法は、この際すっぱりと新聞購読をやめてしまうことである。心理的にも経済的にも一番良い方法だと思うが、暇つぶしの種がなくなるのが困るのだ。
ふたつめの方法は、この際しょうがないから観戦スポーツファンに宗旨替えすることである。これは周りの誰かに嘲笑の喜びを与えそうで、癪にさわって体調に良くなさそうだから、いまさらやらないのだ。
こんな記事ばかり載せていると、そしてこんな記事ばかり喜んで読んでいると、いつの間にか憲法の改悪をされてしまっているぞ、いいのかよ。
2020年の東京世界五輪運動会のときは、もっとひどいことになるのだろうが、幸いなことに、その頃のわたしはボケているか、あの世にいるか、そのどちらかである。
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