ところが、本ではなくて、ウェブサイトに載せている本、つまり電子本の場合はどうするのだろうか。まあ、いずれ買う人がいなくなるから、それでいいのだ、なのだろうか。でも、紙の本と違って、自然に消滅はしない。
こんなことを考え出したのは、だれかが忘れられる権利とか言い出して、ネット情報屋さんが、申告した人の情報を消すということがニュースにあったからだ。
わたしはニフティに入会したのはもう30年以上も前だったか、そこのサーバにはわたしがナンダカンダと乗せている論文や雑文類が、数えきれないほどある。
最初の日付になっているものは、学生時代の卒業研究の学会発表論文だから、半世紀分以上の駄文集である。
つまり、これはわたしにとっては人生アーカイブスである。あのころはこんな言っていたのだと、たどることができる。
わたしが死んだら(死ななくてもボケたら)、プロバイダーとの契約は不要になる。契約を切ったら、頼まなくてもわたしの「まちもり通信」サイトは削除されるのだろう。
まあ、それでよいのだけれど、若干は未練が残る。
そこで考えたのだが、ニフティは金の切れ目が縁の切れ目だろうから、こちらが会費をはらわなくなると「まちもり通信」サイトは消えるだろう。
でも、補完的に併用しているグーグルサイトは無料だから、こちらが死んでも先方は気が付かない。だから、わたしの駄文を、死後もサーバーに保管してくれるのだろう、たぶん。
ということで、死ぬかボケの準備として、ニフティサイトの駄文類をグーグルサイトにコピーする作業を始めた。
こっちがニフティサイトHP
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm
こっちがグーグルサイトHP(まだ制作中)
https://sites.google.com/site/machimorig0/
ヒマだからいいようなものだが、これがまあ、分っていはいたが、コピーする数が多いので大変である。いちいち文をコピーしてグーグルサイトのページに移し、写真をダウンロードしてこれまたアップロードと、原始的極まりない。
いまどき、もっと簡単なやりかたがあるのだろうとも思うが、知らないからしょうがない。
それに、もっと今どき流のちゃらちゃらデザインにした方が良いのかもしれないが、もともとが読みたいお方だけが読めばよろしいって態度で作ってるんだから、これでいいのだ。
でも、やってて面白いのは、自分の人生アーカイブスをたどるのだから、そうか、あのころのオレはこう考えていたんだな、今と大差ないなあ、とか、もっといい考えがあったのになあとか、客観的に人生を振り返ることである。
まさにこれは老人の遊びである。
そういえば、終活という言葉があるらしい。人生の終りのための活動のことであるから、今わたしがやっていることは、気がつけば終活であるのだった。
そうだよなあ、オレの歳ならそうだよなあ。でも往生際が悪いよなあ。
ほかの往生際の悪い老人どもは、自分のウェブサイト終活をどうやってるんだろうか。
あ、そうだ、話を本のことに戻して、今ある何千冊かの蔵書をどうするのか、この終活もやらなきゃならんなあ。だれかほしい人いたらタダであげるんだけどなあ。
都市系、建築系、民俗学系、能楽系、近代史系など、けっこう自分では面白い本があると思ってるんだけどなあ、もっとも、ずっと積ン読の未読本が多いなあ。
ちょっと、終活したい本棚の一部をお見せします。昔は自分が何を読むのか見せるって、かなり恥ずかしかったのになあ。ほしい本があればメールを下さい。