へそ曲がりのわたしは、2日に一回は横浜都心部の繁華街やら観光街を徘徊している。わざと反抗しているのではなく(その気味もあるが、もちろんマスク防止手袋で武装)、コロナパンデミックという超珍しい大事件に遭遇して、それがどう私たちの生活に影響しているのか、好奇心で興味津々だから見届けたいだけのことである。何かの役に立てようようという気分はさらさらない。
しかし、幸いにして自身の身辺も近所にも、コロナという病の人々はいない。だからと言って好奇心に任せて、まさか病院に出かけるわけにもいかない。
コロナは人間にとりつくのだから、人間のいない所に出かけても観察にならない。せいぜい近所の繁華街の人出やら、営業店舗やらを観察するしかない。
それでもコロナの影響の大きさに驚きつつ観察できている。人々が繁華街から消えた日々は特に驚いた。それはコロナ恐怖に対する人間の、従順な姿であった。これじゃあ細菌テロをやるやつが出るかもなあと、チラと思った。実は人が消えなかった繁華街もあるのだ。
そして先週ようやくにして、政府は自粛解除を布告、学校も再開、諸店舗も営業再開とて、喜びと不安の錯綜する世の中になった。
先週の土曜日は解除後最初の休日、さて横浜繁華街はいかがかと、一巡してきた。まるでコロナ前の賑わいの街になっていた。昼間の街がこうだから、夜の街の飲み屋街も復活だろう。
なんとも人間は、政府が作り上げた操作される秩序にさえ、こうも従順なものか、コロナパンデミックに改めて不安な気が起きる。
実のところ、コロナがいなくなったのではなくて、少なくなったから解除したに過ぎない。そこらあたりにうようよいるコロナは、これでまた復活できると、さぞかし喜んでいるだろう。
わたしが見てから死にたいと思っているコロナ後の世界が、こうやって少しづつ見えてくるのかと、若干の期待と不安がある。街の風景が大きく変わるのか、ほとんど変わらないのか。
わたしが横浜都心の空中陋屋に住むようになって18年、近所の街をコロナ以前から徘徊して観察してきた。商業や観光系の繁華街、都心住宅街、斜面地の住宅街など、それぞれ面白い姿を持っている。その変化が面白い。
コロナ時代になって特に観察してきた横浜都心の街は、伊勢佐木モール・馬車道・元町・横浜橋の商店街、中華街・新港地区・山下公園の観光街、そして寿町簡易宿舎街という特殊住宅地区である。
これらをぐるりと回ると約11キロ、歩いてちょうどよい運動だが、実は白状すれば年取って足が弱ってきたので自転車に転向である。昔山岳部員も老いたものだ。
この典型的なコロナ下不要不急外出の繁華街定点定線定面観測について、順番に感想を記しておこう。
非常事態で激変してきた街もあれば、自粛中もコロナ以前と変わらない繁華街もあった。もちろん住宅街は見たところは変わらない。
このブログに非常事態による自粛行動さなかの「4月26日横浜コロナ風景その1」を書いたが、解除直後の「その2」を書いておく。
(つづく)
◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録」
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