昨日(8月21日)、急に思い立って久しぶりに六本木に出かけた。六本木あたりの美術館巡りと街の変化も見てこようと思う。4年ぶりくらいだろうか。
まず「ギャラリー間」の「篠原一男展」を訪問。ここは初めて来る美術館だが、TOTOという陶器製品屋のショールームがあるビルの3階である。その前に地下鉄乃木坂駅からのアプローチでひどい目にあった。このあたりは坂だらけの地形だから、階段だらけである。今や杖付き老人のわたしはエレベータやエスカレータのお世話になっている。だが、ここではヨタヨタと急な階段を昇るしか行きようがないのであった。
ビル3階の展示場に入ると、大勢の外国人らしい人たちがいる。おお、こんなにも人が来るのかと見まわす。この篠原一男という建築家は、建築系の人たちには知られていても、一般にはほとんど知られていないだろう。大勢を前に男が2人英語でしゃべっている。解説のようだ。どうやら団体客らしいが普通の観光客ではあるまい。このひとたちは何者だろうか。
小さな展示場で住宅模型と原図そして写真類が展示してある。寡作の篠原にふさわしい規模だ。展示が「から傘の家」から始まる。今ではドイツのどこかに移設保存してあるらしい。先日死んだ詩人谷川俊太郎の家もある。傾いた土間で暮らすのは面白そうだと記憶がある。
「から傘の家」で思い出したが、篠原の先輩にあたる人で「番匠谷暁二」という都市計画家がいた。この人は主にヨーロッパを拠点として中東やアフリカの都市計画の仕事をした。その若い時に日本での建築作品に「正方形の家」があり、まさに「から傘構造」そのものであった。この家のことは松原康介氏の論文に詳しい。
わたしは東工大1年生(1957年)の時に、篠原に図学を教わった。その内容は忘れたが、図学演習にはけっこう面白く取り組んだことは記憶の底にある。在学中はそれ以上のことは無いのだが、その後に建築の雑誌に発表する作品には興味を持ったものだ。
だが、わたしが直接に接したことがある篠原の作品は一つだけ、東京工大百年記念館である。今は東京科学大学博物館というらしい。そういえば、この建築は図学の演習課題の実物のようである。東科大正門横にワニ口頭を振りかざすメカゴジラ姿は、かたわらに隈研吾設計の草叢建築を従えて好一対になっている。
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篠原一男設計・東工大百年記念館(東京科学大博物館) |
80年代初めに、東工大の研究室に篠原に会いに、近藤正一と一緒に訪ねた記憶がある。わたしは当時はRIAに在籍しており、建築家山口文象の作品と評伝(「建築家山口文象 人と作品」)を制作編集作業中だった。
山口は晩年に東工大非常勤講師をしていたので、山口と篠原に接点があったかと聞きに行った。篠原の口から一般的な話は出たが、山口との接点は特になかった。
篠原直筆の原図の展示がある。その木造住宅は小屋組みなんてものはなくて、どれも垂木構造のようだ。あの詳細圧縮表現とでも言うのだろうか、木造住宅の1/20の詳細平面図を懐かしく見た。わたしも昔々にこんな図面を真似して描いた覚えがある。
混んでいる3階を避けて4階に行き、見終わって3階に戻ると、もう誰ひとりいない。土曜日でも、篠原展を見に来る人はまれなのだ。ゆっくりと鑑賞して、辞したのであった。
この後に行こうする国立新美術館の「リビングモダニティ展」もそうだろうか。
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伊達美徳=まちもり散人
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