2009/05/23

134【能楽鑑賞】関根祥六・祥人・祥丸という三代の能楽が楽しみ

 横浜能楽堂で、狂言「武悪」(ぶあく)と能「石橋」(しゃっきょう)を観た(2009年5月23日特別公演)。
 「武悪」の演者は、山本東次郎の主、山本則直の武悪、山本則孝の太郎冠者である。

 ストーリーとしては他愛もないのは狂言の常であるからよいとしても、前場が冗長であるのは則孝の技がまだまだだからと思う。
 武悪を斬ろうとしては何度も思い直すあたりが前場の重要なところなのだが、もう少し何とかしてほしい。

 それは後場になって、東次郎と武悪の偽幽霊との掛け合いで、東次郎の演技で技の磨き方がよく分かるのだ。なんでもないことを、あの無骨な身体演技で笑いにしてしまう東次郎はすごい。
 もともと無骨に演技するのが東次郎家狂言の伝統だから、和泉流のように過剰演技はしないのだが、最近はいくぶん無骨さがはがれている感もある。

 大獅子の小書きのつく「石橋」は、関根三代の出演である。子獅子(赤獅子)が祥丸、親獅子(白獅子)が祥人、爺獅子(大獅子、白獅子)が祥六、そろって舞台に登場するのはちょっと感動的である。
 そして3獅子はそれぞれ16歳、50歳、79歳に応じて、その若さ、円熟、枯淡の演技を見せてくれて、観ていて楽しかった。
 関根祥六と祥人は、わたしは好きな能役者である。さて三代目の祥丸がどう育っていくか、楽しみである。

 笛が一噌幸弘で、この人はほんとに上手い。かろがろとあの石橋を吹いてしまう。そこが問題か、。
 もう10年以上も前になるか、東京の日枝神社境内で幸弘の演奏会に行ったことがある。沢山の笛を前において、とっかえ引き換え吹くのであった。筒ならば何でも音にして吹くって感があった。

 太鼓の観世元伯、小鼓の大倉源次郎とともに、能楽界は若い実力ある世代に変りつつある。
 ワキの森常好は、ちょっと貫禄がつきすぎである。そういえば、ちかごろワキ方の鏑木岑男をみないが、どうしたのだろうか。

関連→050能「摂待」と「安宅」   ◆能を観に行く
    ◆野村四郎師に能楽の見方をきく

2009/05/22

133【言葉の酔時記】コンピューター用語はどうして東北訛りのイントネーションなんだろうか 

 マッキントッシュのコンピューターを、ずいぶん昔にはじめてコンピューターを始めた頃に使っていた。 2年くらいでウィンドウズに買い換えたが、いまでもマックへのある種の郷愁みたいなものがある。
 なにしろMACのほうがデザインが格段によいから、格好よさにあこがれる。
 その後の長いWIN使いで慣れきってしまったし、MACも昔とはずいぶん違うから、いまさら戻れない。

 それでも未練がましく、MACサイトでWINからの乗換えなんて動画を見ていたら、その解説の日本語のイントネーションに耳が引っかかった。
 こういうのは多分標準語でしゃべるはずだろうが、コンピューターだから当然に日本語に翻訳できない?単語のカタカナ語だらけである。

 もちろん英語だから、その元のイントネーションがあるはずだが、MAC解説者のしゃべるのと違う。まあ、違ってもよいのだが、それがどういうわけか尻あがり発音になるのである。そういえば、日常聞くそれらも変なものがある。

 ウィン、ヘルプゥ、ファイルゥ、フォルダァ、メールゥ、ドックゥ、アドレスゥ、ワードォ、ブログゥ、コメントォ、ウェッブゥ、ツールゥ、アドレスゥ、プリンタァ、ーグルゥ、サーバァ、データァ、フォントォ、モデムゥ、ルータァなどがそうである。
 これらの元のアクセントは前にあるはずなのに、どれも尻あがりである。

 外来語発音に標準語があるわけはないから、元のアクセントに倣うイントネーション発音してもなにも問題ないし、RとLの区別じゃないから日本人にも発音できそうなものを、どうしてだろうか。

 で、わたしが思うに、北関東や東北地方では尻あがりアクセントが多いので、その方面の出身者が多い東京あたりでつくる解説ビデオでは、外来語発音も東北弁傾向になるに違いない。
 これが関西弁傾向だと、多分、尻下がりになるのだろうが、どうなのか大阪あたりの人に聞いてみたい。

 参照◆言葉の酔時記 (2004~) 

2009/05/21

132【横浜ご近所探検】崖地はめこみ共同住宅

 ものすごい共同住宅を見つけた。
 横浜の磯子よりの海岸段丘崖ぎりぎりに、崖地に崖の高さに応じて4段構えくらいにはまり込んでいるのである。
 下から見ると、玄関部分の1スパンは崖下まで降りていて、ここは14階建てになっているらしい。その左は11建て階らしく、更に左端には崖が4階分せりあがって建物をがっちりと支えているのであった。

 右を見ると、8階建てくらいになっているし、写真では見えないが、更に右は5階建てくらいになって続いていた。
 屋根の高さは同じだから、下から地面というか崖がぼこぼこといろいろな高さに盛り上がって、建物を支えている格好である。
 こういうのは何階建てというのだろうか。

 崖下から入ることができるが、道路から車で直接入ることができない状況だったから、多分、崖上に車アクセスの玄関があるのだろう。
 全体の半分以上は崖に背中がくっついているらしいが、風通しはよいのだろうか。

 崖地に埋没というか一体化というか、崖地との取り合いの土木的な処理はどうしているのだろうか。土木工事がえらくかかっただろうと思う。斜面緑地は当然に失われたはずだ。
 こんなに高くつくような工事をしても、名ばかりマンションは売れるものなのか、。
 それにしても、建築と崖とのデザインは、そのモンスタラスな取り合いがアートとしては面白いが、生活空間の風景としては、いかがなものか。
 安東忠雄設計の「六甲の集合住宅」を思い出した。

参照→あらかじめ発掘された遺跡   ◆横浜ご近所探検隊が行く

2009/05/20

131【父の十五年戦争】父が兵役に就いた3つの戦争の記録をつくっているので戦争情報を下さい

 父の戦争日誌解読のために、資料を漁っている。
 これまで専門(都市、地域計画)や趣味(建築史、能楽)などについては、長い間に集めた書籍資料が書棚にあるが、戦争に関してはほとんどそれらしいものはなかった。
 この3ヶ月、いちから資料をあさることをやっていて、あらためてインターネットはすごい、これにわが人生が間に合ってよかったと、つくづく思っている。情報集めの能率は、昔と雲泥の差である。
 戦争資料はもちろん山ほどあることが分かるが、問題はそこから父に関連するものを拾い出すことである。これもインターネットの検索機能に改めて感心している。 しかし、ピンポイント情報は見つからない。

   
 父の兵役については、父の書いた履歴書と兵役の日誌である程度は分かるのだが、所属隊などを正確に知るには、軍人だったものひとりひとりの「軍歴」が公的に管理されていると、これもインターネットで知った。
 市役所に行って聞くと、陸軍は除隊時に本籍のあった都道府県に、海軍は国にあるという。
 さっそく父の軍歴を岡山県庁から取り寄せて、詳しいことが分かったのであった。どうも、軍人恩給支給の元になっているらしい。
 父の自筆記録とその軍歴とでわかったことを簡単に記す。

●父・伊達真直の兵役
・1931・現役兵として岡山歩兵第10連隊第2中隊
・1932・留守隊第11中隊
・1933・満州派遣軍第10連隊第11中隊通信班、中国・熱河作戦の界嶺口戦闘、除隊、帰郷
・1938・充員召集、歩兵第10連隊補充隊、北支第7師団通信隊、中国へ、天津・保定・石家荘・順徳付近で戦闘と通信任務
・1939-40・保定、石家荘に駐留
・1941・召集解除、帰郷
・1943・臨時召集、姫路第54師団通信補充隊
・1944・第84師団通信隊、内国戦務
・1945・帝都防衛隊、神奈川県松田で終戦、召集解除、帰郷
 結局、姫路から南方戦線に送られるはずが輸送船が次々と沈没して不可能となり、敵兵上陸対策に関東に出かけていて終戦、8月31日に帰郷した。3度の兵役を生きて戻れたのは、通信兵という立場もあっただろうが、幸運だった。 わたしの近親では母方の叔父が、若妻と娘一人を残して南方戦線で没している。
   
 さて、資料であるが、これまで読んだもの、読みつつあるもの、これから読みたいものなど、自分の覚えのためにここに記しておく。

●関連WEBサイトで気になるもの
・ウィキペディアの各サイトはもちろんすごく役に立つhttp://www.wikipedia.org/・戦争を語り継ごうリンク集http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
・はい 青木です! (岡山歩兵第110連隊)http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/index.html
・サーチナ > 中国地図 http://searchina.ne.jp/map/
・日本軍の基礎知識http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/weekly/file00.htm
・新編・新編・父の青春(4)熱河作戦の中で http://www2r.biglobe.ne.jp/~kosanhp/myway/newfather004.htm
・近現代日本の写真・画像(本編)http://www5b.biglobe.ne.jp/~leaper/kingenphotoikkatu.htm
・支那事変http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/sinojapanese%20war.html
・歩兵第10連隊http://www.geocities.jp/bane2161/hohei10rentai.html
・「岡山郷土部隊」と「三光作戦」http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.1.html

●日中戦争関係書籍
・兵隊たちの陸軍史:新潮文庫:伊藤桂一:新潮社:2008
・満州事変から日中戦争へ:岩波新書:加藤陽子:岩波書店:2007
・昭和史1926-1945:半藤一利:平凡社:2007
・日中戦争(計3巻):児島襄:文藝春秋:1984
・熱河討伐及熱河事情:世界知識増刊:新光社編:新光社:1933
・近代日本戦争史第3編満州事変・支那事変:同台経済懇話会:1995
・戦史叢書・北支の治安戦:防衛庁防衛研修所戦史室:朝雲新聞社
・アジア・太平洋戦争史:山中恒:岩波書店:2005
・皇軍兵士の日常生活:講談社現代新書:一ノ瀬俊也:2009
・昭和の遺書・十五年戦争・兵士が語った戦争の真実:仙田実・仙田典子:文芸社:2008
岡山県郷土部隊史:岡山県:1966
岡山歩兵第百十聯隊史:岡山歩兵第百十聯隊史編纂委員会編:1991年
歩兵第十聯隊史:歩兵第十聯隊史刊行会編:1974
歴史不会忘記:保定市政協文史資料委員会編:1995

 図書館はもちろんだが、重要な戦争資料のありかとして、防衛省防衛研究所 史料閲覧室がある。厖大な戦争資料があるようで、一度たずねたが、開架は少なく、書庫内資料の何を見ればよいのか検索方向がまだよく分からない。

 こう書いておくと、地球上のどなたかが役に立つ資料を教えてくださるかもしれないと期待できるのが、インターネットのすごいところである。

2009/05/19

130【老いゆく自分】新聞広告写真の手とわたしの手を比較してみたら

 おお、あの白魚のようだった指が、なんとまあ、サラミソーセージである。
 あのマシュマロのごときだった手の甲には、なんとまあ、褶曲山脈が縦横に発達している。
 今日の新聞広告(TOSHIBA)に載っている写真を見て、思わずわが手を並べて撮ったのであった。
 こうやって客観視するとわかる、70年余を生きると、わたしでもこうなるのか、。

2009/05/18

129【父の十五年戦争】戦場は実は人糞の臭いに満ち満ちているらしい

 父の戦争日誌を解読するべく、日中戦争を勉強している。
 児島襄『日中戦争vol.3』に、1937年12月の例の南京大虐殺に至る南京城攻略戦に、「糞攻め」なる話(180ページ)があり、興味を持ったので引用する。

『日本軍が難儀したのは、以上の事情のほかに、もうひとつ、いわゆる“糞攻め”なる環境があった。
 第六師団と第百十四師団が攻める雨花台は、中国軍第五十一、第五十八、第八十八師が守備するが、約四万人をこえる中国兵の排泄作用のおかげで、その陣内、陣外は糞便におおわれている。
 敵弾をさけて伏せれば鼻先に「糞の山」、鉄条網めがけてほふくしようとすれば、それは“糞海”を泳ぎわたるにひとしい。
 しかし、といって、立って歩けば間違いなく敵弾にみまわれる。
「ええ、没法子(メーファーズ)」
 やむを得ぬ、と、ほふくをつづければ鉄帽から靴の先まで“糞まみれ”になる。(以下略)』

 これは、ある兵隊の述懐をもとに書いてあるのだが、日本兵も中国兵もそれは同じであったろう。
 別のところには、屍の腐臭と糞尿臭とが入り混じった猛烈な臭いが戦場にたちこめて舞い上がり、補給物資投下に来る飛行機の操縦士たちも嗅いだことを書いている。
 通信兵だった父の1933年の日誌に、争奪戦闘中の最前線の長城に通信電線を附設する記述があるから、あるいは糞まみれ経験があったかもしれないが、それは日誌に書いてない。
 これまで気がつかなかったが、考えると大昔から戦場は糞だらけであったはずだ。だから伝染病も蔓延しただろう。
 いま思い出したむかしむかし読んだ糞攻め話、楠正成の守る千早城に攻め登りくる敵兵に、糞尿を煮え立たたせて上から浴びせて防いだ、、、さぞや臭くて熱くて、、、ウ~ップ、。

2009/05/15

128【世相戯評】海賊対処法で自衛隊派遣とは危ない危ない歴史の教訓

 5月13日の新聞に、(社)日本船主協会が「海賊対処法」案の早期成立を訴える意見広告を出している。
 ソマリア沖のアデン湾に出没する海賊退治に、自衛隊を派遣して鉄砲を打ってもよいようにしようって法律を早く成立させよ、それは海外からの輸入に頼って生きている日本人の生活を守ることなんだから、というのである。

 ちょっと待ってくれ、なんだかいつか聞いたことがあるような、、。
 そうだ、今、父の戦争を調べていて読んでいる日中戦争の出だしに似ているのである。
 日清・日露の戦争で中国東北の満州に権益を得た日本は、そこに暮らしだした日本人の生活を守るためと、関東軍・支那派遣軍を送り込み、その後はこの現地軍が日本人を守るためと暴走するのを、不拡大といいながら押さえるどころか、成り行きに任せて後追いした政府の無策、そして衆愚に陥った当時の日本人たちが、日本にも中国にも悲劇をまねいたのである。

 船主協会が日本人を人質に取っているような言は、満州の関東軍やソマリア海賊とも同じ論理となってしまう。
 それでなくても、遠い公海上の民間の商船をなぜ税金でしかも自衛隊で保護するのかって、何かがひっかる。これは地震災害出動みたいなものかしら、でも違うよなあ。

 どうもよく分からないが、やるとしても、自衛隊の派遣ではなくて海上保安庁の仕事のように思う。
 広告には、ドイツの軍艦に救われたことがあるので、日本も軍艦を派遣せよと書いているが、日本の軍艦(があるとすれば)は、憲法で他国のそれとは全く違うことを認識してほしい。
 出先での日本に関する安全を守るためと武力を繰り出すことについては、過去のことから考えて、かなり慎重になる必要がある。

 そもそも、日本人が輸入に頼らなければ生きてい行けないことにも問題がある。もちろん輸入しなければならないものもあるが、必要のないものまで輸入しているのも事実だ。
 ハケン労働者のことも大変な問題だが、ハケン軍艦はそれ以上に大変である。

2009/05/14

127【言葉の酔時記】レルラ問題ーインフラ、インフレ、インフル、、

 不景気で物が安くなるかと思ったら逆のインフレーションの気もあるとかで、そこにメキシコから強力な新型インフルエンザがやってきて、経済体制も医療体制もインフラストラクチャーが弱い日本は、もろにインフレ・インフル・インフラ問題(レルラ問題だな)に悩んでいる、ってなことかしら。
 で、残りのインフリとかインフロって、ないの?
 そもそも外国語をカタカナ表記して、こんどはそれを頭のほうの4文字だけで略語にするってのは、日本独特の文化なのだろうか。
 アングラ、アメフト、エンタメ、キャバクラ、ゲーセン、コンビに、セクハラ、デジカメ、ナンクロ、パソコン、パリコレ、パンスト、ハンスト、マスプロ、メルマガ、リモコン、ワープロなどなど、よく考えるとわけの分からない略語である。
 どうもIT系の用語が多いのは、若者言葉としての隠語的ニュアンスといい加減さが基本にあるらしい。
 ブログってのはWEB LOGの略BLOGだそうだが、「蜘蛛の巣の記録」ってどういうこと?

126【父の15年戦争】父の戦場の手記をもとに戦争の歴史を書いてみる

 これまで歴史には興味はあったが、戦史には特別に興味もなかったし、戦記の類には全く関心がなかった。
 ところが、このところ日中戦争史にはまっている。
 それは、亡父の遺品から日中戦争での日誌が出てきたので、読んでいたら、父は何故そんなところで命を賭けるようなことをしたか、がぜん、興味が湧いてきたのだ。

 1931年からの15年戦争のうちの7年半を兵役で過ごしていて、さいわいにも生きて戻ってきたのであった。その留守の間に、その父を失い、幼い長女を亡くしているのである。
 ひとりの庶民の歩兵が、初年兵入営から終戦の月までに、どのような背景の下で、そのようにもわが家を留守にしなければならなかったのか。

 一般に歴史はほとんどが俯瞰の視点から書かれているが、それをひとりの兵隊から見る虫の目の視点に置き換えて読むと、これは身近なものと感じられる。
 戦記にも興味が湧いているところだ。インタネットサイトにも沢山の庶民の戦記が載っている。
 父の日誌に出てくる用語が分からない。兵隊の制度自体から知ることから始めなければならない。

 軍歴なるものがあると知った。兵役でいつどこに行ったか、いつ除隊したかなどが書かれている個人別の履歴書で、陸軍は各都道府県で管理しているのだと分かり、父のそれを請求したら届いた。日誌と照合しつつ、旧満州国の地図を広げ、日中戦史を読んでいる。

 それにしても戦史を読むと、あの頃の戦争はなんだか成り行きで進行している感じがする。ほとんどマスタープランらしきものもなくて、あれだけの悲劇がずるずると拡大するのが、読んでいて気持ちが悪い。
 その成り行き大局のもとで、そんなことは知らない小さな歩の駒としての通信兵の父は、前線では目の前で仲間が死に、戦地の農家で食糧を挑発(略奪)し、職業の神官として戦地で死者を弔い、東京大空襲に出会い、3回もの兵役から生還した。
 ひとりの兵士とその留守家族の視点からの戦争として、それなりのノンフィクションを書けそうだ。

2009/05/10

125【くたばれマンション】共同住宅ビルをマンションというがそれは真っ赤なウソで名ばかりマンションだよ!

 この孤乱夢は2008年10月6日に書いたが、操作ミスで消えたので改めて書く

・マンションとはいったいなんだ?
 名ばかり管理職とかいって、平社員なみの権限しかないのに管理職に指名されて、残業代を支払ってもらえず、平社員より収入が少ない労働者がちかごろ話題になっている。
 新聞記事では特に安売り店舗の社員がそうらしいが、普通のサラリーマンでもいそうなものである。 でも、わたしが身をおいてきた建築とか都市のデザイナーやプランナーの世界では、大企業はごく一部でまだまだ徒弟制度の世界であって、実態的に名ばかり取締役どころか名ばかり社長さえもいるのが、普通かもしれない。

 名ばかりといえば、なんといっても「名ばかりマンション」である。これほど名ばかりに値するものは、ほかに見当たらない。
 マンションとは英米語辞書では大邸宅やお屋敷のことである。以前にアメリカ人女性から聞いたことがあるが、アメリカでマンションといえば大統領一家が住むホワイトハウスのような建物だそうである。

 日本のマンションは、不動産屋用語で3階建て以上の不燃建築の共同住宅、しかも区分所有型つまり分譲型のものを言うらしい。
 2階建てのそれはアパートというらしいが、それは分譲でないかららしい。
 では、日本語マンションは英米語ではなんと言うかというと、コンドミニアムというらしい。日本では聞かないなあ。

 とにかく、大邸宅でもなければお屋敷でもない、どんな小さなウサギ小屋でも、共同住宅ならそれをマンションというらしい。なにしろワンルームマンションなんて、ホテルなみの小部屋もあるくらいなもんである。
 これはmansionを語源としてかっぱらった和製英語らしいが、物が似て非なるものの典型でありすぎるのが困る。ほんとに名ばかりmansionである。
 らしい、とばかりいうのは、不動産業界用語で調べても明確な定義がないからである。

・法律でいうマンションとは?
 ところが調べていくうちに、マンションが日本の法律で定義されていることが分かった。
「マンションの建替えの円滑化等に関する法律(平成14年法律第78号) 」なんてのがあって、その第2条に用語の定義として、マンションとは「2以上の区分所有者が存する建物で、人の居住の用に供する専有部分のあるもの」となっている。
 つまり、持ち主が2人以上で住宅のある建物は、木造平屋貧乏長屋でも100階建て超高層でも法律上はどれもマンションである。

 となると、いまに平屋の2連戸住宅とか、今までアパートといっていたヤツを、マンションでございという住宅事業者が出てきて、混乱を招くかもしれない。
 ちょっと、どうも、そういうもんで、よいかしら、英米の常識とも、日本業界の常識らしきものとも、いずれとも乖離しているのを法律で決めてよいもんかしら。

 法律屋さんは硬いお方ばかりだろうに、まさか名ばかりマンションにおけるマンションを法律用語にしてしまうとは、どういう神経だったのだろうか。「区分所有型共同住宅建築物」とでもいうべきであったろう。
 まあ、全国に528万戸、1300万人が名ばかりマンションに住むらしいから、もう名ばかりといってもいられないと思ったのだろうか。法律は分かりやすくっていうことだろうか。

 それにしても、これだけ大量な震災危険住宅をいまだに建設の規制をしないのは大問題だと思うがなあ、。
 次の関東大震災が来て、建て替えもできず修理もできない立ち往生名ばかりマンションが林立してからようやく、名ばかりマンション規制が始まるのだろうなあ、日本は人柱と外圧でしか政策は変わらないのだ。

 そういえば、アパートってのも変である。なぜ2階建てならアパートなのか。かって野々宮アパートとか代官山アパートというのがあったが、これらはみな今で言うなら豪華マンションであった。いつから貧乏共同住宅の代名詞になったのか。
 とにかく、名ばかりマンションくらい変なものはない。その大震災における重大なる危険度も含めて、。

 参考→姉歯大震災の喚起するもの  →言葉の酔時記