ようやくのことに例の大問題共同住宅建て替え決議が成立したたそうである。去年の半ばから大騒ぎだった、横浜市内にある大規模区分所有共同住宅(名ばかりマンション)のビルが傾いてきた事件である。
施工不良であったことが原因と分り、販売した三井不動産レジデンシャルがすべて責任を取って、買主に全額補償して立て直すことにした。
買った方はバカバカしい事件に巻き込まれてやりきれないことであろう。察するに余りあるが、そのバカバカしさは、名ばかりマンションなるものの宿命なのに、世間は気がついていないのだ。
揉めて揉めて一年後の昨日のこと、ようやく法に基づく建て替え決議が成立したが、それでも議決権数711件中賛成709件だから、全員同意ではないらしい。区分所有者数でも635件中633件が賛成だから、どうやら二人の頑強な反対者がいるらしい。
もっとも、賛成者の数の内には、かなりの数の事業者買取り戸数もあるだろう。それでもこれだけ多くの権利者たちが、たったの1年で建て替え決議の通過に持ち込んだのは、原因者が建て替え費用を全て負担し慰謝料も出すという、非常にまれな特殊な事例だからである。
一般的にこれだけ権利者が多いと、二人くらい(もっと多く)の反対者が居ても不思議ではないが、それにしても権利者たちには金銭負担が一切ないこのような建替え事例でも、全員同意にはならない。
ましてや、これが震災や火災あるいは老朽化によるような、管理組合による自主的な事業として、各自負担による建て替えならば、とてもこうはいかないだろう。
反対の2戸分をそのままでは建替え不可能だから、これから説得、買い取り、強制代執行とか、大変だろうと思うが、三井不動産レジデンシャルがやるのだろう。そこも自主建て替えと大いに違う。
さて、熊本でも震災があったが、被災区分所有型共同住宅(名ばかりマンション)は、どうしてるのだろうか。
相かわらずの超高層巨大共同住宅が建ちつつある東京圏、例えばにわか名ばかりマンションニューヨーク武蔵小杉とかでは、これから起きる大地震では、どうなるのでしょうねえ。わたしは借家住まいだから、そこのところは気楽だけどね。
参照:くたばれ名ばかりマンション論議
・1150【マンション撲滅論①:買ってはいけない7か条】こんな不安定な資産なのに世の人は大借金してまでなぜ買うのだろうか
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html
・1139【横浜名ばかりマンション傾き事件】真犯人は設計も監理も施工もグルでやった三井住友建設とようやくわかったぞ
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1139.html
・1138【横浜名ばかりマンション傾き事件】根本問題は基礎杭の欠陥工事じゃなくて「マンション」という区分所有方式共同住宅という欠陥システムにあるんだけどなあ
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1138.html
・1136【横浜名ばかりマンション傾き事件】基礎杭インチキ事件の真の責任者は孫請けか元請けか工事監理者か設計者か謎ばかりニュース
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1136_22.html
・968【くたばれマンション】だから言ってるでしょ、名ばかりマンション区分所有共同住宅ビルをやめろって
http://datey.blogspot.jp/2014/07/968.html
・・808「名ばかりマンション」をいまどき売る人買う人の気がしれない
http://datey.blogspot.jp/2013/07/808.html
・664くたばれ名ばかりマンション屋!大ウソつきがばれたぞ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/664.html
・くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju
2016/09/20
2016/09/18
1211毎年ふらふら変わる敬老の日は今年はいつなのか軽老朦朧老人にはさっぱり分からない
空中陋屋の窓から祭囃子が聞こえる。バルコニーから見下ろすと、このあたりの鎮守社であるお三宮神社のお祭りで、神輿渡御の行列が行く。
行列といっても20人もいたろうか、肝心の神輿は車に曳かれているから、ワッショイワッショイの景気よい声はないし、囃子も録音をラウドスピーカで流している有様。
雨もよいだから神輿は透明プラスチックレインコートを被っている。なんだか寂しいが、町内を神輿が渡御するだけでも、良しとしようか。
このあたりは中高層建築の共同住宅群の街である。わたしがそうである如く、各住宅ビルの各バルコニーから住人たちが顔を出して、道行く神輿を見下ろしている。
ほう、こんな人たちが住んでいるのかとそちらを眺めていて、おやおや、爺さん婆さんばかりだよ、いや、もちろんこちらも爺さんだけどね、休日というのに子どもの顔が見えない。
むかしむか~し、公団の住宅団地に住んでいた頃、こういうときにバルコニーから顔を出す人々は、だれもかれも若かったし、子どもの顔もたくさんだったことを思い出した。
そうか、明日は敬老の日だな、むかしむかしはそんな祝日はなかったよなあ、その後に年寄りが増えつつつある時代になって、敬老の日なんてのを発明したものだった。
いまや年寄りが増えすぎて、敬老よりも軽老へと時代の空気は変らざるを得ないよなあ。
その証拠には、敬老の日ってのは昔は9月15日に決まっていたのに、今じゃあ毎年毎年ふらふらふらと日取りが変って、今年は9月19日だそうだ。
ネットで調べたら、去年は9月21日、来年は9月18日だそうだ。
これって、人々の老いを敬う精神を高揚するするために、記憶の中に敬老の日として定めておくのじゃなくて、連休にしてしっかり遊びたいとか、観光業が稼ぎたいってことですよね、まあ、いいけどね、それでも、、、どうせ老人はジャマでショ。
そうだ、「子どもの日」ってのをもっと大切にしてはどうですか。あんな大連休の中に埋もれさせてしまうから、子どもを大切にって精神が忘れ去られてしまって、少子時代になったんでしょ。
あそうだ、「女性の日」を新設してはどうですか、あ、そうだ、あわせて「おんな子どもの日」がいいか。
参考までに、父の軍隊手帳によれば、1930年当時の祝祭日はこうだった。赤字の日付は名前を代えて今に続く。
四方拝(1月1日)、元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、
紀元節(2月11日)、春季皇霊祭(3月21日)、神武天皇祭(4月3日)、
天長節(4月29日)、秋季皇霊祭(9月24日)、神嘗祭(10月17日)、
明治節(11月3日)、新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)
行列といっても20人もいたろうか、肝心の神輿は車に曳かれているから、ワッショイワッショイの景気よい声はないし、囃子も録音をラウドスピーカで流している有様。
雨もよいだから神輿は透明プラスチックレインコートを被っている。なんだか寂しいが、町内を神輿が渡御するだけでも、良しとしようか。
このあたりは中高層建築の共同住宅群の街である。わたしがそうである如く、各住宅ビルの各バルコニーから住人たちが顔を出して、道行く神輿を見下ろしている。
ほう、こんな人たちが住んでいるのかとそちらを眺めていて、おやおや、爺さん婆さんばかりだよ、いや、もちろんこちらも爺さんだけどね、休日というのに子どもの顔が見えない。
むかしむか~し、公団の住宅団地に住んでいた頃、こういうときにバルコニーから顔を出す人々は、だれもかれも若かったし、子どもの顔もたくさんだったことを思い出した。
そうか、明日は敬老の日だな、むかしむかしはそんな祝日はなかったよなあ、その後に年寄りが増えつつつある時代になって、敬老の日なんてのを発明したものだった。
いまや年寄りが増えすぎて、敬老よりも軽老へと時代の空気は変らざるを得ないよなあ。
その証拠には、敬老の日ってのは昔は9月15日に決まっていたのに、今じゃあ毎年毎年ふらふらふらと日取りが変って、今年は9月19日だそうだ。
ネットで調べたら、去年は9月21日、来年は9月18日だそうだ。
これって、人々の老いを敬う精神を高揚するするために、記憶の中に敬老の日として定めておくのじゃなくて、連休にしてしっかり遊びたいとか、観光業が稼ぎたいってことですよね、まあ、いいけどね、それでも、、、どうせ老人はジャマでショ。
そうだ、「子どもの日」ってのをもっと大切にしてはどうですか。あんな大連休の中に埋もれさせてしまうから、子どもを大切にって精神が忘れ去られてしまって、少子時代になったんでしょ。
あそうだ、「女性の日」を新設してはどうですか、あ、そうだ、あわせて「おんな子どもの日」がいいか。
参考までに、父の軍隊手帳によれば、1930年当時の祝祭日はこうだった。赤字の日付は名前を代えて今に続く。
四方拝(1月1日)、元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、
紀元節(2月11日)、春季皇霊祭(3月21日)、神武天皇祭(4月3日)、
天長節(4月29日)、秋季皇霊祭(9月24日)、神嘗祭(10月17日)、
明治節(11月3日)、新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)
2016/09/10
1210【本つくり趣味】この夏は趣味の本つくりで「歌集」に没頭していて暑さを忘れていた
今朝起きたら、ツクツクボーシの鳴き声がする、おお、秋だなあ。
今年はとうとうわが書斎兼工房兼寝室を、冷房しないままに秋が来てしまった。
この夏は冷房しないで過ごそうと決めたのは、うまくいけば、熱中症でポックリとなるだろうって期待をしたのだ。ついでに電気代も少ないエコ生活にもなるという一挙両得?も。
ところが、意外というか残念というか、あまり暑い日がなかったし、暑い日は風が吹き抜けて、なんとか過ごしてしまった。だからポックリの目論見が外れた。
もっとも、本当は暑い日があったのかもしれないが、歳とると気温に鈍感になって、暑さが身に応えなくなったのかもしれない。それはそれでエコな体質でよろしい。
もうひとつ冷房しなくても過ごした大きな原因は、この夏は趣味に没頭していて、暑さを心がはねのけたのかもしれない。
その趣味とは「本つくり」である。この夏はその趣味を生かして、他人様の「歌集」をつくったのだ。6月から編集にかかり、7月に校正、8月に入ってから100冊を造本した。
これにかかりきりの夏は、心頭滅却すれば火もまた涼しの心境で、暑さも逃げたらしい。
3人の幼馴染が、それぞれの趣味を持ち寄って、歌集を作ったのである。
ひとりは歌を詠み、ひとりは花をつくるのが趣味であり、わたしは本をつくるのが趣味だが、3人は全く別々の遠隔地に住むので、一度も顔をあわせることなく、インタネットで結んでの作業であった。いつもは自著の本しか作らないのに、珍しくも他著の本つくりである。
歌つくり、花つくり、本つくりという、それぞれの趣味を生かして、薔薇の花が彩る可愛らしい歌集が生れた。
今月になり、その歌集を遥か西の地の二人に送りとどけたら、いつのまにかミンミンゼミが去ってツクツクボーシの鳴く秋になっていた。
その歌集に書いた「あとがき」を載せておく。その歌集の出自を書いておいた。
◆◆◆
(あとがき) 本つくり まちもり散人(伊達 美徳)
日常の只事をそっと掬い、はらり羽化させると言霊の蝶になり、軽やかに舞う翅はしばし花に休らう、そんな歌に花を添える歌集の本をつくりたかった。
本つくり…これがわたしの趣味、書斎机の電子道具と百円文具を操って、原稿書きから編集装幀印刷製本へと独り愉しむ紙工作の手芸である。
できた自著自作本を、ひとさまに読めよ観よと押しつけるのも愉しく、そのなかに高梁盆地オマージュ本の『美しい故郷へ』もある。
他著自作本も稀に手がけるので、幼馴染の媼二人に押しかけ勧誘メールをした。
近作の歌花集め書に編まむボケの雲霧湧きくる前に
かくして高梁三原横浜なる歌人花人散人の文芸園芸手芸を電網に結んで編めば、春楡の樹の下にぽかりまたぽかりと歌集が三年に二つ生れ出た。
はからずも喜寿傘寿記念にもなり、お互いおめでたくてホッとしている。折りから高校卒業還暦同期会にて、これが旧友たちへの挨拶がわりにもなれば、造本担当としてもぼっこー嬉しい。
◆◆◆
関連ページ
◆「まちもり叢書」自家製ブックレットシリーズ
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html
◆1007短歌を詠んだがいつもは詠む趣味はないから突然の歌人
http://datey.blogspot.jp/2014/10/1007.html
今年はとうとうわが書斎兼工房兼寝室を、冷房しないままに秋が来てしまった。
この夏は冷房しないで過ごそうと決めたのは、うまくいけば、熱中症でポックリとなるだろうって期待をしたのだ。ついでに電気代も少ないエコ生活にもなるという一挙両得?も。
ところが、意外というか残念というか、あまり暑い日がなかったし、暑い日は風が吹き抜けて、なんとか過ごしてしまった。だからポックリの目論見が外れた。
もっとも、本当は暑い日があったのかもしれないが、歳とると気温に鈍感になって、暑さが身に応えなくなったのかもしれない。それはそれでエコな体質でよろしい。
もうひとつ冷房しなくても過ごした大きな原因は、この夏は趣味に没頭していて、暑さを心がはねのけたのかもしれない。
その趣味とは「本つくり」である。この夏はその趣味を生かして、他人様の「歌集」をつくったのだ。6月から編集にかかり、7月に校正、8月に入ってから100冊を造本した。
これにかかりきりの夏は、心頭滅却すれば火もまた涼しの心境で、暑さも逃げたらしい。
3人の幼馴染が、それぞれの趣味を持ち寄って、歌集を作ったのである。
ひとりは歌を詠み、ひとりは花をつくるのが趣味であり、わたしは本をつくるのが趣味だが、3人は全く別々の遠隔地に住むので、一度も顔をあわせることなく、インタネットで結んでの作業であった。いつもは自著の本しか作らないのに、珍しくも他著の本つくりである。
歌つくり、花つくり、本つくりという、それぞれの趣味を生かして、薔薇の花が彩る可愛らしい歌集が生れた。
今月になり、その歌集を遥か西の地の二人に送りとどけたら、いつのまにかミンミンゼミが去ってツクツクボーシの鳴く秋になっていた。
歌集『ぽかりぽかり 2007~2016』 歌つくり:藤本孝子、花つくり:定森治子、本つくり:まちもり散人 |
その歌集に書いた「あとがき」を載せておく。その歌集の出自を書いておいた。
◆◆◆
(あとがき) 本つくり まちもり散人(伊達 美徳)
日常の只事をそっと掬い、はらり羽化させると言霊の蝶になり、軽やかに舞う翅はしばし花に休らう、そんな歌に花を添える歌集の本をつくりたかった。
本つくり…これがわたしの趣味、書斎机の電子道具と百円文具を操って、原稿書きから編集装幀印刷製本へと独り愉しむ紙工作の手芸である。
できた自著自作本を、ひとさまに読めよ観よと押しつけるのも愉しく、そのなかに高梁盆地オマージュ本の『美しい故郷へ』もある。
他著自作本も稀に手がけるので、幼馴染の媼二人に押しかけ勧誘メールをした。
近作の歌花集め書に編まむボケの雲霧湧きくる前に
かくして高梁三原横浜なる歌人花人散人の文芸園芸手芸を電網に結んで編めば、春楡の樹の下にぽかりまたぽかりと歌集が三年に二つ生れ出た。
はからずも喜寿傘寿記念にもなり、お互いおめでたくてホッとしている。折りから高校卒業還暦同期会にて、これが旧友たちへの挨拶がわりにもなれば、造本担当としてもぼっこー嬉しい。
◆◆◆
関連ページ
◆「まちもり叢書」自家製ブックレットシリーズ
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html
◆1007短歌を詠んだがいつもは詠む趣味はないから突然の歌人
http://datey.blogspot.jp/2014/10/1007.html
2016/08/22
1209【敗戦忌】父は三度の戦地から三度とも生還したが兵器となった釣鐘は戻らないまま
わたしの生家の御前神社にある釣鐘のない鐘楼 2015年 |
鐘楼の鐘も戻らぬ敗戦忌 (いすみ市)菊地正男
今朝の朝日俳壇入選句に、わたしの目がとまった。
そうだ、わたしの生家の神社の鐘楼がまさにそうだった。
もう敗戦忌から一週間も経ったか、今年は靖国神社に野次馬見物にも出かけない夏だったので、いつも書くのに忘れていたが、やっぱりあの日のことなど書いておこう。
わたしの生家は、城下町の高梁盆地をとり囲む丘陵の中腹にある神社であった。
長い石段の参道脇に、木造で3階建てほどの髙さの塔状の鐘楼があり、時の鐘が吊るされていた。
その鐘は、17世紀半ばに鋳造されてそこに釣られて以来、神社代々の宮司が毎日定時に撞いて街の人々に時を知らせる「時の鐘」であった。
太平戦争が始まる前年の1940年末に、その鐘は兵器となるために政府に供出されて出て行き、そのまま戻らない。 鐘楼だけが、いまだに立ち尽くしている。
![]() |
1926年の鐘楼の写真(高梁高校創立記念写真集56より) |
その鐘楼の1926年の写真があるから、少なくとも90年以上も前の建物だろう。
多分、かなり老朽化しているだろうに、今もすっくと立って、その役割を失ってからも、帰らぬわが子を待ち続けるかのように、よくぞ立ち続けているものである。
今年も「鐘楼の鐘も戻らぬ敗戦忌」であったはずだ。
鐘が出て行った1940年は、その鐘を撞く役割を勤めるべきわたしの父は、日中戦争で中国の北部にいた。戦場でも戦死者の祭祀を司っていたらしい。
1938年に神社を出て大陸に渡り、戻ってきたのは1941年の5月であった。父の兵役はこの時が2度目であり、最初は満州事変のとき、更に3度目が太平洋戦争のときだった。
![]() |
1940年元旦、紀元2600年記念で 鐘を2600回撞いた |
1943年、3度目の召集令状で出て行った父を、母はわたしを連れて駅に見送った。
そして家に戻るやいなや、いきなり泣き伏した。ひとり畳に伏して号泣する母のそばで、幼いわたしは意外な母の行動におどろき、ただぼう然とするばかり、12月のことだった。
父は南方に送られるべく姫路城にある兵舎で輸送船舶を待っていた。時々は母と面会に行ったし、時には父が休日に戻ってきたりしたのは、未だ戦火が国内に来ない頃だったのだろう。
1945年の7月、戦火を避けて集団疎開児童が神社にやってきた。芦屋市精道国民学校初等科6年女生徒20人と職員1名が、社務所の中で暮らすようになった。
この子たちがいない間の芦屋は、アメリカ軍の空爆で大被災し、なかには孤児になった児童もいたようである。
そして8月15日の真昼、社務所玄関前に近所の人々と疎開児童たちが集まり、一台のラジオ受信機をとりまいた。
森の中に降りしきる蝉しぐれとともに聴く、音の悪いラジオ放送が終わると、近所の人々は黙りこくって一列となり、石段を下って鐘のない鐘楼のそばを通り、神社の森からとぼとぼと抜け出て行った。
沈黙の湖になりたる盆の地よ昭和二十年八月真昼
(まちもり散人2014年詠)
(まちもり散人2014年詠)
疎開児童たちは芦屋に戻って行き、街には戦場から戻る人たちがぼつぼつと増えていった。
わたしも父が戻ってくるかもしれないと、石段の上から参道を見下ろして毎日毎日待ち受けていた。ある日、鐘楼のそばの石段を登ってくる父を見つけて、飛びついた。
後に調べると、それは1945年8月31日のことだった。父はその年の初めから、小田原に移っていた。制海権を敵に取られて、姫路で待っていた南方への輸送船はやってこなかったのだ。
小田原では本土決戦とて、湘南海岸から上陸してくる敵兵を迎え撃つべく、丘陵に穴を掘って戦場陣地の構築をしていたのであった。
8月15日の小田原空襲ものがれて、無事に戻ってきたきたわたしの父は、3度の戦場を生き抜いた強運の人でああった。
わたしの身内では、母方の叔父が戻ってこなかった。父と違って運悪く輸送船が間に合ってしまい、フィリピンルソン島マニラの東方山中の戦場に消えた。後に若妻と乳飲み子がのこった。
戦争が終わって、父は戻ってきたが、鐘は鐘楼に戻ってこなかった。
むなしい鐘楼を何とかしたいと父は思ったのであろう、1946年の夏、その鐘がまだあるかもしれないと、父と伯父は各息子を連れて、瀬戸内海の直島にさがしに行ったことがある。
各地からこの島に集めた鐘を、島にあった製錬所で溶融して兵器にしたらしい。樹木がひとつも生えていない丸禿げの島だった。
集められたまま熔かされないでいた無数の釣鐘の群れが、野天の荒れ地に累々と並んで夏の太陽に照らされていた有様は、子ども心にもなんともシュールな風景であった記憶がある。
背丈より高い釣鐘の林を歩き回って探したが、生家の神社のそれは見つからなかった。
その直島の製錬所は、いまは三菱マテリアル直島製錬所となり、工場見学もできるそうだが、戦争と鐘の記憶を伝えているだろうか。
それからかなりの後に聴いた話で、わたしも父も盆地を離れてからのことだが、その鐘楼にプラスチック製の釣鐘を寄附した人がいた。
その鐘は、テープレコーダとスピーカにつながっていて、録音の鐘の音が定時に自動的に街に鳴り響いて、時を告げていたそうだ。いまはその鐘もない。
そういえば、とっくに100年を超える本殿と拝殿は今も健在だが、疎開児童が暮らした社務所は建替えられたし、わたしが育った宮司の住宅も今はもう無い。
あの鐘楼は100年の命を保つことができるだろうか。
◎関連するわたしのサイトページ『父の十五年戦争』
https://matchmori.blogspot.com/p/15senso-0.html
2016/08/15
1208【熊本城と師匠】地震で壊れた熊本城の復興に平井聖先生が登場で相変わらず元気な八十路の師匠
熊本地震で壊れた熊本城のニュースに、わたしの師匠の平井聖さんの名を見つけた。八十路半ばをとっくに越えても超元気な師匠である。
熊本城は、西南戦争で大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年に大小天守などをコンクリートで再建した。その時の設計者が平井さんの師匠である藤岡通夫先生だから、助手であった平井さんも設計に携わった。
以後、ずっと熊本城に関わり続け、近年では本丸御殿や南大手門などの復元の指導もされたが、更にこのたびの震災では復興に張り切っておられるニュースである。
まったくもってお元気すぎる師匠である。
年に一度の師匠を囲む弟子たちの会では、弟子のたちの方が呆けたり没したりするのに、師匠は昔と変わらずにひょうひょうと現れて、また珍妙な新カメラをとりだし、スマホで操作して自慢して見せたりなさる。いまごろはポケモンGOなんぞ、もしかして、、。
わたしはある年のその会をうっかり忘れて家に居たら、その会場から「今どこにいるの?」と師匠の声の電話、ハッと気が付き絶句したものだ。
もっとも、その前の年の会では、師匠が日を間違えたために、師匠不在の師匠を囲む会となったから、まあ、引き分けではある。
NHK大河ドラマでは、もう四半世紀も建築考証者を務めておられる。
いまの「真田丸」のタイトルクレジットにもその名が登場するが、その背景にある城郭画像の一部は、わたしの生まれ故郷にある備中松山城である。次に会ったら話題にしようと思う。
わたしが建築史の藤岡通夫先生につき、当時は助手の平井さんに指導を受けることになったのは、この備中松山城を遊び場として城下町で育ったがゆえである。
ついでに師匠に便乗して我田引クリック、わたしが平井先生の弟子(もちろん不肖の)である証拠↓。
・遺構による近世公家住宅の研究(大学卒業研究論文1960)
・修学院離宮中茶屋及び法然院方丈について(日本建築学会論文1961)
・京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る(2015)
熊本城は、西南戦争で大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年に大小天守などをコンクリートで再建した。その時の設計者が平井さんの師匠である藤岡通夫先生だから、助手であった平井さんも設計に携わった。
以後、ずっと熊本城に関わり続け、近年では本丸御殿や南大手門などの復元の指導もされたが、更にこのたびの震災では復興に張り切っておられるニュースである。
まったくもってお元気すぎる師匠である。
年に一度の師匠を囲む弟子たちの会では、弟子のたちの方が呆けたり没したりするのに、師匠は昔と変わらずにひょうひょうと現れて、また珍妙な新カメラをとりだし、スマホで操作して自慢して見せたりなさる。いまごろはポケモンGOなんぞ、もしかして、、。
わたしはある年のその会をうっかり忘れて家に居たら、その会場から「今どこにいるの?」と師匠の声の電話、ハッと気が付き絶句したものだ。
もっとも、その前の年の会では、師匠が日を間違えたために、師匠不在の師匠を囲む会となったから、まあ、引き分けではある。
NHK大河ドラマでは、もう四半世紀も建築考証者を務めておられる。
いまの「真田丸」のタイトルクレジットにもその名が登場するが、その背景にある城郭画像の一部は、わたしの生まれ故郷にある備中松山城である。次に会ったら話題にしようと思う。
わたしが建築史の藤岡通夫先生につき、当時は助手の平井さんに指導を受けることになったのは、この備中松山城を遊び場として城下町で育ったがゆえである。
![]() |
備中松山城 photo DATEY |
ついでに師匠に便乗して我田引クリック、わたしが平井先生の弟子(もちろん不肖の)である証拠↓。
・遺構による近世公家住宅の研究(大学卒業研究論文1960)
・修学院離宮中茶屋及び法然院方丈について(日本建築学会論文1961)
・京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る(2015)
2016/08/06
1207【オリンピック騒ぎ】観戦スポーツ競技こそが大衆ドーピングポピュリズムの源泉か
朝日新聞、いつからスポーツ新聞になったんだよ、野球やオリンピック記事はスポーツ専門紙にまかせときなさいよ。
8月6日、広島原爆投下から71年目の日である。
ところがその日の夕刊は、第1面は地球の裏側で始まったオリンピックの記事ばかり、広島の記事を探せば、最終ページの片隅に、、。
観戦スポーツ嫌いの私は、読むページがどんどん減少する。その上、休刊日も増えるばかり。でも購読料はちっとも下がらない。もう購読をやめようっと、ネットで十分だよ、。
毎朝夕に新聞という屑紙がドサッと配達されてくる。オリンピックだの高校野球だの広告だの、読まない屑ページばかり増えてくる。
昨日の朝刊なんて、全40ページのうち、スポーツが9ページ、広告が10ページだから、半分は読まないでゴミに直行するページである。他のページも、バカな記事やら広告やらで、読まないところが多い。読んだところを正確に計算すると、2ページ分くらいかもしれない。でも、怖いから計算しない。そんなもの買い続けているのは、もう惰性でしかない。ああ、金がもったいない。
それに折り込み広告もあるから、新聞が発する紙ゴミの量は大量資源浪費である。われながらエコな生活ではない。
そこで罪滅ぼしに、手軽にできるエコ生活として冷房しないで暮らすことにした。今年はまだ一回もエアコンをつけていない。今日は暑かったなあ。
そのうちに熱中症でポックリ逝くだろうが、それは朝日新聞のせいである。まあ、ポックリ逝っても惜しくないし、それがいいなとも思っているから、新聞屋に感謝するか。
わたしはスポーツをやることを嫌いではないが、他人がやるのを見る、特にプロとかセミプロがやるのを見るなんて観戦ポーツには、全くなじめない。観戦者一同声をそろえて応援なんて、大いに気持ちが悪い。
昨夜、横浜中華街を歩いていたら、YOKOHAMAとある青シャツ若者の大群が歩いてきた。どうやら横浜球場のナイトゲームからの流れらしいが、同じ格好で街中をうろうろして、恥ずかしいよなあ。
どうしてこんなにも観戦スポーツ記事が多いのだろうかと、ずーっと不思議でならない。観戦スポーツ嫌い論が新聞にもTVにも登場しないが、だれもが好きなんだろうか。
オリンピックとなると、だれもかれもが国粋主義に陥るのが不思議だ。国旗振り回し、国家歌って、気持ちが悪い。
もっと気持ちが悪いのは、ドーピングである。大資本商業主義と偏狭ナショナリズムに堕落しきったスポーツ界から、魑魅魍魎がどす黒いウンコとヘドになって噴出してきた。
こんなニュースを読めば、みんないい加減うんざりしそうなものを、オリピックだの高校野球だのって、トップ記事にする新聞屋を不思議に思う。まあ、それを喜んで読むやつが多いから仕方ないか。TVを見ないから知らないが、そっちも酷いことになっているのだろうなあ。
どうもそれは、トランプ大統領候補とか、EU離脱国民投票とか、小池百合子ブッチギリ当選とか、ついでに右翼言動防衛大臣登場とか、近ごろ妙なポピュリスム現象が流行するのと通底するところがありそうだ、なんてつい思っちまうよ。
ところでドーピング問題である。ここまで根深くスポーツ界に浸透してるのなら、いっそのことすべてドーピング解禁しなさいよ。ドーピングで他人に迷惑がかかることもない。禁酒法と同じで、禁止すればするほど犯罪者をつくる。裏で儲けるやつが出てくる。
ドーピングでアスリートが体を壊すのは、それで成績よくなって儲けることとバーターである。オープンにすれば身体に良くない薬は、自然に淘汰されるだろう。
そもそもスポーツ用の特別の靴なんてものもドーピングでしょ。裸足でやりなさいよ、初期のアベベみたいに。
棒高跳びを竹の竿でやりなさい。昔の弓矢の競技が今は鉄砲撃ちになるなんて、最悪のドーピングでしょ。
早く泳げる水着なんてのもいつか問題になったとき、水泳競技を全裸でやれと、わたしはこのブログに書いた。あ、そうだ、古代オリピックは全裸でやったらしい。
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html
考えてみると、観戦スポーツは大衆ドーピングそのものである。4年もかけてじわじわと観戦スポーツというヤクを打ち続けて中毒患者をつくり、4年目ごとに一気にカラ騒ぎオリンピック大会でヤク中毒症状の極に達する。
それは広島の原爆忌記事さえも片隅に押しやってしまう強烈なヤク中毒であることを、今日の朝日新聞夕刊が示している。多分、この後の長崎原爆忌も敗戦記念日もそうなるだろう。
まあ、テロ事件とか、スキャンダルのドーピングとか八百長事件なんて、起きないことを期待するが、いっぽうで、そのたぐいの事件が起きてくれると、わたしもスポーツ記事を読むことができて、いくぶんかゴミじゃない新聞が来るかもなあと、不謹慎な期待もある。
ところで、南半球は今は冬だからいいけど、4年後の東京でもこの時期にオリンピック大会をやるのだろうか。
わたしは興味ないからどうでもいいようなもんだけど、まあ、観戦スポーツ好きな方も競技に出る方も、このくそ暑い中を物好きなことよ。
参照 2008/06/10水着で水泳競技記録が左右されるのが問題なら全裸で泳げ
8月6日、広島原爆投下から71年目の日である。
ところがその日の夕刊は、第1面は地球の裏側で始まったオリンピックの記事ばかり、広島の記事を探せば、最終ページの片隅に、、。
2016/08/07朝日新聞夕刊 第1面と最終面 |
そして8月7日の朝刊もかくごとく、スポーツ新聞状態。
2016/08/08朝日新聞朝刊もこの扱い! |
ところが、おなじ8月7日の東京新聞、こっちに替えようかな。
そして8月10日もこの有様
毎朝夕に新聞という屑紙がドサッと配達されてくる。オリンピックだの高校野球だの広告だの、読まない屑ページばかり増えてくる。
昨日の朝刊なんて、全40ページのうち、スポーツが9ページ、広告が10ページだから、半分は読まないでゴミに直行するページである。他のページも、バカな記事やら広告やらで、読まないところが多い。読んだところを正確に計算すると、2ページ分くらいかもしれない。でも、怖いから計算しない。そんなもの買い続けているのは、もう惰性でしかない。ああ、金がもったいない。
それに折り込み広告もあるから、新聞が発する紙ゴミの量は大量資源浪費である。われながらエコな生活ではない。
そこで罪滅ぼしに、手軽にできるエコ生活として冷房しないで暮らすことにした。今年はまだ一回もエアコンをつけていない。今日は暑かったなあ。
そのうちに熱中症でポックリ逝くだろうが、それは朝日新聞のせいである。まあ、ポックリ逝っても惜しくないし、それがいいなとも思っているから、新聞屋に感謝するか。
わたしはスポーツをやることを嫌いではないが、他人がやるのを見る、特にプロとかセミプロがやるのを見るなんて観戦ポーツには、全くなじめない。観戦者一同声をそろえて応援なんて、大いに気持ちが悪い。
昨夜、横浜中華街を歩いていたら、YOKOHAMAとある青シャツ若者の大群が歩いてきた。どうやら横浜球場のナイトゲームからの流れらしいが、同じ格好で街中をうろうろして、恥ずかしいよなあ。
どうしてこんなにも観戦スポーツ記事が多いのだろうかと、ずーっと不思議でならない。観戦スポーツ嫌い論が新聞にもTVにも登場しないが、だれもが好きなんだろうか。
オリンピックとなると、だれもかれもが国粋主義に陥るのが不思議だ。国旗振り回し、国家歌って、気持ちが悪い。
もっと気持ちが悪いのは、ドーピングである。大資本商業主義と偏狭ナショナリズムに堕落しきったスポーツ界から、魑魅魍魎がどす黒いウンコとヘドになって噴出してきた。
こんなニュースを読めば、みんないい加減うんざりしそうなものを、オリピックだの高校野球だのって、トップ記事にする新聞屋を不思議に思う。まあ、それを喜んで読むやつが多いから仕方ないか。TVを見ないから知らないが、そっちも酷いことになっているのだろうなあ。
どうもそれは、トランプ大統領候補とか、EU離脱国民投票とか、小池百合子ブッチギリ当選とか、ついでに右翼言動防衛大臣登場とか、近ごろ妙なポピュリスム現象が流行するのと通底するところがありそうだ、なんてつい思っちまうよ。
ところでドーピング問題である。ここまで根深くスポーツ界に浸透してるのなら、いっそのことすべてドーピング解禁しなさいよ。ドーピングで他人に迷惑がかかることもない。禁酒法と同じで、禁止すればするほど犯罪者をつくる。裏で儲けるやつが出てくる。
ドーピングでアスリートが体を壊すのは、それで成績よくなって儲けることとバーターである。オープンにすれば身体に良くない薬は、自然に淘汰されるだろう。
そもそもスポーツ用の特別の靴なんてものもドーピングでしょ。裸足でやりなさいよ、初期のアベベみたいに。
棒高跳びを竹の竿でやりなさい。昔の弓矢の競技が今は鉄砲撃ちになるなんて、最悪のドーピングでしょ。
早く泳げる水着なんてのもいつか問題になったとき、水泳競技を全裸でやれと、わたしはこのブログに書いた。あ、そうだ、古代オリピックは全裸でやったらしい。
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html
考えてみると、観戦スポーツは大衆ドーピングそのものである。4年もかけてじわじわと観戦スポーツというヤクを打ち続けて中毒患者をつくり、4年目ごとに一気にカラ騒ぎオリンピック大会でヤク中毒症状の極に達する。
それは広島の原爆忌記事さえも片隅に押しやってしまう強烈なヤク中毒であることを、今日の朝日新聞夕刊が示している。多分、この後の長崎原爆忌も敗戦記念日もそうなるだろう。
まあ、テロ事件とか、スキャンダルのドーピングとか八百長事件なんて、起きないことを期待するが、いっぽうで、そのたぐいの事件が起きてくれると、わたしもスポーツ記事を読むことができて、いくぶんかゴミじゃない新聞が来るかもなあと、不謹慎な期待もある。
ところで、南半球は今は冬だからいいけど、4年後の東京でもこの時期にオリンピック大会をやるのだろうか。
わたしは興味ないからどうでもいいようなもんだけど、まあ、観戦スポーツ好きな方も競技に出る方も、このくそ暑い中を物好きなことよ。
参照 2008/06/10水着で水泳競技記録が左右されるのが問題なら全裸で泳げ
2016/07/21
1206【住みたい街?武蔵小杉】ムサコタワマンニューヨークは川崎国際交流拠点を目指すのか
「1205【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅いわゆるマンションの新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った」から続く
熊五郎 こんにちわ、ご隠居、おや、マンション広告なんか読んでて、珍しいね。
ご隠居 おや、熊さん、いらっしゃい、うん、今日は新聞が休みって、しょうがないから昨日の折り込み広告を読んでるんだよ。
熊 でも、ご隠居はマンションを大嫌いでしょ。「名ばかりマンション」とか言って。
隠 そう、嫌マンだよ。区分所有型共同住宅だから「分有アパートメント」と言ってる。分譲じゃないよ、譲ってないもんね。
熊 なんでそんなもの読むんですか、ほかに読むものありそうなものを。
隠 単なるヒマツブシだよ、でもね、写真はでかいけど字が小さくて困ってた、讀んでおくれよ、ついでにそこのPCでスキャンしてね。
熊 はいはい、こりゃ小さい字だねえ、しかも区切りなく書くって、わざと読ませないんでしょね、どうしてかな。
隠 なになに、「武蔵小杉最大の免震ツインタワー」だってさ、あんなところに超高層かい。
熊 あのね、ムサコってね、今はタワマンばっかりですよ。
隠 なんだい、ムサコってむさ苦しい、タワマンて撓まん、な~んてね。
熊 ケッ、武蔵小杉を略してムサコ、タワーマンションを略してタワマン。
隠 ふむ、ワイセツ語とも知らずに二子玉川をニコタマって言うようなもんだな、あのね、あの街は本当は小杉なんだよ、武蔵小杉ってのは鉄道駅の名だよ。町名に小杉一丁目はあっても、武蔵小杉なんて無いよ。東横沿線の人たちは武蔵なんてつけないよ。
■えっ、ムサコでオクション
熊 はいはい、え~と、で、このタワマン、いや、分有アパートメントハウス、1億円と書いてありますよ。
隠 エッ、あのむさ苦しいムサコ、いや小杉の工場街でオクションかい、まさかね、おまえさん、桁間違いだろ。
隠 高いのか安いのか相場が分らんが、知り合いが住む横浜都心賃借高層アパートは90㎡だよ、あれを買えばオクションかなあ、そうかなあ、う~む、、。
熊 それと、小杉はもう工場街じゃあなくて、工場はみんなマンションになっちまってね、ほれこのグーグルの写真を見てくださいよ。この広告のタワマンは左下の空き地に建つらしい。
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このタワマンは左下の空き地に建つらしい |
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現地の様子、こんな共同住宅街、右の塀の中に建つようだ |
隠 おお、これがあの小杉かい、工場群はどこに行ったんだい、へえ~驚いたね。で、この超高層アパート1本だけで613戸もあるのか、そんなに売れるものかい、しかもオクションだよ、あのむさ苦しいムサコでねえ、変れば変るもんだねえ。
■カンワカンワでタワマンだらけ
熊 で、これがそのタワマンの一番上の階から見る景色だそうですよ。
隠 なんだい、ちょぼっとしかタワマンがないぞ、あ、そうか、わざと見えない方を写してるんだな。
熊 でもねえ、そのうちにタワマンだらけになってね、そう、こうなるかもしれませんよ。
隠 おお、すごいねえ、そんなに建てても売れるわけないだろ、都市計画も許さないよ。
熊 都市計画は規制緩和カンワカンワ合唱ですからねえ、どうにでもなる世の中ですよ。
隠 おいおい、そりゃないよ、でも現実はねえ、都市計画は経済の従順な下僕になっているし、どこの都市計画審議会もいい加減だしなあ、トホホ。
■ヱビスジョージハマオカジュムサコ
熊 売れるってわけは、ほれここに「住みたい街ランキングで自由が丘と肩を並べる第4位となった武蔵小杉」って書いてありますよ。
隠 なんだいそのランキングってのは。
熊 ネットで見ると、SUUMOって住宅・不動産購入サポート情報サイトにでてきます。不動産屋のアンケートだから、どこまで信用していいのか分りませんがね。
隠 そうだね、まあいいや、で、ランキングのベスト5はどこなんだい。
熊 いいですか、1番は恵比寿、2番は吉祥寺、3番は横浜、4番が自由が丘と武蔵小杉が同順位だそうですよ。では、これらの街の上空からの写真を並べましょう。同じスケールですよ。
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恵比寿駅周辺 |
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吉祥寺駅周辺 |
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横浜・関内駅周辺 |
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自由が丘駅周辺 |
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武蔵小杉駅周辺 |
隠 ほお、恵比寿はビール工場の街だったがねえ、吉祥寺って2年ばかり仕事で通ってたから懐かしいよ、でも横浜ってヘンだね、横浜駅前なんていいのかねえ、まさかMM21のタワマンじゃあるまいなあ、で、学生時代に隣町の緑ヶ丘に住んでた懐かしい自由が丘。
熊 で、ナンバーファイブがこの武蔵小杉ですよ、スゴイもんでしょ。
隠 なんだか武蔵小杉だけが、頭の中のイメージも、現実の写真も、他とはずいぶん違うけどなあ。
熊 そりゃもうご隠居の頭が古いってことですよ。ベストテンには目黒、池袋、新宿なんて昔なら田舎とか不良の街が入ってますからね。昔とは大違いですよ。熊 で、ナンバーファイブがこの武蔵小杉ですよ、スゴイもんでしょ。
隠 なんだか武蔵小杉だけが、頭の中のイメージも、現実の写真も、他とはずいぶん違うけどなあ。
隠 でもなあ、特にすぐ近くの自由が丘と武蔵小杉とは、余りに違いすぎるよ。同じランキングってオカシイよ、じゃあ、わたしが2002年まで住みついてた鎌倉はどうだい。
熊 え~と、あったあった、14番目ですよ、もう郊外住宅地が売れる時代じゃないってことですかね。
■ムサコタワマンNewYork
隠 こうやって小杉の街の今と昔と写真を比べるてみると、まったく隔世の感だね。小杉が川崎内陸部のものづくりの街じゃなくなって、ちょっと残念だなあ。タワマン街よりは特色があったと思うけどなあ。
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1963年の武蔵小杉駅周辺 工場ばかり |
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2003年武蔵小杉駅周辺 工場が空き地になりつつある 赤四角が広告タワマンの位置 |
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2015年武蔵小杉駅周辺 高層共同住宅街 黄四角が広告タワマンの位置 |
■internatinal MUSACO tower mansion project
熊 この広告って、あちこち英語で図面の部屋名も英語ですよ、格好つけてますね。
隠 いや、気取ってるんじゃなくて、外国人にも販路を広げるためだろ。そうだよ、もう日本じゃあ人口減で住宅需要なし、空き家がどんどん増えてる、だから売るのは海の向こうの市場を狙うしかないんだろなあ。
熊 あ、そうですね、たぶん、ほかに英米韓中越比露蘭獨仏の各語パンフもあって、国際都市川崎の戦略拠点形成の核となることを狙ってるんでしょうねえ、ハハ。
隠 おっ、じゃあ私も負けずに、インタナショナルムサコタワマンタウンプロジェクトだな。
熊 おっ、英語で来たな。
隠 でもなあ、そうなるとこの分有アパートメントハウス管理は大変だろうなあ。
熊 なんでです?
隠 だってさ、文化や価値観がかなり異なるこんなにも大勢の人たちがひとつの巨大巨額資産を共有するんだよ、組合つくってで仲良く運営管理するってかなり難しいだろうなあ。分有じゃなくて全有貸借型アパートメントハウスなら何とかなるけどなあ。
熊 もうすぐやってくる巨大地震で揺れに揺れて撓んだり壊れたりして、大規模修繕とか建て直しとかになっても、こりゃ意思疎通から合意形成そして全員同意へと大変でしょうねえ。
隠 撓んだまんまタワマンムサコゴーストシティにならないことを祈るばかりだよ。
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html
2016/07/19
1205【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅いわゆるマンションの新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った
●え、7月18日が祭日って?
今日は新聞が休みである。なぜだろうと聞けば、なんと昨日が祝日だったからだそうである。
え、7月18日が祝日???、初めて聞いたぞ、なんだよそれ、え、「山の日」だって?、、そんな日がいつできたか知らぬが、そのうちに川の日とか畑の日とか、365日が祝日になるだろう。まあよろしい。
新聞休刊日が増えても新聞代が下らないのが不思議だし、高校野球とか隣の東京都知事選挙とか、読みもしない記事ばかりのゴミを買う日が続く。
で、しょうがないから新聞のかわりに、昨日の新聞折り込み広告を読むことにした。いつもは読まずに廃棄紙になる代物である。けっこう枚数があるが、買い物しないから、興味を惹く広告がなにもない。
しょうがないから美麗なる広告として、新築区分所有共同住宅販売広告、早く言えば「いわゆるマンション」の広告を読むことにした。昔は仕事で読む必要があった時に読んだことはあるが、もともと買う気も金もないので読みたくて読んだことは全くない。
なになに、熱海の「温泉付きマンション」かい、桜木町の「ファミリーマンション」ってか、武蔵小杉の「カスタムオーダーマンション」、あれ、もうひとつも武蔵小杉で「ツインタワー」かい、ムサコがどうしてそんなにいいんだろ。
●「名ばかりマンション」なるもの
わたしは世にいう「マンション」なる言葉を大嫌いである。昔の不動産屋の誇大広告でつかった言葉がいつの間にか世間に通用して、あげくのはては「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」(マン円法?)なんてものができた。
mansionのことをマンションというのは和製英語であり、標準英語ではcondominiumという。では標準英語のmansionとはなにか。アメリカ人に聞いたら、大統領公邸のホワイトハウスのような大邸宅のことだそうである。ウサギ小屋をマンションとは言わない。
そこらあたりにできる「マンション」は、「名ばかりマンション」である。
ついでに、その名ばかりマンションの一戸一戸を「邸宅」と、広告には書いてある。
あのなあ、「邸宅」ってのは「低い家」って意味なんだよ、ほら、邸のヘンと低のツクリが同じでしょ、わかるかい。超高層の邸宅なんて超誇大広告してはいけませんよ。
ついでに、刑法での邸宅の意味は「空き家」のことで、19世紀日本の西洋法典翻訳言葉がいまだにそのままだそうである。不動産屋が売るのは原則として「空き家」だから、あながち間違いではないけど、、。
http://style.nikkei.com/article/DGXNASDB05004_V01C13A1000000
というわけで、ここでは「区分所有型共同住宅」のことを「分有アパート」ということにする。
アパートとは、apartment〈米〉「共同住宅の一世帯分の区画のこと」で、建物全体は apartment houseである。
今の日本でアパートとは、2階建て貸借型共同住宅を言うらしいが、昔は日本でも中高層共同住宅ビルを、アパートメントハウスと言っていたものだ。例えば同潤会アパートがその典型。
なんだか広告の内容よりも、その言葉にひっかかって前に進めないなあ。
●ゴーストタウン熱海はタワマンタウンになるのか
さて、では広告を読むことにする。まずは熱海駅前に建つ「温泉付きマンション」、29階建て、335戸、超高層分有アパートビルである。
熱海では建築高さ制限をしていて、この場所も31mまでしか建てられないはずだ。広告には高さを書いてないが、29階なら100mくらいはあるだろう。ってことは、これはその制限適用以前の申請建築なんだろう。
わたしがこの広告の絵で注目したのは、その左にある建物である。これは市街地改造事業による再開発で、1962年に完成したビルである。
市街地改造法による再開発地区は、16地区しかないが、そのうちのひとつである。しかも2番目にできた歴史を持つ。再再開発時代になっているが、今も健在らしい。これの再再開発と一緒にする案を考えなかったのだろうか。
さて、熱海は温泉旅館の衰退で空き地だらけゴーストタウンになる様子だが、どうやらこんどはタワマンタウンになるらしい。
旅館なら廃業して壊せるが、超高層共同住宅となるとゴーストタワーになるおそれがある。これは怖いよなあ。
1976年と2014年の熱海の空中写真があるが、昔は旅館が密集して建っていた海岸沿いのあたりに、大きな空き地が見える。これらがどうなるのだろうか。
●横浜野毛は今やMM21イメージで売るのか
次は横浜桜木町の「ファミリーマンション」で「桜木町駅近レジデンス」である。
桜木町駅徒歩3分で、この広告写真(桜木町の海側駅前広場)なら、MM21地区に建つビルだろうと、わたしは思った。
いや、最初は3階建ての共同住宅ビルかと思った。広い所にゆったり建つんだなあって、、でも実は10階建て28戸と書いてあるからペンシルビルである。
で、実際に建つ所番地を読んだら、この写真の裏側の旧市街地の中、つまりガチャガチャした野毛の街中なのである。2つの信号に引っ掛からなくて走れば3分で行けなくはないが、かなり苦しいと思うよ。
ガチャガチャした街なかが悪いというのではない。MM21の中よりもはるかに住みやすいだろうし、超高層よりもはるかに安全である。
面白いのは、不動産屋の販売作戦が、桜木町周辺は今や「みなとみらい21」のイメージで売ろうとしていることである。実際は野毛の方が住みやすいだろうに、、。
昔々、MM21開発が見えてきて、桜木町駅に東急が来なくなるとなったとき、野毛の街が凋落するとて大反対運動があった。東急が大金を積んで、野毛振興策への基金にしたことがある。
かつて桜木町は元祖横浜駅であり、野毛の街は駅前に広がる横浜の玄関だった。その海側は港湾用の貨物駅がある裏だったのだが、今や裏表が逆転してしまったらしい。
さて、今の野毛はMM21の添え物に凋落したのだろうか、このような広告を見るとね。
(つづく、次はムサコ超高層分有アパート広告)
●「伊達の眼鏡」中の関連記事
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html
今日は新聞が休みである。なぜだろうと聞けば、なんと昨日が祝日だったからだそうである。
え、7月18日が祝日???、初めて聞いたぞ、なんだよそれ、え、「山の日」だって?、、そんな日がいつできたか知らぬが、そのうちに川の日とか畑の日とか、365日が祝日になるだろう。まあよろしい。
新聞休刊日が増えても新聞代が下らないのが不思議だし、高校野球とか隣の東京都知事選挙とか、読みもしない記事ばかりのゴミを買う日が続く。
で、しょうがないから新聞のかわりに、昨日の新聞折り込み広告を読むことにした。いつもは読まずに廃棄紙になる代物である。けっこう枚数があるが、買い物しないから、興味を惹く広告がなにもない。
しょうがないから美麗なる広告として、新築区分所有共同住宅販売広告、早く言えば「いわゆるマンション」の広告を読むことにした。昔は仕事で読む必要があった時に読んだことはあるが、もともと買う気も金もないので読みたくて読んだことは全くない。
なになに、熱海の「温泉付きマンション」かい、桜木町の「ファミリーマンション」ってか、武蔵小杉の「カスタムオーダーマンション」、あれ、もうひとつも武蔵小杉で「ツインタワー」かい、ムサコがどうしてそんなにいいんだろ。
●「名ばかりマンション」なるもの
わたしは世にいう「マンション」なる言葉を大嫌いである。昔の不動産屋の誇大広告でつかった言葉がいつの間にか世間に通用して、あげくのはては「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」(マン円法?)なんてものができた。
mansionのことをマンションというのは和製英語であり、標準英語ではcondominiumという。では標準英語のmansionとはなにか。アメリカ人に聞いたら、大統領公邸のホワイトハウスのような大邸宅のことだそうである。ウサギ小屋をマンションとは言わない。
そこらあたりにできる「マンション」は、「名ばかりマンション」である。
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アメリカ大統領が住むホワイトハウスのような豪壮大邸宅をマンションという |
あのなあ、「邸宅」ってのは「低い家」って意味なんだよ、ほら、邸のヘンと低のツクリが同じでしょ、わかるかい。超高層の邸宅なんて超誇大広告してはいけませんよ。
ついでに、刑法での邸宅の意味は「空き家」のことで、19世紀日本の西洋法典翻訳言葉がいまだにそのままだそうである。不動産屋が売るのは原則として「空き家」だから、あながち間違いではないけど、、。
http://style.nikkei.com/article/DGXNASDB05004_V01C13A1000000
というわけで、ここでは「区分所有型共同住宅」のことを「分有アパート」ということにする。
アパートとは、apartment〈米〉「共同住宅の一世帯分の区画のこと」で、建物全体は apartment houseである。
今の日本でアパートとは、2階建て貸借型共同住宅を言うらしいが、昔は日本でも中高層共同住宅ビルを、アパートメントハウスと言っていたものだ。例えば同潤会アパートがその典型。
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山口文象設計「アパートメントハウス青雲荘」1936年 |
●ゴーストタウン熱海はタワマンタウンになるのか
さて、では広告を読むことにする。まずは熱海駅前に建つ「温泉付きマンション」、29階建て、335戸、超高層分有アパートビルである。
熱海では建築高さ制限をしていて、この場所も31mまでしか建てられないはずだ。広告には高さを書いてないが、29階なら100mくらいはあるだろう。ってことは、これはその制限適用以前の申請建築なんだろう。
わたしがこの広告の絵で注目したのは、その左にある建物である。これは市街地改造事業による再開発で、1962年に完成したビルである。
市街地改造法による再開発地区は、16地区しかないが、そのうちのひとつである。しかも2番目にできた歴史を持つ。再再開発時代になっているが、今も健在らしい。これの再再開発と一緒にする案を考えなかったのだろうか。
さて、熱海は温泉旅館の衰退で空き地だらけゴーストタウンになる様子だが、どうやらこんどはタワマンタウンになるらしい。
旅館なら廃業して壊せるが、超高層共同住宅となるとゴーストタワーになるおそれがある。これは怖いよなあ。
1976年と2014年の熱海の空中写真があるが、昔は旅館が密集して建っていた海岸沿いのあたりに、大きな空き地が見える。これらがどうなるのだろうか。
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1976年の熱海 海沿いに旅館街が密集 |
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2014年の熱海 海沿い旅館街は空き地だらけ |
●横浜野毛は今やMM21イメージで売るのか
次は横浜桜木町の「ファミリーマンション」で「桜木町駅近レジデンス」である。
桜木町駅徒歩3分で、この広告写真(桜木町の海側駅前広場)なら、MM21地区に建つビルだろうと、わたしは思った。
いや、最初は3階建ての共同住宅ビルかと思った。広い所にゆったり建つんだなあって、、でも実は10階建て28戸と書いてあるからペンシルビルである。
ガチャガチャした街なかが悪いというのではない。MM21の中よりもはるかに住みやすいだろうし、超高層よりもはるかに安全である。
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売るのは3階建て共同住宅かと思ったらこれは桜木町駅 |
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売る共同住宅が建つのは野毛の街なか |
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この左の駐車場がその建つ場所らしい(google street) |
昔々、MM21開発が見えてきて、桜木町駅に東急が来なくなるとなったとき、野毛の街が凋落するとて大反対運動があった。東急が大金を積んで、野毛振興策への基金にしたことがある。
かつて桜木町は元祖横浜駅であり、野毛の街は駅前に広がる横浜の玄関だった。その海側は港湾用の貨物駅がある裏だったのだが、今や裏表が逆転してしまったらしい。
さて、今の野毛はMM21の添え物に凋落したのだろうか、このような広告を見るとね。
(つづく、次はムサコ超高層分有アパート広告)
●「伊達の眼鏡」中の関連記事
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html
2016/07/16
1204【能役者・野村四郎】兄弟3人そろって人間国宝とは野村家はすごい
おお、ついにというか、ようやくというか、野村四郎が人間国宝になった。
現在の能楽界で能シテ方の人間国宝は、友枝昭世と梅若玄祥の二人のみである。これに野村四郎と大槻文蔵が加わって4名となった。
狂言方には人間国宝は、野村萬、野村万作、山本東次郎の3名がいるから、能楽界は野村3兄弟が人間国宝認定となった。野村家はスゴイ。
野村四郎は日本能楽会会長であり、野村萬は能楽協会理事長だから、野村兄弟がシリアスな能とコミカルな狂言の能楽界のリーダーとなった感じである。
さて、3兄弟の跡継ぎ息子たち、萬の息子の万蔵、万作の息子の萬斎、四郎の息子の昌司、これからどう芸を継承していくのだろうか。芸の家に生まれるとは、大変なことであろう。
●能楽師・野村四郎のプロフィル
http://nomura-shiro.blogspot.com/p/blog-page_2.html
わたしは野村四郎先生に、20年ほど謡を習っていたことがあるから、わたしにとっては師匠である。
思えば、あの華麗な謡を目の前で聞くことができたのは、まこと幸せなことであった。
月に2回の個人授業は、その美声の謡もそうだが、その教え方の巧みさ、そしてなによりも豊富で深い造詣の能楽話に彩られるぜいたくな時間であった。
おかげで、わたしの謡の能力も能楽の知識も、大いに積み上がったものだ。実を言えば謡を習うことは2の次で、その芸談を聞きたくて通っていたのである。
能を観るのが趣味となり、いっときは毎週のように松濤や青山や水道橋の能楽堂に行った。
謡の稽古中に色々な話を聴いたが、その一部は「野村四郎師に能の観方を聴く」として、ここに載せた。
野村先生の師匠は観世寿夫であるようで、このように演技せよと教えられたとか、こう言っていたとか、その名が話によく登場した。
その話の中で覚えているひとつは、居グセ(長い地謡にジッと座ったまま)のときは、身体から四方八方にピイーンと張って出ている見えない糸をたるませないように演技する、と言われたとのこと。いつもそれを思い出しながら能を見ている。
野村先生は、世阿弥よりもその父の観阿弥の芸に惹かれるとのことである。だから、自分のことを能楽師というよりも能役者とよばれたいと語っておられた。
昨年、「狂言の家に生まれた能役者」という本を上梓されたが、ここに自分のことを「能役者」と表現しておられる。
自分史のような能楽論は、実に面白い。「伝統に爪を立てる」のだそうである。
常に新たな開拓を、能楽世界だけでなくオペラ界にまでも広げる。能は日本オペラだから当然かもしれないが、現実には野村四郎だからできるのかもしれない。
●能楽師 野村四郎サイト
現在の能楽界で能シテ方の人間国宝は、友枝昭世と梅若玄祥の二人のみである。これに野村四郎と大槻文蔵が加わって4名となった。
狂言方には人間国宝は、野村萬、野村万作、山本東次郎の3名がいるから、能楽界は野村3兄弟が人間国宝認定となった。野村家はスゴイ。
野村四郎は日本能楽会会長であり、野村萬は能楽協会理事長だから、野村兄弟がシリアスな能とコミカルな狂言の能楽界のリーダーとなった感じである。
さて、3兄弟の跡継ぎ息子たち、萬の息子の万蔵、万作の息子の萬斎、四郎の息子の昌司、これからどう芸を継承していくのだろうか。芸の家に生まれるとは、大変なことであろう。
●能楽師・野村四郎のプロフィル
http://nomura-shiro.blogspot.com/p/blog-page_2.html
わたしは野村四郎先生に、20年ほど謡を習っていたことがあるから、わたしにとっては師匠である。
思えば、あの華麗な謡を目の前で聞くことができたのは、まこと幸せなことであった。
月に2回の個人授業は、その美声の謡もそうだが、その教え方の巧みさ、そしてなによりも豊富で深い造詣の能楽話に彩られるぜいたくな時間であった。
おかげで、わたしの謡の能力も能楽の知識も、大いに積み上がったものだ。実を言えば謡を習うことは2の次で、その芸談を聞きたくて通っていたのである。
能を観るのが趣味となり、いっときは毎週のように松濤や青山や水道橋の能楽堂に行った。
謡の稽古中に色々な話を聴いたが、その一部は「野村四郎師に能の観方を聴く」として、ここに載せた。
野村先生の師匠は観世寿夫であるようで、このように演技せよと教えられたとか、こう言っていたとか、その名が話によく登場した。
その話の中で覚えているひとつは、居グセ(長い地謡にジッと座ったまま)のときは、身体から四方八方にピイーンと張って出ている見えない糸をたるませないように演技する、と言われたとのこと。いつもそれを思い出しながら能を見ている。
野村先生は、世阿弥よりもその父の観阿弥の芸に惹かれるとのことである。だから、自分のことを能楽師というよりも能役者とよばれたいと語っておられた。
昨年、「狂言の家に生まれた能役者」という本を上梓されたが、ここに自分のことを「能役者」と表現しておられる。
自分史のような能楽論は、実に面白い。「伝統に爪を立てる」のだそうである。
常に新たな開拓を、能楽世界だけでなくオペラ界にまでも広げる。能は日本オペラだから当然かもしれないが、現実には野村四郎だからできるのかもしれない。
●能楽師 野村四郎サイト
●趣味の能楽鑑賞(まちもり散人)
2016/07/11
1203【選挙騒動】改憲発議可能国会ができちゃったようだけど若者が政権寄り思想のせいらしい
熊五郎 ご隠居、暑いけど元気ですね。
ご隠居 おや、熊さん、いらっしゃい、まあね、ソレナリ元気ってところかな。
熊 ところで選挙の結果は、新聞が書いていたとおりに、改憲派がほぼ3分の2になりましたね、改憲発議可能国会ができましたね。
隠 いつの世も若者はアンチ権力志向だから、18歳から選挙権でまさかそうなるまいと思ってたけどねえ。時代は変わったね。
熊 なにしろ、投票所出口での新聞屋アンケート結果によると、近ごろは若い奴らほど、政権寄り思想なんですよ、
隠 昔とさかさまで、若者よりも年寄りの方が野党支持が多いって、驚いたねえ。
熊 その、年寄が野党寄りって、なんですかねえ。
隠 わたしが考えるにはね、70歳代は60年安保世代、60歳代は全共闘世代、そいつらの生き残りがいまだにアンチ権力意識だからなんだろ。
熊 なるほど、って、ご隠居がそのうちのひとりでしょ、どうせ選挙にはいかなかったんでしょけど。
隠 あ、いや、それがね、今回はちょいと気の迷いが出てね、投票して来たんだよ。
熊 なんだよ、40年以上も投票離脱派だって威張ってたくせに、さすがのご隠居も歳とって気が弱ったか、で、どうでした、あのジンクスは?
隠 ああ、わたしが票を入れる人は、必ず落選するってジンクスね、それがだねえ、今回はジンクス半分解除だったんだよ。
熊 やっぱり歳とって神通力が薄れたな、で、半分とはどういうことです?
隠 選挙区の人はジンクスどおり落選だったけど、比例区の方はなんとその党たった一人が当選したんだな、ま、残念というか、、。
熊 何も残念がることはないでしょ、ご隠居の票が生れて初めて生きたって、めでたいことでしょ、生きてるうちに間に合ってよかったですね。
隠 おまえね、死んだら投票に行けないんだよ。まあ、いいや、幸先良いから、宝くじでも買おうかな。
熊 いや、およしなさい、投票でご隠居の一生分の籤運を使い果たしたんだから。
ご隠居 おや、熊さん、いらっしゃい、まあね、ソレナリ元気ってところかな。
熊 ところで選挙の結果は、新聞が書いていたとおりに、改憲派がほぼ3分の2になりましたね、改憲発議可能国会ができましたね。
隠 いつの世も若者はアンチ権力志向だから、18歳から選挙権でまさかそうなるまいと思ってたけどねえ。時代は変わったね。
熊 なにしろ、投票所出口での新聞屋アンケート結果によると、近ごろは若い奴らほど、政権寄り思想なんですよ、
隠 昔とさかさまで、若者よりも年寄りの方が野党支持が多いって、驚いたねえ。
熊 その、年寄が野党寄りって、なんですかねえ。
隠 わたしが考えるにはね、70歳代は60年安保世代、60歳代は全共闘世代、そいつらの生き残りがいまだにアンチ権力意識だからなんだろ。
熊 なるほど、って、ご隠居がそのうちのひとりでしょ、どうせ選挙にはいかなかったんでしょけど。
隠 あ、いや、それがね、今回はちょいと気の迷いが出てね、投票して来たんだよ。
熊 なんだよ、40年以上も投票離脱派だって威張ってたくせに、さすがのご隠居も歳とって気が弱ったか、で、どうでした、あのジンクスは?
隠 ああ、わたしが票を入れる人は、必ず落選するってジンクスね、それがだねえ、今回はジンクス半分解除だったんだよ。
熊 やっぱり歳とって神通力が薄れたな、で、半分とはどういうことです?
隠 選挙区の人はジンクスどおり落選だったけど、比例区の方はなんとその党たった一人が当選したんだな、ま、残念というか、、。
熊 何も残念がることはないでしょ、ご隠居の票が生れて初めて生きたって、めでたいことでしょ、生きてるうちに間に合ってよかったですね。
隠 おまえね、死んだら投票に行けないんだよ。まあ、いいや、幸先良いから、宝くじでも買おうかな。
熊 いや、およしなさい、投票でご隠居の一生分の籤運を使い果たしたんだから。
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