夢のわたしがいるところは、どうやら山川がある村のようである。その山中から、自分の家に戻りたいわたしは、草の繁る野の道を歩いている。
歩きにくい。ひょいと思いついて、そうだ、空中を飛べばよいのだ。さっそくピョンと飛び上れば、地上10mほどをスイスイと飛びだした。そうそう、こうやって行けばよいのだ。
おや、深くて広い渓谷があって、その手前に樹林がある。この谷を飛び越すかと、樹林の枝葉の間をくぐりぬけて、渓谷の青い水の流れの上を飛んでいく。
地上の水や緑、田畑の風景が美しい。
でも、こういう風景を、どうしてオレが知ってるんだろうかと、ふと疑問が浮かんだ。半分くらいは、これは夢なんだと、自分でも分かっていた感じである。
そこでわれながら思い出して可笑しいのは、そうか、これはグーグルアースをちょくちょく見ているからなんだと、夢の中の自分が納得したことであった。
大人になっても夢で空中を飛ぶことができるのは、グーグルのおかげであるのか、苦笑、、。
渓谷を飛び越えたところで、地上の道に降りると、目の前に廃屋があり、このあたりから集落である。
ここの空中を飛ぶと、家の中を覗くことができて、面白いかな、いや、騒ぎなるからやめとこう、なんて、夢なのに妙に分別が働いた。
ここからは地上を歩く。夢を思い出しても、現実のわたしは知らない集落風景なのだが、夢の中のわたしは何度も歩いた道で、その先がどこにいくのかわかっている。
そこから先の夢は支離滅裂になって、突然に親戚に家に泊まっていることになって、その家に戻って、自分の荷物のリュックサックをもって出ようとするのだが、もう、うまく思い出せない。
空飛ぶ夢は、だれでも少年時には見るらしい。わたしもそうだった。しょっちゅう見ていた。
わたしの生家は、盆地を囲む丘の中腹にある神社であった。街の道のそばにある鳥居をくぐって石段の参道を20mほど登ると境内の広場になって、その一角にある家だった。社殿はそこからまた鳥居をくぐって、10mほど石段を登った広場に建っていた。
わたしの空飛ぶ夢は、家の前の参道の石段の一番上から、水平に空中に飛び出すのだ。
そのまま飛行して鳥居の上を越して、竹藪を下に見ながら街の上に出て、連なる瓦屋根の上を自在に飛び回る。
夢の中の街の空中からの風景は、生家のある丘の中腹から、いつも俯瞰している風景であるから、グーグルアースがなくてもよく分っていたのだ。
参照:高梁盆地
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