2013/05/24

778昔々山岳部のオレも三浦雄一郎みたいに広告媒体になってもいいからヒマラヤに登りたいものだ

 三浦雄一郎なる80歳の年寄りが、チョモランマ(ネパールから登ったのだからエベレストじゃない)に登頂したとて、報道屋が騒いでいる。
 先般、ネパールに行ったが、聞くところによれば、近頃はヒマラヤの高峰でもカネさえ出せば、シェルパたちが背負って連れて行ってくれて、ヤッコラサと押し上げてくれるのだそうだ。あ、三浦さんのチョモランマのことじゃないよ、あくまで一般論、、。

(この写真は本文と関係ありません。2011年4月にわたしが撮ったポカラから見るヒマラヤ)

 ポーラー法登頂時代から、ルートハンティング時代になり、無酸素とか単独行とかのプロフェッショナル時代も過ぎて、今じゃあヒマラヤ高峰に登るのは女性でも珍しくない時代になった。
 だから、年齢とか回数とか特別のことだけがニュースネタになる。

 そしてただ今のニュースでは、現地で81歳の男がチョモランマ登頂準備中だそうだ。ネパールの人だそうだから、もしかしたらシェルパか。
 考えてみると地元のシェルパの登頂はニュースにならないが、かれらはもう何十回もそして超高齢者も登頂しているに違いない。
 次は若さ競争になって、少年が、いや乳幼児が登頂する時代になるんだな。

 今朝の朝日新聞(2013年5月24日)の一面に大きく、三浦さんが旗を持っている写真が載っている。そこにこの登頂の金蔓らしい企業名などが書いてある。(こちら
 なになに、酒屋、原発屋、金貸し、車屋かよ、、、ふ~ん、なるほどそうか、マラソンのゼッケンと同じで、これも広告媒体の三浦さんであったか。
 ああ、昔々山岳部のオレも、チョモランマ登りたいなあ、、だれか、、。
 
参照→156昔山岳部 
http://datey.blogspot.jp/2009/07/156_18.html


2013/05/23

777津波被災地再生にも流行らしい太陽光発電メガソーラーって本当にいいものなのかしら

 メガソーラー発電所を野蒜につくるそうだ。こんなニュースは普通は見逃すのだが、たまたま津波で被災した東松島市の野蒜地区のことを書いていたので、目に留まった。
 メガソーラー発電所とは何のことか、よくはわからないが、広い土地に太陽光発電装パネルをいっぱい並べて、大規模な発電をするところらしい。

 野蒜海岸のそばの津波で一切が壊れた公園跡地に、先般、行った時に工事中だったのを見たことを思い出した。
 東松島市が発表した資料を見ると、発電事業に参入した企業がつくって営業するようであり、不毛になった津波被災跡地の活用策として、市が市有地を貸して誘致したのだろう。公園の再建をあきらめたのか。
 ここで発電して電力会社に売るのだろうか。

 その技術的なことやら経営的なことやらはわからないが、この立地が本当に良いのだろうか。
 絵を見ると野蒜海岸に近い松林(復旧するのだろう)の中にあるようだが、ここは津波でやられたところだから、次の津波にもやられるような気がするが、それでも立地するのだろうか。
 まあ、確率的に言って次の大津波は100年先とすれば、メガソーラー発電はそれまでには十分に採算が取れる商売なのだろう。

 どうも福島原発事故以来、いま、ソーラー発電は時流に乗っているらしい。津波がもたらした時代の新しい流れである。そこに発電事業参入企業も目をつけている。
 そしてまた同じ津波による被災地においても、集団移転跡の広大な空き地に、その発電所を誘致して新たな産業を起したいとする復興計画を考える。東松島市だけではなくて、あちこちでその動きがあるらしい。
 発電所はできたとしても、作った電気は電線で他に持っていけばよいのだろうから、それが被災地に他の産業を誘致する種になるのだろうか。

 産業誘致も難しい地理的条件で、人間が住めない広い土地となれば、土地代も安いだろうから、発電新規参入企業もこれをチャンスに被災地への発電所立地を意図するだろう。
 もちろん津波被災地だけではなく、農業地域の農業後継者がいなくなって広がるばかりの耕作放棄地も、目をつけられているようだ。ちょっとまえは、稲を植えるよりも住宅や大型店を植えると儲かると田畑がつぶれていったが、今や植えるものがなくなって発電機を植える時代となった。

 
 ところで、太陽光発電は、発電原資エネルギーが太陽熱なので、エコロジカルともてはやされているが、大規模な太陽光発電所そのものは果たしてエコロジカルなのだろうか。
 ネットでいくつかのメガソーラー発電所なるものの画像を見つけたが、どうも気にかかる。すなおに受け入れられないのである。
 とにかく草も木も生えない広大な土地を必要とするらしい。地表を一面に真っ黒な板で覆いつくしてしまって、これはとても生態的つまりエコロジカルではない。

 なにしろ太陽の光だけが頼りだから、地上に設ける場合は、周りにビルがあるとか、枝葉の繁る樹木や背の高い草とかで、日陰ができるような環境はもってのほからしい。建物の屋根や屋上に設けるのは良いが、建物によって設置が制限される。
 だから広い、真っ平ら、あるいは緩やかな南下がりで、何もない土地でなければならないらしい。
 発電パネルの下から草や木が生えてきては困るので、コンクリートで固めたり、砂利やシートを敷き詰める。
 これでは広大なる荒地であり、まるで砂漠である。

 普通の大規模工場でも敷地周りや構内に緑を配しているし、工場立地法によって発電所は敷地の25%以上緑化義務がある。ところが、このソーラー発電工場は、工場立地法から除外されていて緑化義務がない。よくわからないが、環境アセスメントも必要ないらしい。広大な砂漠をつくってもよいのである。
 そこには従業員はほとんどいないらしいが、ほんとうに何ヘクタールもの広大になってくると、はたしてよいものだろうか。熱風が吹くとか、周辺地区の微気候に影響がでるような気がするが、どうか。野蒜ならば、せっかく松林を復元しても、枯れるかもしれない。
 景観的にも、真っ黒パネルの広がるのは、おぞましい風景である。

 中山間地で耕作放棄地が広がっているから、平地の田畑ばかりか、なだらかな南斜面地の棚田空間も狙われやすいかもしれない。ここがメガソーラー発電所になると、いったいどんな風景になるのだろうか。
 放棄された田園は、それなりに草木が生えてきて緑豊かな自然空間に戻っていくのが、日本の気候風土である。
 それがエコロジーだとか土地の有効利用とかの美名に聞こえる仕業のもとに、一面の鉄とガラスのパネルで真っ黒に覆われてしまって、実質的に砂漠化するといったいどうなるのか。

 海面埋め立て地のような平らなところは好都合だろうから、津波被災移転跡地や売れない工業用地などの海辺立地も多くでるらしいが、津波が来るとどうなるのだろうか。
 津波で破壊されても原発のように核毒を出すことはないが、発電機能は絶えるだろう。電力が絶えること自体が問題だろう。
 そもそも津波や地震で危ない立地に発電所をつくること自体に、根本的な問題があるだろうと思う。

 ネットで見るメガソーラー発電所のメリット・デメリットの記事には、こういう土地利用面や景観面のことは出てこない。いろいろと疑問がある。



 

2013/05/22

776鎌倉の谷戸の住宅地の20年の変遷の定点観測をGIF動画にしてみた

(これは2010年の記事ですが、GIF動画にしたので再掲)
 
鎌倉市の十二所という深い谷戸の奥に四半世紀住んでいました
鶴岡八幡宮まで2kmほどのところでしたから
滑川沿いに自転車や徒歩でブラブラしながら
四季の遷り変わりや街並みの変化を楽しんでいました
報国寺や釈迦堂遺跡など鎌倉名所もあります

その途中の住宅地に囲まれて大きな田圃がありました
鎌倉街道の裏道からのその風景は
向うに衣張山が見事な山容を見せていて
春の田植えの頃は田圃の水面に映る逆さ冨士のようにも見え
夏は稲の緑のじゅうたんが涼しく広がり
秋は稲穂が輝く金色の大池となり
冬は冬で土の色を懐かしく思い
四季折々を楽しみながら通ったものでした

2000年頃からだったでしょうか耕作放棄されたらしく
草ぼうぼうの空き地となってしまいました
それはそれで四季の情緒がありました

2002年にわたしは鎌倉から引っ越したので
しばらくご無沙汰していて2007年秋のこと
久しぶりに通りかかったら宅地造成して田圃は消滅
そしてまた2010年秋に通りかかると
10数軒の小住宅が建ちならんでいました
その定点観測をGIF動画でご覧ください
 
その場所の空中写真で黄色矢印の位置から見ています(google earth)

2013/05/21

775法末集落風景の四季の遷り変わりをまとめてGIF動画にしてみた

2004年の中越大震災復興の手伝いに2005年秋から行くようになった
中越・長岡市小国町法末集落で四季の写真を定点観測的に撮ってきた
その中のいくつかをGIF動画なるものにしてみた

愛宕山から見る法末集落全景


ブナの森

 棚田の米つくり

 小千谷道

 棚田

登録文化財の家「おもや」の四季

登録文化財の家「おもや」の夏冬

集落メインストリートの夏冬

法末の隣の芹窪集落の消えた家

2013/05/20

774迷惑かけても謝らない教育委員会ってのもリッパなもんである

 
「近所に迷惑かけているが、理解して協力せよ」
 言葉は丁寧だが、迷惑かけていると言いながら、
一言も謝らず、詫びず、恐縮もしない。
   こんな文書が郵便受けに入っていた。
 横浜市の教育委員会はなかなかの硬骨漢である。

 

2013/05/19

773【横浜ご近所探検】横浜の中のアメリカ合州国住宅地と日本ミニ開発住宅地のギャップに驚く

 狭苦しい横浜下町の中から、見上げる山手の丘の上に、なんだか広々としたところがありそうに見える。公園かゴルフ場でもあるのかしら。

 ご近所探検に、坂道を登って行ったら、突き当りになにやら鉄条網が見える。

 おお、ここはアメリカ軍の基地であるらしい。物々しいゲートである。

 横にまわりこんで見ると、鉄条網に「NO TRESPASSING」と大書してあり、網の中に住宅のようなものが見える。

 尾根の上から南のほうを見下したら、住宅らしい建物群が、芝生の中にゆったりと配置されて建っている。これが下から眺めた広々とした公園かなにかの正体であった。
 家の大きさからみて、子どもが遊んでもいるから、アメリカ軍兵士の家族住宅地らしい。ここはいまだに横浜の戦後占領が続いているらしい。
 兵器はないのだろうが、これこそいまどきいうところの典型的なゲーティッドコミュニティだ。軍事施設だからそういうものだろうか。

 尾根の上から反対側の北を見ると、なんとまあ南側とは違う風景だろうか。どちらも人間が棲んでいるが、これほど違う風景をみると、人間はどんな環境でも住めると思えてくる。

 goole earthで調べて、ここはアメリカ軍の根岸住宅地であった。根岸住宅地には、別のところから近づいたこともあったが、こんなところまで広がっているとは気が付かなかった。
それにしても、この金網の外と中の密度の違いは驚異的でさえある。アチラさんがゆったりし過ぎなのか、それともこちらがセコ過ぎるのか。

   もうちょっと拡大して見てさらに驚くのは、このアメリカ・日本・あの世(墓地)と3つの空間が併存している様子である。死んだらもっともっと過密居住?になるのであった。
まあ、死ねば物質に戻るのだからそれでも一向にかまわないが、こうしてじかに並ぶと、なにか奇妙であるし、文化人類学的にというか、民俗として興味深いものがある。


関連ページ:「横浜風景」弧乱夢一覧


2013/05/18

772アフリカの林の中に誕生してグレートジャー二―で日本列島にまでやってきた人類は今も林の中に棲んでいる

 東京・上野の科学博物館で、「グレートジャーニー」なる特別展をみた。
 久しぶりに会った友人が行くというので、予備知識もなくついて行った。
 もちろん、グレートジャーニーとは、人類がアフリカで発生してから、地球上の各地に至る長い長い旅のこと、一般知識としてそれくらいは知ってはいた。だからその足取りの資料の展示だと思った。

 ところが、TVでそういう題名の番組があったらしく、タレントか冒険屋か知らないが、人類発生からの旅をトレースしたので、その関連の展示だった。
 だから、沢山の展示の飛び飛びに博物館的資料があるのだが、多くはそのタレントが乗った船とか、集めた?珍しい人頭のミイラとか、旅先で出会った珍しい情景の写真パネルであった。
 TV番組を見ていた人には面白いだろうが、TV嫌いのわたしには、これはいったい何のことやらであった。国立科学博物館企画としては、いかがなものか。

 ちょっと面白かったのは、360万年前のアファール猿人の足跡の立体レプリカである。タンザニアのラエトリ遺跡にあるそうだ。
 その足跡を2足歩行でつけたであろうと想定した親子3人家族のレプリカ展示があり、そのまわりを歩く見物の現代人の親子家族との対比が、実に面白かった。
 現代人も猿人も裸になれば同じだよなあ、、。わたしたちは360万年経って、どれほど変わったのだろうか。
 彼らが棲んでいたアフリカの疎林やサバンナの中での生活は、どんなものだったのだろうか。

(この左手前の裸の親子は写真のイタズラ)
 
博物館から外に出て、久しぶりに上野公園の中を歩けば、おや、その林の中に現代人が棲んでいる。
 おお、アフリカからグレートジャーニーで日本列島にやってきた人類は、今も疎林の中に青い巣をつくって棲むのであったか。
 十数年昔の上野公園と比べたら、その段ボールハウス青テントの巣の数が、ずいぶん減っている。どこに行ったのだろうか。
 でもそれは、たぶん、景気がよくなって脱出したのではなくて、公園管理者が林の下に繁っていたブッシュを刈り込んで棲みにくくして、現代猿人たちを追い出したからだろう。
 かれらは、再びグレートジャーニーに出かけたのだろうか。
 
 あ、そうか、こちら渋谷の宮ノ下公園のブルーシートストリートは、現代グレートジャーニー途上の姿かもしれない。アベノミクス空景気は、彼ら現代猿人には届かない、、、わたしにも、、。

2013/05/17

771地震で壊され津波にさらわれ原発核毒を浴び火山灰にまみれ更に戦争もしたいってこりゃまた忙しい時代

熊五郎 ご隠居、ご隠居、富士山が爆発するって、本当ですかい、せっかく世界遺産になったのに。
隠居 おや、熊さん、あわてちゃいけないよ、今朝の新聞で、活火山の危険について書いてあったのを見たんだね。まだ、正式に世界遺産になったわけでもなし、明日にでも爆発するわけでもあるまいよ。

熊 ええ、まあ、そうなんですが、明日にでも噴火しておかしくないらしいですよ。
隠 なんだねえ、先ごろは東海とか南海トラフの大地震で大津波がやってくると大々的な発表だったし、今度は火山が噴火するって、まったく忙しいねえ。
 
熊 でね、世界遺産について、富士山は合格、鎌倉は不合格って、先日でたでしょ。
隠 ああ、イコモスってところがユネスコにそう勧告するってことだな。

熊 富士山大噴火の話を、今日まで出さなかったのは、その世界遺産登録に影響するかもしれないって、そう思ったからでしょうかね。
隠 あ、そうかもな。でも、6月に正式登録を決めるユネスコの会議があるらしいから、そこで何か言われるかもしれないよ。

熊 世界遺産にしてやるから、絶対に噴火しないようになんとかしろ、なんてね。
隠 う~ん、考えてみれば、明日にでも避けようもなく燃えて壊れる物を、世界の文化遺産でござい、と言ってもなあ。まあ、その儚さも世界に誇る日本文化の真髄と考えるか。

熊 それにしても、地震で壊され、津波にさらわれ、原発核毒を浴び、溶岩と火山灰にまみれ、ご隠居からは小言をくらい、もうタイヘン。
隠 あ、なんか関係ないことも言ったな。ま、そうだねえ、3・11大災害が地獄の釜というかパンドラの箱というか、蓋を開け放ったらしいな。それまでは分かっていてもくさいものに蓋していたのに、急に何でもかんでもいうようになったな。

熊 そうそう、憲法を変えて軍隊持って戦争できるようにするってのも、臭いものの最たるもんですね。
隠 ああ、口先介入だけの景気回復に便乗もいいところだな。

熊 世の中、景気が良くなったって噂も聞きますが、あっしらには株高も円安も、なんのことだかわかりませんやね。
隠 なんだねえ、わたしのような年寄りはさっさとあの世に逃げるって手があるけど、熊さんのような若い世代は、大変な天変地異に加えて、大借金返済の時代を生きるんだねえ。日本国は100兆円の借金らしいよ。

熊 ご隠居たちの世代と違って、あっしたちは外国に逃げるって手がありますよ。グローバル世代ですからね。
隠 そのうちに発展途上国からやってきた何も知らない外国人が日本人になり、今の日本人は借金のがれに海外に移民してしまうって、民族大転換が起きるかもなあ。


2013/05/15

770東北被災地徘徊譚12【野蒜6】被災した既存市街復興と丘陵上の新市街造成とは一体となる都市計画を展望しているのだろうか

 
●769東北被災地徘徊譚11【野蒜5】からの続き
http://datey.blogspot.jp/2013/05/769.html

●図18:東松島市復興まちづくり計画の野蒜地区の構想図

 東松島市の復興まちづくり計画が出されているが、津波被災地域を具体的に今後どうするのかは、これでは見えない。
 見えないのだが、一方では北部丘陵開発はすでに着手している。被災者の早期移転のためには着手せざるを得ない事情はよくわかる。特に、元の地に戻ることが難しい立地の、海辺に近い集落の人々の行きどころは深刻であろう。

 そのいっぽう、復興計画では東名運河から北の区域では、市街地の再建がうたわれているから、必ずしも北部丘陵に集団移転することが前提ではないようである。地盤を1.5メートル以上高くするか、RC造基礎を1.5mメートル以上高くすれば居住することもできる様に規制が緩いから、現地再建をする可能性が高い。
 この地区に他の海岸部集落から防災集団移転する制度があってもよいような気がするが、ないのであろう。ついでに言うが、自治体を越えて移動する防災集団移転もあってよいと思うのだが、制度上は可能だが実際は行政が渋って難しいらしい。

 野蒜地区の平地の旧市街地が元のように復旧するかと言えば、大きな違いは、JR仙石線が北部丘陵に線形を変えて、2つの駅が移設することだろう。この地域の生活がどれほど鉄道依存しているか知らないが、仙台駅から30分余の鉄道交通条件からいえば、その通勤通学利用は十分に高いであろう。
 高台への鉄道の移設が、新市街地形成を促進するいっぽうで、旧市街地の復旧を戸惑わせる、そういうことはないのだろうか。

 北部丘陵ニュータウンの詳細な計画は分からないが、わかる範囲の模型や図面を見ると、駅前広場からまっすぐな道路、元の地形と無関係な画一的な町割り、そしてニュータウンを既存の街から隔離する大きな緑地、これらは高度成長時代の郊外型ニュータウンのプラニングと同じように見える。今の時代もそういうものだろうか。
 かつての平地部の野蒜の街と新たな丘陵上の野蒜の街は、地域の再生という視点では地形的にも都市計画的にもほとんど連続しないように見えるのだが、そういうものだろうか。

 旧市街の復興、松島観光事業の建て直し、漁業や農業の再建、そして新たな産業機能の導入などがうたわれるが、それらは北部丘陵開発とどう連動するのか、総合的な計画があるのだろうか。
 人口減少と超高齢化社会がやってきてコンパクトシティ再編成の時代に、あえてニュータウンをつくって市街地を拡大する意義を、大義名分の災害復興だけにもとめるのではなく、野蒜地域全体のなかで計画するべきであろう。
 人口減少時代に逆行しているようにも見えるが、あえてその意図をもっての計画ならば、それはそれで興味深いのである。そこには仙台都市圏の将来、松島観光エリアの展望などあるだろうから、その意図するところの論拠をぜひ知りたい。
  ◆◆◆
 以上、6回に分けて【野蒜】編を掲載してきた。情報が現地瞥見とインターネットの範囲だけだからあたりまえだが、東松島市の野蒜復興計画には、野蒜地域の全体像の展望がまだ見えていない。これからどのように展開するのか楽しみに観察しよう。
 同じような観察記録を名取市北釜地区について書いたし、今後もまたがどこかの被災地について書きたいが、わたしはなにかを提案をしているわけでも、なにか実行しようとしてるわけでもない。現地をとおりすがりの、昔は都市計画を仕事にしていた余所者徘徊老人の、勝手な心配ごとである。もうちょっと格好よく言えば都市計画評論であるにすぎない。(20130515)

○全6回分をまとめた全文はこちら
○参照⇒
東北に大津波被災地を訪ねて【東松島市野蒜地区】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru
東北に大津波被災地を訪ねて【名取市北釜地区】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama
地震津波原発コラム
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#jisin




2013/05/14

769東北被災地徘徊譚11【野蒜5】津波被災市街地が再生するためには今のままの都市計画でよいのだろうか

 
●768東北被災地徘徊譚10【野蒜4】からの続き
http://datey.blogspot.jp/2013/05/768.html

●図17:野蒜地区都市計画用途指定状況

東名運河沿いの南北両側から北の山裾までは、もともと土地区画整理事業で整備した住宅地である。市街区域内であり、国道沿いは第2種中高層住宅地域、そのほかは第1種低層専用住宅地域である。
 ここももちろん災害危険区域だが、運河から南は鉄筋コンクリート以上の頑丈な2階建て以上の建物ならば建ててもよいのである。住宅を除外していない。
 低層や中高層の共同住宅が立ち並ぶかもしれない。それはそれで景観や配置などの適切なコントロールがされると、リゾート的な郊外住宅地となる可能性がある。

 東名運河から北のエリアの住宅土地利用規制はさらに緩く、地盤を1.5m以上かさ上げするか、鉄筋コンクリート基礎高を1.5m以上にすれば、住宅建設も規制を外れるから、事実上はなにを建ててもよいことになる。
 もともと土地区画整理事業によって道路等の基盤整備はされているから、今のような広大な空き地をそのままにしておくと、敷地ごとに建物が建ってくるだろう。仙台通勤圏のこの土地を不動産業界は狙っているような気がする。

 特に国道27号沿道は、用途地域が中高層住居専用地域で容積率200%だから、ここには高層共同住宅が建つ可能性がある。
 東名運河の歴史的な景観、あるいは松島湾方面からの景観、地域内の環境など、今のうちにコントロール方法を用意する必要がありそうだが、現実はどうなのだろうか。
 ついでに思い出したが、北部丘陵稜線に緑に成り代わって創り出すニュータウンの景観も、松島の風光明媚とどう調和させるのだろうか。

 中高層共同住宅と低層木造住宅が入り乱れるとなると、居住環境形成としては行政が積極的にコントロールを働かせないと困ったことになりそうだ。同時に、集団移転跡地の公有地の有効活用も計画的に組み込む必要がありそうだ。
 そのあたりは、今、どう動いているのだろうか。たとえば地区計画等による土地利用のコントロールをしようとしているのか、なくてもよいのか心配になる。杞憂ならそれでよいのだが。

 もう一つの心配は、この跡地の再市街化が進むと、せっかく作る北部丘陵の新市街が空洞化するかもしれないということである。
 被災跡地の再市街化が可能となると、被災者たちは元の街に暮らすほうがよいと思い、移転を思いとどまり、丘陵の新しい街にはたくさんの空き家空き地ができるかもしれないからである。

 あるいは、空き地空き家はでないかもしれないとも思う。それは、被災者が移転するのではなく、仙台に30分余の通勤圏として、津波被災とは関係ない住宅需要層への住宅市場としての立地であると見られるから、ここには新居住者らがやってくるかもしれないからである。集団移転対象にならなかった空き地空き家は、新住民対象となる。
 それはそれで新しい街は機能するが、本来の役目を忘れることになる。それでも良いとするか、悩ましいことである。

 防災集団移転地の新たな都市計画と、被災した市街地の既存の都市計画、それらの土地利用がどう連携するのか、それとも連携が必要ないのか。
 被災市街地再生のためには、既存の都市計画はそのままで変更しなくてよいのか、あらたな都市計画は必要ないのか、いろいろと気になる。
 大きなお世話のよそ者があれこれ言っていることは、東松島市の野蒜地区に限ったことではなく、大なり小なりどこの被災地の復興にも当てはまることかもしれないと思うのである。 (つづく)

○参照⇒東北に大津波被災地を訪ねて【東松島市野蒜地区】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru