2020/04/26

1459【横浜コロナ風景】そこそこ人出の伊勢佐木・横浜橋、ガラーンとした馬車道・元町、人が消えた中華街と観光街

 コロナ大戦戒厳令下、横浜都心の商店街の人出見物徘徊に出かける。
 伊勢佐木モールでは休日も平日も少ないながらもそこそこの人出である。休業店舗が目立つが、特にチェーン店の飲み屋は休業している。
 このところ伊勢佐木モールは安い飲み屋が増えてきたし、物販もチェーン店が増えるし、安物を売る店やリサイクル屋が増えてきて、この横浜一番の老舗商店街の面影はどんどん薄れていくばかりだ。
 コロナ戦争後は、どうにも見る影もない商店街、いや飲み屋街になってしまいそうな気がする。いやいや、もしかしたら風俗街になるかもしれない。
伊勢佐木モール 20200425

 伊勢佐木モールには新本屋と古本屋が数件あり、それを巡るのがわたしの徘徊の楽しみであるが、新本屋は営業、古本屋は休業である。この差は、行政からのコロナ緊急事態宣言という戒厳令下の要請の有無らしい。
 新本屋よりも古本屋が混みあうってことは、経験的に絶対にないはずだ。なんだかおかしい。本屋巡りなどしない人が決めたのだろう。
伊勢佐木モールの古本屋は閉店して店先で無人店舗 20200419

 横浜橋商店街は庶民の日常商店街で、平常よりは少なくはなったが、あまり変わらないように見える人出である。ここは同じ業種の店が適当に散らばって多くて、混雑が集中することはあまりないんが、量販店よりも強みがありそうだ。
 長さ約350mに130店舗ほどらしいが、今日徘徊して休業や空き店舗を数えたら、シャッター店が48件もあったから、これは結構な数である。でもそれほど目立たないのは、休業店舗の前の道路上に隣の営業店の商品がはみ出しているからだ。
 3日前の金曜日に数えた時は25店舗だったから、日曜休業店舗が20店以上あるようだから、空き家商店街ではなさそうだ。
横浜橋商店街 左は営業するパチンコ店 20200425

 伊勢佐木モールとその周辺のパチンコ屋は7店舗全部しまっていたが、横浜橋商店街のパチンコ屋2店舗のうち1店は営業中である。何処やらでは休業要請に応じないパチンコ店は、店名公表するとかの強行行政もあるらしいが、神奈川県ではそうでもないらしい。
 表のガラス越しに見える店内には、いつも通りに結構たくさんの客が入ってチンジャラやっていたから、世の中には一定数は感染を恐れない人たちがいるようだ。これって横浜港山下埠頭ギャンブル再開発構想(IRとも言う)の下支えを示しているのだろうか。

 伊勢佐木モールの周りには、曙町や福富町という風俗店舗街がある。昼間徘徊で表から見ただけではよく分からないが、いくつかの店舗前には客引き男が立っているし、昼間からギラギラ照明がついている。見た感じでは7割がたの店舗は通常営業している様子である。
 風俗店舗は休業要請の対象外なのだろうか。いわゆる3密の内、少なくとも2つは立派に行う業態のような気がするが、社会的間隔をあけて性的サービスをできるものだろうか、よくわからない。
 そのうちに伊勢佐木モールにも進出していくような気がする。現にタイ式マッサージ店がかなり多くなりつつある。もっともマッサージ店は風俗営業類似かどうか、さっぱりわからないがそんな気がする。
曙町風俗街 20200408

 中華街はコロナ前と比べて極端に落差が激しいようだ。ここは観光飲食街だから、観光客が来なければほとんど成り立たない。あの派手派手の街並みが、まっぴるまにガラーンとしてチラホラとしか人が通らない風景は、衝撃的でさえある。MM線開通以来、ものすごい人出が続く街となっていたのが、まるで嘘みたいである。架空の街だったような不思議さが漂う。
 あちこちの閉めた店先で、中国からの輸入品だろうか、マスクを売っている風景がもの悲しい。
中華街大通り 20200421
中華街関帝廟通り 20200421
  落差が中華街ほどではないが、元町商店街馬車道通りもさびしすぎる。
元町商店街 20200421
馬車道通り 20200414

 横浜港に沿う観光街は人が消えていて、怖いぐらいである。だが、この港観光のために作り上げた空間は、素顔を見せると妙にそのデザインに空虚さが漂うのが悲しい。観光地は人が居てこその街であると、つくづく思わせる。
山下公園 20200409

赤レンガ倉庫 20200409

 こうやって横浜都心繁華街を見ると、その機能の日常生活への近さと今回の閑散度合とは反比例、あるいは不要不急度合と比例しているようだ。つまり都市における生きるために必要度が示されているのが、さて、これが進んでいって生命維持必要度レベルまで限定されてくるのだろうか。

 コロナ戦争はまだまだ少なくとも2年くらいは続くらしいから、その間に街はどう姿を変えるのか観察しておきたい。建物は変わらないにしても、それを使う人間がいなくなる期間が長期に続くと、街の機能が衰えあるいは消滅が起きるだろう。
 たぶん、コロナ戦争が終わっても街の姿は元通りにはならないだろう。それはどんなものになるのだろうか。

 わたしの今の関心の中心は、コロナ感染よりもそれを克服したコロナ大戦後のことである。
 わたしはアジア太平洋15年戦争の最中にこの世に生を受けて、物心ついて戦争とともに生きてきて、小さな地方都市だったから、戦中のほうがむしろ平和であり、戦後の食糧難による空腹少年の日々こそが、わたしの戦争被害であった。
 戦争が終わってから立ち直るまでが大変なことを、空腹を持って体験させられた世代であるから、またもやあの空腹に出くわすなら、さっさとコロナで死ぬほうがましだ。

〇参照:伊達の眼鏡「コロナ大戦おろおろ日録2010~

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