コロナ時代の都市観察をするのが好きで、近所の繁華街を定点観測的にぐるぐると、日常的に徘徊している。
それだけでは飽きてきたので、半年ぶりに東横線・半蔵門線に乗り、東京都心に観測遊びに行ってきた。1時間も電車に乗るは久しぶり、車内観察した。暑い8月15日の土曜日、東横線は座席はちらほら空いているが、2・3人が立っている。半蔵門線は座席満員、立つ人が10人くらい。半年前に比べると、ずいぶん少ないのは、コロナのせいか、夏季休暇のせいか。
車内の人々全部が、顔面にマスクで顔下半分を覆面姿である。マスクは完全に人間の日常衣装と化した。途中で乗り降りした人の中に2人だけ素顔を見せている男がいて、なにやら世に逆らう反骨の人に見えたが、単に着けるのを忘れて出ただけかもしれない。
スマホもほとんど衣服並みにだれもかれもが身に着けている。マスクとスマホが現代人の身だしなみだ。わたしは前者しか身に着けていないガラケー派となってしまったが、それもまた希少でよしとする。
スマホはどんどん進化するようだが、その出現からそれなりに時間がたっている。マスクがこれほど普遍化したのは今年だから、これから進化するのだろう。今のところほとんど白い布製ばかりだが、一部に黒色とか花柄やストライプの色模様もある。形はほぼ同じで、三角や丸や星型なんてのはない。
要するにマスクはまだファッションになっていないのだ。着ている衣服と合わせたデザインのマスクにはお目にかからない。マスクは今のところは衛生必需品として機能性を求められるばかりの段階らしい。
これからコロナがいつまで続くのかわからないが、今はマスクを着けないと村八分、ヘイト対象で、店にも図書館にも入れてくれない。これで1年以上もマスク着けて暮らしていると、マスクの無い姿はを考えられなくなるだろう。マスクは非常時用ではなくて日常の必需衣服と化して来るだろう。
ということは、マスクはその内側にある肉体の一部を隠すべきものとなり、パンツ、ショーツ、パンティ、ふんどしと同じになるのだ。これら下着がその機能性だけでなくて、さまざまに変化し進化してきたように、マスクも多様な進化の道を歩むだろう。
そして重要なことは、顔面の下半分を陰部とする覆面文化の登場である。
先日の電車の中で、対面に座る女が指でマスクを外そうとしているのをふと見て、一瞬思った、わたしは見てはいけないものを見てるのかもしれないと。そう、女が下着を脱ぐ場面が頭をよぎったらしい。女はジュースを飲んだだけで、元に戻して何事もなかった。
これまで陰部とは、腰のあたりにあっただけだが(女性胸部も陰部なのかしら)、いまや顔面に陰部ができたらしいのだ。わたしたちは今、新たな文化誕生に立ち会っているのだ。さて、この顔面陰部文化の覆面社会は何をもたらすだろうか。
その電車に乗った日、久しぶりに中華料理屋で蕎麦を食った。ひとりだから案内されたのは横長カウンター席だった。その座席ひとりひとりを仕切るように、カウンター上に衝立が立っている。隣席からのコロナ飛沫防止策だろう。
これは何かを連想させると考えたら、今はなくなったが公衆便所の小便所である。そうかあの小便所の仕切り板は、隣の小便飛沫が引っかからないためだったかと、今頃になって気が付いた。ならば大便所のように、一人個室の飲食席もあるかもしれない。
これは飲食文化の大変化である。飲食しながら話し合うのが危険だとすれば、個食しかない。話はネット経由で離れてやればよい。飲食店は公衆便所のように仕切り席と個室だけになるのだろう。
そう、レストランは限りなく公衆便所に似てくる、公衆便所をレストランに転用するかも。まあ、出す行為と入れる行為は、似てはいるよなあ。
ところが車内で一人だけ見た若い男だが、口の前に透明な板を顎から塀のように立てまわしている。額からカーテンみたいに透明板をぶら下げるフェイスシールドを見たことあるが、これはなんというのか。今ネット検索したら透明マスクというとは、なんともベタな。これがマスクの発展形の一つなのであろう。とにかく顔面の陰部を人目から隠さずに見せている。
しかし、その男を観察すると、鼻が出ているし、上部が顔面との間で大きく空いているら、他からの飛沫はどんどん入ってくるように見える。まあ、布マスクもヴィールスは簡単に通過するそうだらか、どっちもどっちだろう。だが陰部が見える見えないの違いは大きい。
ということは、あ、そうか、レストランも透明な仕切りや壁で人々を隔離し、話は電気的に伝え合えばよいのか、これなら陰部を隠す必要がない。隠す必要ないなら陰部ではないのか。
そうか、見せてもよい陰部であるのは、まだ過渡期だからだろうか。そのうちに見せることも禁止になるかもしれない。だって、腰あたりの陰部も歴史的には、アダムとイブの前はみせてもよかったのだから。
さて、新肉体文化は新陰部を隠す方向に行くのか、それとも新陰部露出はしないが見せる方向に行くのか。これからのコロナ文化の行方に興味は尽きない。
別の見方をすれば、今、マスク産業界は布派と透明派が初期の暗闘をやっているにちがいない。いずれに軍配が上がるのか、それも興味尽きない。ヒマである。
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