2026/05/27

1951【老酔録㉟生成AI】自分自身の仕事の評価を生成AIに尋ねたら懇切丁寧に出鱈目を教えてくれた

 ●親子喧嘩を警察沙汰にしたAI 

 今朝(22626/05/27)の新聞ニュースに、親子喧嘩がもとで父親が警察に逮捕された事件が、けっこう大きく載っている。その父親がどこかの著名なプロ野球団の監督だったので、それだけで仕事を辞職する騒ぎになっているとか。親子もビックリの喧嘩の結果らしい。

 こんなどうでもよいニューズにわたしが興味持ったのは、親子喧嘩で叱られて困った子が、どうしようかと相談した先が生成AⅠであったというところだ。子はそのAIに教えられた児童相談所(児相)に相談したら、その児相は警察に通報、警察は父親を逮捕したのだ。

 これで最もショックを受けたのは、叱られた子だ。その子は警察に通報したくないからどこか相談したくて、手軽に何でも教えてくれるAI様に聞いたのにちがいない。まさか児相が警察に通報する(よくあることらしい)とは思っていなかったろう。

 この件でわたしが思うのは、生成AIが最も悪い。子が尋ねたAIの答えには、「自動相談所は、状況により警察に通報することがある」とは、書いてなかったのだろう、可哀そうになあ、バカマヌケAIめ、気を利かせろよ、AIって気が回らないやつらしい。

 ここで一言、やっぱりAIにはが欠けているそんなAIともしらず、近ごろの子どもは、いや、大人でさえもAIはどんなことでも正しく教えてくれると、思い込むらしい。喧嘩の仲裁にやって来てくれる、とさえ思っているかもしれない。

 いや、本当にそうなる時代が来るかもしれない。AI搭載ヒト型ロボットがやってきて、「まあまあまあ、お気を静めて・・」なんて言い出すのだろうか。おそろしいことだ。ヒトはますますバカになる。その人間よりはましなAIが、世の中を支配するだろう。

●AIにわたし自身のことを聞いてみたら 

 わたしは日常に生成AIを使っていない。使う程の仕事をやっていないからだ。でも、グーグル検索に生成AIが登場してきたのは知っている。検索結果文章の初めに、AIが書いた数行が登場して来ることがある。なんだかもったいぶって癪に障る。

 最近のことだが、同年配のズーム遊び仲間数人で、生成AIを話題にして雑談ZOOMをやったことがある。仲間にはAI なるものの仕組みのようなことを解説してくれる者も居たが、わたしは理解できない。

 わたしは話題参加のために、あらかじめAIに自分自身のことを質問して、得た回答についての批評を披露した。自分自身の履歴をAIに質問した。当然のことに、その回答をもっともよく知っているのはわたし自身だ。だからAIの回答が正しいかを知ることができる。

 結果としては、その回答がいかにいい加減なものであるか、大いに分かった。その回答をZOOM生に仲間に披露して、みんなでAIを嗤い飛ばしたのだ。

 もう少し詳しく、AIとの質疑回答を書こう。まずはAIに作らせた架空画像をご覧ください 。左はつい先日に近所の森林公園でのわたしの顔、 89歳つまり数え年で卒寿になる現実の老爺の顔である。

 AIにこれを見せて 「 青年期の顔にせよ 」と指示したら、出てきたのが右の顔写真であった。え、これがオレかい?、と疑問に思った。そこで他に聞いてみることにした。
 弟と息子にメールして、わたしの若いころに似ているかと問えば、「 エッ、これ誰?」、「わはは、AIもまだまだだね 」と返事がきた。似ても似つかぬ顔だ。

 わたしのブログのどこかに、若いころの顔写真もあるはずだから、AIはそれを修二に探して花王擂るのだろうと期待していたが、はずれた。探せなかったらしい。ネットにあれば瞬時に探す能力があるのではないのか?、ダメなヤツだ。

●AIって営業口を利くらしい

 次に文章で質問してみた。わたしの名を名乗り、わたしがネット上に経歴とか研究論文とか駄文類を載せていることを告げて、そのうえで「わたしはこのようなことをやってきたが、それが世間からどのように評価されてるか教えて呉れ」と質問した。

 その結果は、長い文章で回答が出てきたが、ここに公表してもよいのだが、そのあまりにひどい内容に恥ずかしいいのでで公表しない。いや、評価があまりに低くてはずかしいのではなくて、どう読んでも「ほめ過ぎ」の「おべんちゃら」だからである。

 このAI開発者は、よくまあ、こんな追従の仕方を回答するように教え込んだものだよ、感心して立腹した。そのくせ、その高評価の種には、所属してた事務所の別の担当者の仕事を褒めているのだ。わたしが評価してほしい重要な仕事にはまったく触れていない。

 つまり、せっかく私の経歴や論文・評論類のサイトも教えているのに、きちんと検索していないらしい。あり合わせに引っかかった情報を、おべんちゃらで並べておけば、AIとしては仕事したことになるらしい。

 もしかして、AI業界は発展途上ある今だから、は営業上の戦略として、とにかく利用者を褒めろちぎれと教えているだろう、そうすれば利用者が良い気分になって愛用してくれるだろうと営業行為か。フン、そうはさせないよ。こんなバカAIはお断りだ。

 さて、ここでわたしが利用した生成AIの名称を書いておく。GEMINIである。グーグル検索に登場している。ますますお世辞に磨きがかかってくるのだろうなア、AIに相談するなんて、バカがすることだ。決まりきったことならお得意だろうなア。

 なお、わたしはGEMINIの回答が不満だったので、文句を言ったら、AIは「大変失礼をいたしました。ご指摘を真摯に受け止め、わたくしの譲歩の精査不足をお詫び申し上げます」と、謝ってきたのには嗤った。

 でもまあ、いろいろ聞いてみると知らないことを教えてくれる。近ごろ古老の歳になって、昔のことを聴かれることもちょくちょくある。知らないというのも恥ずかしいので、事前にAIに聞いておいて、いかにも知っていたように答えることにしようかとも、思う。

昔のこと聴かれるほどの古老になりAIに事前聴取して語る
普及期のAIはいま競争中 営業口で回答もするらし

(20260527記)

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2026/05/23

1950【日の丸棄損罪?】梅干し弁当さえ持ってこれぬ子もゐたり貧しき頃の小学校の日の丸

  自民党では、高市総裁のかねての意向らしく、日本国の日の丸国旗損壊罪を創設する動きが急らしい。個人的にあ国旗に興味ないし、そもそも持ってないから毀損しようがない。

 しかし、一年に一度だけだが、実に無数の日の丸の旗を見ることがある。そこは東京九段坂の靖国神社あたり、時は8月15日である。わたしは毎年のその日に、靖国神社へ見物に行く。(参照2024年夏の靖国神社

 見物の目的は、戦争の復活気配を定点観測するためである。

 行ったことない人にはわからないだろうが、ここには戦争を称揚しその復活を願う人々の影が次第に濃くなっている。その影を見事に表現して目に見せてくれるシンボルが、この日この神社の内外に現れる無数の日の丸の旗である。

 右翼団体の街宣車は日の丸や旭日旗を振りかざすし、九段坂下交差点のいつもの右翼団体集合演説地点には日の丸の旗ががいくつも翻っている。そんなところにどのような団体か知らないが、長い長いデモンストレーション行列(いわゆるデモ)が、参加者みんなが日の丸の旗竿を掲げてやってくる。




 そこで国旗棄損罪創設の話に戻る。上に見る日の丸を掲げる人たちは、当然のことながら、それが国旗棄損行為になると思ってはいないだろう。だが、国旗を掲げつつ唱えることに、戦争を称揚する気配をかぎ取らされることは事実だ。戦争放棄を掲げる憲法の国家の国旗に、戦争を称揚するシンボルとしての役割を背負わせいるようだ。これは国旗損壊行為であろう。

 そういえば、外国人排斥のヘイト演説デモに出くわしたことがあるるが、この人たちも日の丸の旗竿をたくさん掲げて歩いていた。これも国旗損壊に当たりそうだ。そうか、もしかして、国旗棄損罪の創設動機は、これら近年になって目に見えて広がる気配の外国人排斥や戦争称揚に使われることを憂えての新法だろうか。物理的な棄損ではないが、精神的には十分に公共の場における損壊に当たるはずだ。

 これらを見ていると、日の丸を掲げる場合には、これらの人々の思想に賛同していることの象徴的行為に思えてくる。たぶんこのせいで国旗への忌避も生まれるに違いない。これは国旗損壊行為と言ってよいだろう。ただし、当事者が全くそうは思わないのが、この問題の難しいところだ。賢明な自民党政治家たちはこんなことの検討もされているに違いない。

 もうひとつ思い出す国旗登場の場面がある。オリンピック等の国際スポーツ競技会で、日本人の勝者が日の丸の旗を身にまとうことがある。わたしは見世物スポーツ嫌いだしテレビ嫌いだから、そのような場面にめったに見ないが、ネットで目にすることがある。気になるのは、大汗を書いた後であれを身に纏うと、国旗は汗だらけほこりだらけになって汚れるから、これこそ国旗損壊行為だろうと思うのだ。こんごは国際競技勝者が汗まみれ裸身に日の丸をまとうことを禁止するのだろうか?

 それより気になるのは、わたしは近ごろ年取って食欲がない時に、日の丸弁当を作って近くの森林公園でかけ、さわやかな五月の光と風と緑の中で美味しく食うのだ。でも、その日の丸状態を棄損せずに食うのは無理だ。まわりに見つからぬようにこそこそと隠して食うしかないのかなあ。戦争直後の小学校を思い出した。弁当さえ持ってこれない貧しい子は、持ってきた子の貧しい日の丸弁当を見てつばを飲み込んだ。弁当を食う子も芋の混じる麦飯に日の丸しかない貧しさを蓋で隠して食った。あんなことを子供にさせない世の中にしたい。

  梅干し弁当さえ持ってこれぬ子もゐたり貧しき頃の小学校の日の丸

 でも今は物質的には貧しさをどうやら克服したが、そのいっぽうで精神の貧困が沸き起こっているらしい

(2026/05/23記)

ーこのブログの関連記事:靖国神社8月15日定点観測記録

2005年と2013年靖国神社815定点観測風景2005、2013
 〇2014年・終戦記念日の靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂
 〇2017年・金モール軍服長靴の若者がスマホをいじる靖国の夏
 〇2018年夏まつり森の社のにぎわいは今日も戦をたたえる見世物
 〇2019年・敗戦記念日は東京九段の靖国神社に戦争の残影を見物に
 〇2020年コロナ禍敗戦記念日の変わらぬ靖国神社風景が怖い
 〇2021年この前はアメリカに敗れこの度はコロナに破れかぶれ
 〇2022年・あの敗戦から77年の歳月に次々と戦争の日々が重なる
 2023年・敗戦記念日に戦争準備を叫ぶ政治状況に閉口するばかり
〇2024年・靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に戦争残滓と予兆を探る徘徊

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2026/05/14

1949【老酔録㉞本づくり】碧空へぽかりぽかり舞ひあがり糸切れ凧はいよよ老酔

 わたしの本づくり趣味の最後の成果かとも思う「藤本孝子第五歌集」の制作発行を、一応一段落させた。

歌集 空へぽかりぽかりとんで行け 米寿記念

 

最後の202604大団円版15冊

●藤本孝子歌集を4回も手作りしてきた

 この藤本孝子歌集は、著者・発行者は歌人とし、わたしは企画・制作者、実は制作部数166冊のすべてがわたしの本づくり趣味による手作り本である。
 制作期間は2025年3月~2026年4月で、毎月10数冊を制作して歌人のもとへ送り届けた。版型はA5判、ハードカバー120ページで、「栞」と称して8ページ小冊子を挟んだ。DTP/ODPである。

 著者の歌人・藤本孝子さんは、わたしの故郷の高梁盆地に住む幼馴染である。これは彼女の五番目の歌集であり、わたしは彼女の第二歌集から今回の第五歌集までつくってきた。第一歌集から第五歌集まで並べると下のようになる。 

藤本孝子歌集 
 右から順に第一歌集『春楡の歌』、その左へ「第二歌集『ぽかりぽかり』、第三歌集『また ぽかりぽかり』、第四歌集『いまも ぽかりぽかり』、第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ 米寿記念』である。第二歌集以降をぽかりシリーズと言い、その所以は「九十になったら曾孫と縁側でぽかりぽかりとシャボン玉とばそ」(2011年詠)による。

 第一歌集(2007年 砂子屋書房)は、236ページにわたる商業出版で、わたしはこれを横浜市立中央図書館で初見した。彼女の歌の師である歌人・小見山輝の序がある堂々たる歌集だ。藤本さんからこれを贈呈されて、第二歌集をわたしの本づくり趣味で上梓したいと思いついて、彼女に提案したらOKであった。

 その第二歌集は『ぽかりぽかり』のタイトルで2014年に作った。これにはもう一人の幼馴染の定森治子さんが、自家製のバラの花の写真を添えることにした。なお、この3人は岡山県・広島県・香川県と離れて住むのだが、この制作にはメールのみを使って原稿を送りあって、一度も顔を合わせることはなかった。3人ともに古希老人なのにこれは今風である。

 その後も、折を見てそろそろ次を出そうかと言って、第三(2017年)、第四(2021年)そして第五歌集(2025~26年)まで、いずれもわたしの手作りで作ってきた。「ぽかりぽかりシリーズ」である。

 これは手前味噌ながら、なかなかに優雅な趣味であった。わたしは歌を詠まないが、古典の歌を読むことを長らく趣味「能謡」でやってきた。能役者・野村四郎師に古典芸能の詞章である能の台本をもとに詠い語ることを習ってきた。そこには日本古典文学から引用する和歌短歌がちりばめられている。謡ううちに自然と古歌古語を身につけ、歌人が古語で詠う歌も読みやすいのだった。謡いと本づくりという2種類の趣味が見事に出会ったのだ。

●第五歌集166冊を1年以上かけて作った

 最近の第五歌集は、米寿記念と名付けて、もしかしたらこれが最後歌集かもしれないと特別な気持ちになり、それまではソフトカバーのくるみ製本であったのを、この第五歌集は初めてハードカバー製本にした。挿画にもう一人の幼馴染・阿部節子さんが加わった。

 ハードカバーは見栄えがあるのだが、手作りでは結構面倒な作業となるので、制作に時間を要する。ソフトカバーの10倍くらい時間を要する。これまでのように100冊以上を手仕事で作るとなると、わたしの趣味の本づくりの範囲を超える。何冊も短期間に根を詰めて手仕事をしたくない。それでは趣味ではなくて仕事になってしまう。

 2025年初めの企画段階で著者と共にいろいろと考えて、製本だけは専門業者に外注するかとも考えたが、それでは私の趣味の中核部分がなくなってしまう。手仕事の本づくりは、どのような本にしようかとの企画、原稿の編集、本のデザイン、入力、印刷、製本までを一人で行うのだ。自分の手で作ることに趣味の面白さがあるのだ。

 そうして最後に出来上がった本を手に取って、その出来栄えを観て「なかなかうまくできたワイ」と自己満足するのである。時にはでき具合を悲観することもある。それは例えれば、陶芸趣味と似ている。自分の手を使って粘土を捏ね焼いて器に作り上げるように、自分の手で工作して紙を切り纏めて貼り合わせて本の形にするのだ。一部でも専門業者に外注しては趣味にならない。

 そこで考えたのは、1年間をかけて製作することである。しかし同じことを1年間もかけるのでは飽きてしまうだろうから、趣味とはならない。毎月に10冊程度を作るとして、そこには歌人が毎月詠んだ中の選歌をその月ごとに加えることにした。なんだか月刊誌を発行するようで、やってみると楽しかった。

 2025年3月制作版は、2021年から2025年2月までの作歌から190首を選び出して92ページの本で10冊を制作した。この作業は最初の制作だから、選歌から始めるので2か月ほど時間がかかった。こうしてまず「202503版」歌集ができた。

 次の月の「202504版」には、4月詠の選歌を加え、同様にして毎月の選歌を加えて月刊誌のように10部を同じデザインだが中身は少しづつ歌が増えていった。そして最後とした202604版は276首掲載して120ページの本となったのだった。

 この間13か月で、合計して165冊の歌集を制作した結果となった。この間に本のデザインは変えていないが、カバーだけはその季節の風景写真を毎月撮って変えてきた。これらの本を一冊だけとっても分らないが、実は13通りの中身とカバーがあるのだ。

 毎月の読む歌が付け加わって、歌人の変化が見えるのも面白かった。月刊誌と単行本を同時に作っているような気分でもあった。歌人も一緒にこの長期継続プロジェクトを楽しんでくれた。

●本づくり趣味を逸脱したらしい

 実のところを言えば、わたしは本づくりを趣味としてやっているのだが、さすがに100冊超えて同じものを黙々と毎日作るのは仕事だ、新企画の新デザインの本を次々と作るのが趣味のはず、少し反省した。

 さて独居老人となって糸切れ凧状態だったわたしを、ようやく地上に結び付けていたこのプロジェクトが終わったので、これからは自由に舞いあそぼうとおもう。そこで本歌取りで一首詠う。

碧空へぽかりぽかり舞ひあがり糸切れ凧はいよよ老酔

 今回の歌集には「栞」と称して8ページの小冊子を挟み込んだ。そこにはこの本に花写真を添えた定森治子さん(花人)と、挿画を描いた阿部節子さん(画人)と、本づくりしたわたし(書人)が、それぞれ一文を書いている。 昨年八月版「栞」には、こんなことを書いていた(参照:少年の日の戦争】)

(2026/05/15記) 

「藤本孝子歌集」シリーズ全部と「伊達美徳まちもり叢書」シリーズの一部

 

ーー本ブログで関連する記事ーー

少年の日の戦争】藤本孝子第五歌集202508版栞エッセイ
本づくり趣味】手製本づくり趣味の一部始終

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2026/05/04

1948【老酔録㉝能楽鑑賞】舞台登場三名人平均年齢九十歳超こちら見所も老酔客ばかり

  老酔録という名のブログにふさわしい超高齢者イベントの話である。趣味の能楽鑑賞に行ってきた(2026年5月3日)。能楽が老酔録にふさわしい趣味というのではなく、私自身も含めて、そこでの登場人物たちのことである。

 まずはこの日の能舞台に登場した名優たちの名と年齢を書く。歌人・馬場あき子・98歳、狂言師・山本東次郎・88歳、能役者・友枝明世・85歳、合わせて271歳である。それぞれの役割は、解説役、狂言「花子」シテ、能「喜界島」シテであった。


 高齢者の登場は舞台上ばかりではない。会場の川崎市麻生市民館大ホールは、収容人数約100人は、見たところほぼ満員であったが、この観客席にも白髪の高齢者が多くを占めていた。杖つく人も多い、女性高齢者が多いのは、仕舞を習い事した人たちだろうか。

 馬場さんを能舞台上で見るのはコロナ前の横浜能楽堂で何度かあったが、久しぶりに見てもほとんど変わりがなかった。幕間にホワイエに出てきて、知り合いとおしゃべりされる姿も、変わりなかった。数年前に朝日歌壇の選者をやめてから、どうなさっておられるか気になっていた。歌人こそスーパーウーマンだ。

 かくいうわたしは、舞台の東次郎さんと生年月日が同じ(1937/05/05)という奇遇であるが、馬場さんにはかなわない。友枝・山本お二人はプロ舞台活動家だから動きがビシッとしてとしていてあたりまえだが、馬場さんもそうだからこちらが襟を正す思いだった。

 この能楽講演を観に行った目的の半分以上は、これらの3名人たちを実際の舞台上で観るということだった。実のところ、3か月前にチケットを買って当日までに、わたしもいれて超高齢者4人のうちの誰が欠けてもおかしくないとひそかに危惧もした。杞憂だった。

●狂言「花子」と能「喜界島」

 さて、肝心の舞台のことを書こう。
 馬場あき子の解説は、これまで横浜能楽堂で何度か聞いたが、今回のそれはホール公演だからだろうか、能初見者にもわかるような話だった。演能の後に3人の対談が舞台上で行われた。。東次郎さんと馬場さんは多く語り、友枝さんは少なかった。面白かった。

 狂言「花子」(はなご)を見るのは初めてと思っていたが、途中でいつか見たことあると気が付いた。狂言の演目の中では大曲とされて、めったに上演されないそうだ。こんなたわいもない話がなぜ大曲なのか?、男女間の機微についてのシテの語り謡い演技であろう。

 わたしには演技評価する能力はない。ただ、この演目は大蔵流山本家の剛直さを基本とする演技に向いているのだろうかと思う。いやいや、剛直さの中にこの軟弱そのものの内容を表現することで、その落差を楽しむのだろう。でも、東次郎の演技でそれは叶わなかった。いずれ和泉流あるいは歌舞伎舞踊「身代わり座禅」でも見たいと思う。 

麻生市民館ホール舞台に設けた仮設能舞台
舞台奥行きが2間半で、通常よりも1間分足りないし、橋掛かりも短すぎる

 喜多流の能「喜界島」は、同じストーリーだが観世流では「俊寛」という。詞章は若干異なるところもある。演出も若干違う。観世流俊寛は、3月に川崎能楽堂で観たので、ここに書いている

 観世と喜多の両流派の演出の違いで目に付いたのは、最後あたりに赦免船が俊寛を陸に残して出て行くところで、船と陸を結ぶ艫綱を伐る場面である。ここは俊寛が孤島に孤独な身を置かねばならぬと決定するかなり重要な場面である。

 この場面で観世流では実際に橋掛かりの船から太い縄を出して、陸の舞台とつなぐ艫綱を表現する。出航する船の艫綱にすがる俊寛を、赦免使が綱を切断して置き去りにする。俊寛はわずかな希望も断ち切られて立ち尽くす。喜多流では実物の綱は登場しなかったが、もちろんその綱があるものとして、切断の演技する。

 ずっと前にどこかで見た「俊寛」では、綱の現物を見た記憶がある。綱の現物の有無でどう違うだろうか。そこで思い出すのは、能「隅田川」で子方を出すか出さないかという演出のことである。同じようなことだろうか。

 現物の綱がある方が迫力あるが、綱の自在に曲がる形が、抽象化された舞台上ではリアル過ぎるようにも、前回の俊寛を見ているときに思ったものだった。馬場・山本。友枝3人のアフタートークでも、綱のあるなしが話題になっていた。

 橋掛かりが短か過ぎて、最後の場面での船と陸の間が次第に遠く離れて行き、俊寛の孤独を深めていく空間が足りないのだった。やはりこれは本物の能楽堂で演じるべき曲であろうと思った。

ホール内は階段客席ばかりで、杖付き老衰年寄りには昇り降りが怖い

●バリアフルな便所と見所

 さて、最後に老酔録にふさわしく、劇場のバリアフリー状況を書く。そう、よれよれ老人の劇場での苦労話である。小田急の新百合丘駅から、劇場までのルートは、杖付き老人には何とか円滑だった。問題は劇場建築の内部である。

 席に着く前に小便所に行く。ホワイエから地下へ半階分の階段を歩いて上下しなければならない。休憩時間にホワイエの中に長い行列があり、最後尾に「ここが末尾です」とのプラカードを掲げる人がいる。何事?と列の先をみれば女性便所バリアーだ。

 さてホール内(能楽堂では観客席を見所という)に入れば、約1000席全部が階段客席、客席間通路階段には手すりが無いのは常識で、よろよろと杖に頼って昇り降りする。しかもこの階段は座席寸法上の制約だろうか、踏み幅と高さが交互に異なるので怖い。

 そんなよろよろ老人はほかにも多いので、なんだか安心するような、逆に余計に腹が立つような。座席の一部に縦型の掴まり棒を取り付けてあるところがあった。初めて見たが、これは良い。だがほんの一部のみだったので、これを階段通路座席全部に取り付けてほしい。

 古い設計のホールだからだろうが、バリアフルな施設だった。いや、そういっては設計者に気の毒だ。女性便所の数が少ないのは設計ミスとしても、階段らだけバリアフル設計は、こちらが身体にバリアを次々と作った結果で発生したバリアだね。

(2025/05/04記)

ーー本サイト関連ページーー

趣味の能楽鑑賞瓢論集

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