●敗戦記念日盛夏晴天遠足
毎年夏の恒例の個人的行事だが、今年も8月15日に、靖国神社あたりへ、日本の右傾化の具合を、野次馬見物に行ってきた。80年前のこの日に実体験した記憶のような暑い晴天であった。カメラの具合が悪くて写真を撮れなかったので、いっしょに行った息子(T)が撮った写真2枚だけを貼り付ける。そのほかは文中にこれまでの写真などへリンクしておく。
9時30自宅出発、靖国神社へ、これまでは全くの単独野次馬見物であったが、今回はTの護衛というか介添え付きである。わがヨレヨレ度会いを知る最も身近なTがついてきてくれた。戦後80年にして今年からそこが変わった。
さて今年は戦後80年とて、奇妙に騒がしいようすだ。オカシイ。歳月は地球が回っている限り同じペースであり、10年目ごとに何か異なることはないの、オカシイ。人間は10年ごとに何か思想を変えるのだろうか。
そうだ、変わると言えば、このところ日本の右傾化が目立つ。7月の参議院議員選挙での極右政党の台頭が最も典型的だ。その日本右傾化の象徴ともいうべき靖国神社に、日本の庶民の右傾化を見ようと、野次馬見物に訪ねる個人的年中行事で、今年はどんな変化があるか楽しみである。
●靖国神社見物
11時、地下鉄九段下駅到着。去年と同じく靖国神社九段坂方面へ出口が分からなくて駅内で迷う。目立って足が弱ってきた今年は、九段下駅名物のの階段に困る。晴れ過ぎている空の下、九段坂を登るが、これまでにない大勢の雑踏の感がある。まさか外国人観光客ではではあるまい。
九段坂歩道所に群がるなんだかんだ宣伝ビラを手渡そうとする人たちとぶつかりなら、いつもの法輪功ナントカ、台湾ナントカ、歴史教科書ナントカ、天皇の参拝ナントカの宣伝屋台群を抜けて、ようやく大鳥居に至る。この例年にない人出は時刻のせいか、今年は特別なのか、どちらだろうか。戦後80年やら極右政党にに踊らされた人たちだろうか。
暑い日差しの参道中央を避けて、右寄りの静かな林の中を歩く。内苑近くに来ると、毎年出てくる夏の真昼お化けのように軍服コスプレ男たちがいる。その人数が毎年減ってきているのは、さすがにアナクロ継続仲間がいなくなるのか。そういえば、いかにも軍服が似合う白髭の老人がかつては毎年いたが、ここ数年見えなくなった。
拝殿前の賽銭箱に向かう参拝行列が、去年までと比べて異常に長く列も太い。2時間待ちとのスピーカーの声が聞こえる。この炎天下で2時間も立ち続けるとはと呆れつつ、その脇を通り抜けて内苑に入る。行列の横を拝殿前の賽銭箱横迄行き、2時間も待って神妙に手を合わせる奇特な人たちを見物する。わたしは神社育ちだが、神前で手を合わせたことはない。
![]() |
2025年8月15日真昼の靖国神社拝殿前の風景(伊達太郎撮影) |
野外能楽堂前の桜の林のなか、さまざまな人々が立つ人ごみを通りに抜ける。ここで30年も前だったか、夜桜の演能鑑賞に来たて凍えそうな寒さに震ええた。そんなこをことを今日の暑さと比べてTに話した。
ちょっと涼もうかと遊就館へ入った。いつものように無料の範囲だけだ。展示の泰緬(タイ・ミャンマー)鉄道の蒸気機関車の説明に、映画にもなった有名な捕虜虐待のことを書いてないのは、さすがに遊就館だ。あまりの混雑に涼むことができなくて早々に出てきた。
遊就館前広場に新しい休憩所ができた。去年までこのあたりは広場で、その前が国会議員センセイたちの昇殿参拝の玄関があり、それらのファンらしい見物人が多く集まる場所だった。今年は小泉ジュニアが参拝したそうだが、見物客からいつものように「よく来た、よしよし」なんて掛け声がかかったことだろう。
木陰のベンチで持ってきた弁当を食べて休憩すれば、昼すぎて1時前になっていた。これでよしと靖国神社を出て、次の予定地の千鳥ヶ淵にある国営戦没者墓苑にへ向かう。実のところ暑いからもう帰ろうかなんて弱気もでたが、今年は付き添ってくれるTがいるので、気をとりなして堀端の桜並木の木陰道を行く。蝉の声が今年は小さい、人出に反比例か。
●千鳥ヶ淵戦没者墓苑見物
![]() |
2025年8月15日真昼の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の風景(伊達太郎撮影) |
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、靖国神社と大違いの閑散さである。何が違うのだろうか。知る人が少ないのかしら。入り口横の案内板の表示を見る。ここには戦争をやりに出かけた先のアジア諸国で死んだに日本人の地図があるのだ。その数240万人というものすごい数だ。
それは日本がそれらの諸国に戦争を仕掛けたが故の死者であるとすれば、仕掛けられた方の国にも死者は多かったはずだ。実は、わたしの父も2度の兵役(満州事変と支那事変)で、中国戦線に延べ6年半もいたから、加害者の一人であった。(参照:「父の十五年戦争」)
その死者数を国ごとに書いた地図が看板にあり、いつも興味深く見るのだが、どうも見にくいのは眼が悪くなったかと、顔をよせても見えにくい。どうやら汚れを落としてきれいにしていないらしい。この墓苑で最も重要な表示であるのに、このアジア地図だけは汚れるままになっている。アジア戦場を隠そうとしているのか。
![]() |
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の看板にあるアジア各地での日本人戦没者数(見やすく書き直した) |
戦没者は日本本土で70人、沖縄で18万人、中国では46万人に、フィリピンでは51万人、ミャンマー・タイ・マレーシア・シンガポール・インドなどで21万人などなど書いてある。ということはその国の人たちもそれに匹敵するかそれ以上に戦禍で死んだはずだが、それは書かれていない。戦争の片面しか見ていない。もしかして見せないなようにしているのか。
千鳥ヶ淵墓苑祭壇には、献花がたくさん盛られている。そこには献花者の名札が麗々しく宣伝顔をして立っている。もっとも高く抜きんでている名札は二つ、いずれも時の総理大臣名である。去年までの記憶では、最大名札は天皇皇后両陛下と記す二つだったが、今年はどうしたのだろうか、まあ、どうでもよいのだが、。
16日の新聞で、15日にあった政府主催の全国戦没者追悼式が例年のごとく開催されたとある。そしていつものようにお掲載される総理大臣と天皇の言葉が載っている。追悼対象は約310万人とあるから、これには戦場となって死んだ外国人は含まれていないのだろう。そしてどちらの言葉にも、それらに触れる言葉はない。遺族代表の言葉にもそれはない。兵員だった死者たちは、外国人を切傷したかもしれないのに。そういうものかしら?
●昭和館見物
千鳥ヶ淵からもどって九段坂下へ、昭和館に入る。戦中戦後の生活を息子にちょっと説明したかったこともあるが、例のあの敗戦放送をまた聞きたかったこともある。実際に80年前に生家の神社の森の中でこの耳で聞いた放送を、冷房が効いた展示場の階段室踊り場で改めて聞く。
でもあの時に聞いたのと大きく違うのは、雑音のない音声に変わっていたことだ。ガガーーピーピーと聞こえにくかった。加えて最も重要なことだが、放送内容を国民に分からせる気がまったくない言葉であったことだ。
ついでにあの裕仁天皇の敗戦放送「大東亜戦争終結に関する詔書」の原文をコピーして載せる。
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
これを聞いた当時の大人たちで、敗戦と分ったものがどれほどいたのだろうか。まるで敗戦とは分らぬように書いた悪文である。戦争最高責任者として国民に謝罪もしていない。これでなにがなんでも戦勝へと凝り固まっていた国民全部が、たちまちにして敗戦に方向転換したとは、今となれば不思議なことであった。
九段下のコンビニ内でアイスクリームを食べ、交差点あたりで拡声器に怒鳴るいつもの右翼の声を耳にしながら地下鉄に乗って帰宅したら、5時前だった。付き添いのTと一緒だったからできた炎天の日の超高齢者の小旅行だった。たぶん、これが最後の靖国見物になるだろう。もっとも、去年もそう書いていた。
(2025/08/16記)
ーーこのブログで関連する記事ーーー
・2005年、2013年靖国神社の八月
・2014/08/16 終戦記念日の靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂
・2014/08/20 戦争でも死んでしまえば敵も味方もない地域別戦没者
・2018/08/16【靖国8・15定点観測】夏まつり森の社のにぎわいは
・2019/08/11【戦争の八月(1)】核爆弾体験少女、植民地戦時体験少年、
・2019/08/19【戦争の八月(2)】敗戦記念日は東京九段の靖国神社を見物に
・2019/08/20【戦争の八月(3)】アジア太平洋戦争で被侵略国の死者を
・2019/08/28【戦争の八月(4)】昭和館で敗戦放送、旧軍人会館で定番復元
・2020/08/15【コロナの街徘徊】酷暑コロナ禍敗戦記念日の東京九段
・2021/08/15 【寒い敗戦記念日】アメリカに敗れコロナに破れかぶれ
・2022/08/15【2022年】敗戦から77年に次々と戦争の日々
・2023/08/15【78年目敗戦記念日】戦争へ準備をしろと敗戦の日に叫ぶ
・2024/08/16【敗戦記念日定点観測】靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑に戦争残滓
・2025/08/16【恒例行事】8月15日靖国神社あたり日本右傾化見物日記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
0 件のコメント:
コメントを投稿