今や地球上の世界は、新型コロナウィルスによる大変革期到来の予感の時代である。
私の体験した世界的な変革期の最新は、1989年から始まった冷戦の終結であった。その前は、1945年のアジア太平洋戦争の終結だった。
どちらも世界戦争の終結がもたらす変革だった。
さていま世界を席巻するコロナが終結後には、どんな変革世界が来るのか、それが自分に良いことなのか、悪いことなのか、さっぱり分からないが、何か大きく変わりそうだ。いや、変わらないのかもなあ。
ただし、八十路を行くわたしには、コロナ後人生があるかどうか、それさえもわからない。ただ、好奇心としてコロナ後社会を見たいとは思う。
探検家・作家の角幡唯介が、2020年6月12日の朝日新聞朝刊に「人間界を離れた54日 社会は殺伐として毎日が未知の現実」と題して寄稿している。
今年1月中旬に氷の国グリーンランドに入り、3月19日から5月11日まで人っ子ひとりいない極北の氷の地を犬橇で探検したそうだ。
角幡は妻からの衛星電話によって新型コロナウィルス蔓延を知り、探検出発前にはグリーンランドにも感染者が発生した。
そして探検の旅にでたのだが、旅の間に彼が出て来た世界は、みるみる危険なる地に急変した。いっぽう、氷の探検世界には、コロナで最も危険な動物の人間がいない。角幡は実は地球上で一番安全な地を探検していることになった。
角幡が出かける前にいた世界は、ある予定調和的に進行する安全な場所だった。そして探検する先は先が見えない未知の世界のはずだった。
ところが新型コロナウィルスにより、人々がいる世界は明日がわからない未知の世界に踏み込み、角幡の探検は用意周到な計画に基づく、先がわかる世界にいるのだ。
世界はひっくり返ったというのである。探検家としてはどうすればよいのか。
そして旅を終えてディストピアに帰還した今、彼は浦島太郎になってしまったという。
なんとも興味深いところに期せずして嵌まり込んだ探検家は、当然、次の探検先はこの未知なるコロナ世界であろう。
極北の地がユートピアであったかどうかわからないが、このコロナ世界ディストピア探検記を、おおいに期待する。
さてそのディストピア世界といえば、新型コロナウィルス発症が中国大陸に端を発し、ユーラシア大陸を西に移り、さらに大洋を超えてアメリカ大陸へと、そのコロナの版図は拡大の一方である。
奇妙なことに、アメリカ国家はこのところチャイナ国との覇権争いに忙しいが、コロナでは出遅れたアメリカ国家だったが、その後の派遣奪取への勢いはものすごく、今やチャイナ国家など相手にしないコロナ大国家となった。他国を寄せ付けない勢いで感染者と死者を輩出し、コロナ覇権国のディストピアへ昇りつめたのである。いつ収まるのか、どう収めるのか。
それに加えて最近になって、アメリカの一都市で起こった警官による黒人殺害事件がもとになり、人種差別問題への抗議デモが起きた。
アメリカではよくあることだと思っていたら、各地の都市にも広がり、止む様子がない。1968年の公民権運動でキング牧師暗殺以来の規模という。
更にアメリカ大陸を問わずヨーロッパ諸国にもデモが感染して、この世界のディストピア模様はさらに深刻になりつつある。それはコロナによる閉鎖社会のもたらす大きな副作用らしい。
コロナ以前の人種問題は、ヨーロッパにおける大量の中東難民問題だった。最近、そのニュースを聞かないから、コロナの蔓延により難民の動きが止まり、一時収まっているのかも思っていたが、実はコロナが衛生環境の悪い難民キャンプを襲うのは避けられないらしい。それは南米諸国のコロナ感染者の急激な増大が、ファベーラを襲っていることと似ているようだ。
それに加えて、コロナ発症に由来するアジア人種へ差別問題も顕在化してきているようで、なんとも面倒な世界になりつつあるらしい。
アメリカ在住の歌人・大竹幾久子さんが最近こんな短歌を詠み、朝日新聞朝日歌壇に入選している。
コロナ禍で退屈した人あまた
射撃場に行き銃ぶっ放す (2020年5月31日)
アジア人はじめて銃買う人多し
コロナの元とねらわれる故 (5月31日)
コロナ禍で必要不可欠(エッセンシャル)と認められし
銃を買わんと列なす人々 (6月7日)
かの地では、日常世界がなんとも居心地が悪いことになっているらしい。銃社会アメリカでの、銃の益々の普及とおもに、アジア人差別も進む。コロナ禍は肉体だけでなく、アメリカの人々の心をむしばみ、病的社会になりつつある。
この未知の現実世界を角幡に探検してもらい、安全な極北の地からの純なる眼で、じっくりと見てもらいたいものだ。
今や、探検は未知なる未開世界に向かうではなく、開発しすぎて未知なるウィルスを発掘して嵌まり込んだ未知なる現実のコロナディストピアに向かうしかないようだ。
そこはかつて人々が信奉したグローバル教世界ではなく、コロナ鎖国群の国境を乗り越えつつ探検を続けるのだろうか。
ところで日本は、角幡が興味を持つような探検すべきコロナディストピア世界がどう広がっており、これからどう広がるだろうか。
世界の先進国の中では、低いコロナ感染率を維持しているし(もっとも致死率はアジア諸国の中ではフィリピンに次ぐ高率)、復興財政出動もまれにみる巨額公費投資が予算に組まれている。
しかし、この3か月間の逼塞による経済と生活の打撃は、どう回復するのか、だれにもわかっていないうえに、わかっていることは次の感染波が必ず来るといわれる。
だれもかれもが未知の現実の暗闇のなかを、手探りで未来へと歩く状態が続く。しゃべると感染するとてマスクのうちに沈黙し、まるで歌舞伎のだんまりだ。
コロナ後の世界があるならば、それを見てから死にたいが、底無しの長期ディストピアが続くか、それともまるでコロナなんてなかったような世界が回復するのだろうか。
今、書けることはこれくらいなものだ。われながら稚拙だが、わからないことをわからぬと書いておくしかできない。
◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録」
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