2023/04/30

1682【神宮外苑騒動】10年ぶりに神宮外苑あたりが騒がしいが再開発・都市・建築・植生の専門家はどうした?

外苑騒動戯像2013年作 ザハ競技場出現図

●10年ぶりに神宮外苑あたりが騒がしい

 東京の明治神宮外苑再開発について、世間が、と言うよりもネット空間が騒がしい。
 三井不動産を施行者とする市街地再開発事業に仕立てて、東京都知事による事業施行認可が今年の2月16日におりて、事業に着工したとのこと。

 その一方で、この市街地再開発事業に関する環境影響評価の審議が、都環境影響審議会で行われてきて、これはまだ審議が終わっていないようだ。施工認可が先になっても、アセスは事業が進むうちに審議も継続してもよいらしい。

 事業者が公表する事業内容の絵がネットに出たから、世間も興味を持つようになったらし。とくに外苑名所の公孫樹並木が再開発で切られるとか枯れるとか、だれもが分かりやすい問題があるとの情報がネット上にながれるようになった。

 そこに緑地に関する専門家の石川幹子さんが、イコモスの委員会の名で植生計画ついて問題提起と、独自開発計画案を提示した。
 それから「再開発で伐り倒される樹木が10000本」と数字があるだした。わかりやすい数字になると世間も話に乗りやすいのは、かつて国立競技場の建物の高さで、次いで工事費の高さで反対運動が高揚したことに似ている。今年になって次第に「樹を伐るな」テーマの運動がいくつか起きてきた。

 そして事業者が審議会に提出した「環境影響評価書」が公表されると、石川さんは植生学専門家として、評価書の植生調査に多くの問題を含むので、調査をやり直せ、アセス審議会をやりなおせと提案をしたのだった。

 調査方法がおかしい、間違い調査だ、記述間違いがあるなど多くの項目で環境影響審議会で説明させよと提案した。だが、東京都側はそれをうけることなく環境影響評価審議会開催、そして事業者側はそれに対して間違いも無いし、調査方法もこれでよし、と回答した。こうして今年も4カ月が過ぎた。

 その間、次第にばらばらの市民たちによる再開発反対運動が起きてきて、今の時代らしくネット活用による情報流通で、活動は次第に櫃のネット空間にまとまろうとして、熱を帯びてきている様子である。この面のリーダらしい人たちも登場している。
 わたしは知らないが、著名な音楽家やタレントが反対運動に加わっているようで、盛り上がりに関係しているのだろう。

 10年前の国立競技場騒動のころは、都市計画家が反対運動に登場することはなかったが、今回は珍しくも都市計画家の大方潤一郎さんがこれに加担なさっている。大方さんは10年前も専門家として事情をよくご存知のはすで、国立大学を退職なさったからだろうか。
 ところで競技場騒動では多くの建築家が登場したが、今回もいるのかしら。

 さて外苑再開発事業は、市街地再開発事業としての施行認可で法的にGOサインが出てしまったし、アセス審議会も事業進行中に適宜審査継続するとウヤムヤ通過しそうだ。どうなるおろうか。
 これから外苑再開発は本格的に動き出すようで、現場はもう板囲いに囲まれて、工事中雰囲気に満ち満ちているようだ。

●五輪外苑騒動史わが10年前妄想予測は当ったか

 このところ外苑前再開発について何やら騒がしい。あの有名人が反対してるからとか、あのいちょう並木が切られるとか、卑俗なレベルになって、急に世に知られるようになったらしい。と言っても世間的には東京あたりの人に限られるのであろう。

 そしてこれまでこの再開発計画は、10年前から立案が行政と事業者たちだけで密かに進められてきた、なんて、隠某論みたいなことを言う人も出てきた。
 それはそれで社会現象として面白いのだが、わたしに言わせると、実は不十分ながらも基10年前には基本的なことは公表されていたので、そこから今日の現象をある程度予想することもできたのだ。

 それなのに秘密裏に関係者だけでで進めたと世間が言うのは、要するに世間では都市計画なる公共的な空間計画制度にほとんど関心がなくて、知ろうとしなかっただけなのである。
 都市計画は身の回りの生活空間の将来像を示しているのだが世間は無関心であり、その都市計画が目に見える事業になってようやく気がついて、俺は知らなかったとか、秘密に進めたとかいうのである。

 10年前には外苑再開発の概略が分かっていた証拠として、2013年に書いたわたしのブログ記事がある。そのころにおきた外苑地区の地区計画という都市計画について、あれやこれやと指摘をしていたのだ。

 わたしはかつてフリーランスの都市計画家だったが、2013年には仕事の現役をしりぞいてしまい、ただの隠居老人だった。だから仕事を通じて特別に外苑地区計画を知っているのではなくて、ネット空間徘徊で素人でも知りうる情報により、批評やオチョクリや妄想やらを書いていたのだ。

 いまごろになり急にネット空間に外苑再開発がなんだかんだ登場するので、思い出して2013年のブログ記事を読み返してみた。
 おお、そうだったよなあ、今ごろ起きている問題をあの頃にもう予想もしているなあ、当たり外れもあるけど、われながら面白いなあ、フムフムと読んだのであった。

 これをお読みのあなたも、お暇なら長文だけどお読みくださいませ。

2013年12月【五輪騒動)神宮外苑都市計画談議1~10
http://datey.blogspot.com/2013/12/866.html

2013年~2023年【五輪外苑騒動】国立競技場改築騒動と神宮外苑再開発騒動瓢論集http://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

●神宮外苑再開発コンサルタントは答えよ

 いまイコモスの石川幹子さんから指摘されている環境アセスメントの問題だが、このアセスコンサルも日建設計だろうか。間違いだ虚偽だレベル低いなどと、石川さんにあれほど言われても表に出て答えないのは、答えられない事情があるのかしら?、専門家としてさぞや苦しいだろう、お気の毒になあ。

 神宮外苑再開発は誰がやっているのかしら、いわば雇われ事業者の三井不動産ばかりがやり玉に挙がっている感がある。
 しかし、本当の事業主は大地主の宗教法人「明治神宮」と独立行政法人「日本スポーツ振興センター」(JSC)であることは明白。三井不動産は再開発事業の権利者ではないようだから、都市再開発法が許す形式上の事業主である。それはそれでよい。

 だが、本当に事業主は土地所有トップの権利者は明治神宮である。第2の権利者はJSCである。第3、第4がいるが弱小権利である。ところが事実上の事業者の明治神宮と第2のそれのJSCがまったく表に出てこない。
 つまり、雇われマダム(マスター)の三井ばかりが表に出てくるから、反対運動者たちもこの目くらまし陽動作戦に誘導されて、三井ばかりをやり玉に挙げている。もちろん三井は忠実に役目を果たしているのだろう。

 ところで、世間の反対運動者たちは、どうして三井の雇い主である明治神宮やJSCを相手にしないのだろうか。直接に文句言うのは何か不都合があるのだろうか、あるいは作戦か。
 例えば最大権利者の宗教法人明治神宮にアピールするには、その本拠の神宮内苑にも行くべきだろう、初詣デモとか、、。
 あるいはJSCに文句言うのは、その親分の居る文科省にデモかけるとか、、。そもそも都市公園の計画決定を外したから可能になったこの事業の元凶は、文科省の子分のJSCなのだ。

 更にこの騒動の当事者として登場するべきなのは、それにこの市街地再開発事業にかかわるその専門家たちである。この再開発の計画から事業に至るには、都市計画家や建築家などの専門家が大きな役割をしているはずだが、どうして世間はやり玉にあげないないのだろうか?

 その専門家はどなたでしょうか?、少なくとも日建設計が関わっていることは確実ですよね、市街地再開発事業コンサルタント、都市計画家、ランドスケープアーキテクト、建築家など、全部の役割を請け負っているのかしら、ほかにも下請けの専門家も多くいるだろう。

 今話題のアセスについては、石川幹子さんから植生調査について論争を挑まれているのだから、その調査担当の植生専門家は堂々と名乗り出て、石川さんとの論争を受けて立ってはいかがすか、それが専門家というものでしょ。

 神宮再開発についての公的発表は下記にある。
●神宮外苑地区におけるまちづくりファクトシート(東京都都市整備局)https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/data/jinguu_factsheet03.pdf?230224=

神宮外苑地区のまちづくり(東京都都市整備局)https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei07.htm

(20230430記)

2023/04/05

1681【春来てコロナ逝くか】まだまだ減衰していく波をいくつか経てから消滅するのだろうなあ

 


 とうとう春になり、桜も散りだした。地球の季節模様はほぼ予定通り変わるが、地球の人間模様のコロナパンデミックとプーチン戦争は、どうなるのだろう?
 3月末は年度代わりだから、この世間記録ブログの役割として、コロナも年度末状況を見ておくことにする。

 全国都道府県ランキング表を見よう。あい変わらず防疫王者の地位にあるのは鳥取県、以下は徳島、島根、高知と続き、ここまでで10万人台は終りになった。東北地方の秋田山形は20万人だに脱落した。

 どうやら日本のコロナ防疫先進地は中四国地方がよろしいということらしい。今後の日本人口移住は、そちら方面に動くかもしれない。もっとも単に県の総人口が少ないということもあるかも知れないが、つまり、人口が多いのは危険も多いと証明されたのだ。

 コロナは一段落らしく、御上からこんなお達しがでているようだ。

 コロナと言えばマスクだったが、オカミのお達しでは、マスク着脱は「個人の自主的判断にゆだねる」とて、つまり各人の勝手にいたせ、とのことである。
 と言われても御下賜アベノマスクから始まり、この3年間も覆面強要というか励行社会だったので、その癖が従順なる下々にはすっかり身についてしまい、マスク無しで街を歩くなんてストリーキングやってる気がするのだ。

 こうも世に席捲したマスクなるもの、新たな文化を生み出しただろうか。このブログをちょっと振りかえると、2020年9月に「覆面社会到来を妄想」する与太話を書いていた。
 例えば「鼻と口は陰部秘所になり、マスクしないと猥褻物陳列」なんて書いたが、そうならないでいるから大外れの与太話だった。あるいは、マスキズム思想が台頭して政治が大きく変革するとか、ま、どれも当たらないなあ。

 あるいは、会話が感染の最大危険行為だから、スマフォ音声のみで会話するようになるとも書いたが、当たらなかったなあ。マスク反対派が大きく台頭して、覆面派人類と非覆面派人類の戦いになる、これも当たらなかったなあ。
 ついでに真面目に考えたのに当たらなかった予測で最も大きいのは、「コロナ巣ごもりで人口増加」であった。人口減少の起死回生にコロナが貢献すると思ったのに現実は逆で、コロナで人口が減ったとは予想外だった。

 個人的には、コロナによって一般にマスクが大きく普及したことを喜んでいた。それは美女美男が街に増えたからである。どんな人でもマスク顔を見ると、その隠れている部分を想像することになるが、それは美女美男の幻想が働く。
 コロナのおかげでこの美女美男が増えて喜んでいたのに、マスク着脱自由となると元に戻るのは残念。せめて自分だけでもこれからもマスクを着けて、他人を不愉快にしないようにするしかない。でもだんだん暑くなるとそうもいくまいなあ。

 でも、本当にコロナはもう風邪並みなんだろうか、今の第8の大波は終ろうとしているように見えるが、その先でいつまた上昇するか分からない。これまでなんどもそうしたのだから、これでバタッと波が消えるわけがない。

 始めのころからの波の形を見ると、小さな波から次第に大きな波になって、今が最大の波である。これでもう波は来ないのだろうか。突然消えるのだろうか。まさかね。

 凡人の常識から考えると、これからコロナが衰えるとなると、これまでやってきた波の形の逆をたどるだろうと思う。つまり、まだまだ7~8回の波が繰り返して、だんだんと小さくなるのだろう。とするとまだ1年以上はコロナが居座るのだろうか。

 それを妄想グラフにするとこうなるのかしら、、期待はしないが、予想できる。

(20230404記)

2023/04/03

1680【来年の花は?】まったくもって世の中に絶えて桜の無かりせば、、な春だ

 遂に4月も3日になって本格的な春到来、今年の桜開花は去年よりも早いようで、3月半ば過ぎからこちらの心が落ち着かずに、花ばかり気にしているのは、今の自分の年齢のこともあるが、なんとなくコロナ明けという世間の様子もある。

 ほぼ毎日徘徊に出かけるが、今日も根岸森林公園の桜を見てきた。近くの森林公園には何度も行っていながら、春の梅の花はみても桜の花見は初めてだ。もう盛りを過ぎていたが満開の時はかなりすごい風景と想像することができる。来年の花見をするなら、ぜひとも盛りの時に来よう。

根岸森林公園の桜、狂気のごとく咲く花というのもしらけるものだ

根岸森林公園の花見

 今年3月末からこれで花見を目的とする徘徊(徘徊定義は無目的だから正確には徘徊ではないが)に、もう5回も出かけたことになる。
 花吹雪は波もいいものだから、まだまだ花見徘徊やれそうだ。大岡山キャンパスには2回も花見に行ったし、横浜の近くの大岡川も掃部山ももちろん、わが家から見下ろす花見もあるのだ。

大岡川の花見

自宅下に咲く花には小さな布の花も咲く


大岡山のキャンパス花見

 桜の花見に心が急くのは、何しろ花の期間が1週間もないから、花に追いかけられている感があるからだ。
 来年もあるから急がなくてもいいよと言われそうだが、それがわたしの歳になるとそうはいっていられない。八十路半ばとなると、来年も花を見られるかなあと本気で思うことが、まわりから起きてくる。訃報である。

 同年の親友のひとりが重病でこの1年を送っているが、彼からのメ―ルに「来年も見られるかな」と一言あって、ズキンと響いた。もう10数年前にも、ある親友が病床で同じことを言い、次の花を見ることはなかった。
 わたしがそういう時はいつだろうかと思う。何かもっと格好良い言い方を、今の内から考えておこう。

 コロナがやって来た次の年の2021年春に、願わくは花のもとに春死なんその如月の望月のコロナと狂歌を詠んだ。そして22年もそう詠み、今年も詠んだ。
 いつになれば最後の「ナ」を言わなくて済むようになるか。いや、その時が来たらもとにもどって、狂歌でなくなるから詠まないな。

 実のところはコロナ禍であろうとなかろうと、今やわたしはこの心境である。西行は73歳でこの歌の通りに春に死んだそうだ。しかしこの歌が載る歌集が世に出されたのは死の5年前だから、この歌を彼が詠んだのは少なくとも死の5年以上前だ。つまり68歳以前だから、わたしよりも15年以上も若い頃だから、偉いものだ。いや、昔はいまより若くて死んだものだから、実年齢は同年くらいなんだな、と思うことにしよう。

 老いると桜の花見の視線が変わる。母校の大学キャンパスの花見を同期仲間と毎年やっているが、その桜の樹がもうヨレヨレの老木なのである。樹幹は広がっているから花は大きく広く咲く。もう70歳くらいの超老木なのに偉いものだ。
 だが、花の下の幹を見ると黒々とひと一抱え以上もあり、ごつごつとして左右に凸凹とし、そこからいくつもの枝が、自由自在に上下左右に伸びる。地を這うように横に伸びる枝もあるし、半分皮がむけて筋肉が見える枝もある。
 そんな老木が花お咲かせているのは、どうも無理やりやっているような、それはそのままわれらが老いの無理矢理姿に思えてしまう。花見ならぬ幹見をして、気の毒になる。

大岡山キャンパスの桜 老幹にも一輪づつ咲かせる健気さ

 今年の花見の時は、コロナ明けともいえる時期に重なったから、なおさら感慨深い。本当にコロナが明けたとは到底思えないが、とりあえずは政府がマスクはいらないよと言ったから(本当に言ったかしら)、いつもは政府嫌いなのに、こんな時ははいはいと便乗していうことを聞いてしまい、マスクを外して人に会って喜んでいる。

 言い訳すれば、じつはそれには切ない心情が裏にあるのだ。そう、花に来年は会えないかもと思うように、人にも同じ様に思うのである。
 3月から急に親しい知人たちに会う機会が多くなった(多くした)。リタイアした仲間同士では特に用事があるでもないが、花と同じでいま会わないと次がないかもしれないから、今のうちに会おう会おうと言いあう。これでコロナがぶり返すかもしれない。そうなると本当に会えなくなる。

 一緒に花見酒を飲もうよと言いあっている人も多いだろう。だが、わたしはコロナで逼塞中に酒飲む気がなくなってしまった。コロナ前にはよく一緒に飲んでワイワイとやる人たちも、互いに敬遠しあうしかなかった。
 その時期がこれほども長くなり、わたしはひとりで飲むのもバカらしいままでいたら、酒の美味さも誰かと飲む楽しさも、どうやら忘れてしまったらしい。

 先日、久しぶりに大学時代の山岳部仲間7人で飲み会やった時に、わたしはビールをグラス一杯だけで後はお茶を飲んでいたが、それで十分に楽しかった。これは年寄りには懐にも健康にもよいこと思うと、われながら殊勝げで、かえって癪に障る。まあ飲まないでいいや。
 でも、なんだか他人とじっくり話す方法も忘れたような感もある。これは年寄りのボケが進んだということだろう。

(2023年4月2日記)


2023/03/26

1679【大岡山花見2023】毎年恒例人生最後の花見を今年も雨中ながらも決行

 毎年、大学同期仲間数人と、春になると母校の花見で一杯の集まりをやってきた。コロナ中も人数は激減したが、欠かさなかった。
 今年はコロナ忌が明けたらしいのだが、仲間に誘いメールしても反応がない。そうこうするうちに花は待ってくれず、咲き出したらしい。とにかく下見にでも行ってくるかと、自由が丘に用事を作って、そのついでという名目で出かけた。

 大岡山駅に1年ぶりに下車、地上に出ると、おお、なんということ、本格的にザアザアと雨が降っている。駅前広場に何やら露店が出ているのは、花見客を狙ってか駅前商店街イベントらしい、雨で気の毒。篠原建築の百年館はキャンパスランドマークとして健在。

 
   

 模様替え中の校門を入ろうとすると、大きなキャンパス案内板の展示、フムフムこれが最新のキャンパスか、全体の形は昔と変わらぬが建物は激変。
 でもこれが近いうちにまた激変するとか、なんでも田町にある付属高校を緑が丘にもってきて、田町の高校跡地にの校舎や貸室の超高層ビルを建てて、こちらから一部学部など移転するとかで、建築系もこ田町に移すらしい。そうだ、近日中に大学名も激変らしい。





















 校門あたりから見る雨で何となくうす暗い風景の間に、桜の花の華やぎがほの見える。手前左にあるクマ建築が邪魔、お前のせいで桜も本館もろくに見えないぞ。















 
 本館の正面に回ってバックして階段を上って全体を見る。左のクマの滝プラザは変な格好だなあ、屋根に木を植えるなら、白壁にツタをまとわせてはどうか。中央に本館前桜広場、右に図書館。今年の桜は花は去年よりも何となく密度があり、まとまっているような。去年の老桜の枝枝はもっと暴れていた記憶がある。






















 本館前の花の広場は、花でおおわれてしまっている。今年の老桜はなんだか頑張っているみたいだ。何か老いを止める治療でもやったのか。





















 たしかに去年まではもっと暴れた枝があちこちに跳ね上がっていた。どうやらそれなりに剪定されたらしい。そしてそれに応じてどこやら行儀よく咲き誇ったらしい。雨が降りしきるのに合わせて花びらも散り敷きつつある。
 カメラもリュックサックも肩もズボンも雨に濡れる。まあ、花の下の暗がりでしっぽり濡れるのも悪くないと思うが、一人なのが残念だ。それにしても老桜の幹の迫力というか、けなげというか、老残というか、わが身を見るがごとき。


 左に列植してある若木の桜がこの老桜にとって代わる頃を、わたしが見ることはもちろんない。わたしがこのキャンパスに初めて来た頃、今の老桜があの若木であった。





















 スロープ下に2軍ともいうべき桜並木が色とりどりに咲き誇っている。

 スロープ途中から、谷口吉郎建築と清家清建築に敬意を表しつつ、雨中花見をする。


 緑が丘方面へとトンネルをくぐり、呑み川の橋を渡りつつ、坂を登りつつ宇宙花見を続ける。実のところは、雨に負けてもうやめたい気分でもあったが、ここまで来たらいつものコースを行くぞと、意地になってきた。






















 緑が丘上から呑川にかかる木造橋の手すりに触れるばかりに、土手に狂気のごとく咲きそろい、絶え間なく雫を垂らす花々を見つめる。濡れた妖気が漂う。
 緑が丘の上から裏門に向かって下る道から振りかえってみる。昔々大学寮からこの坂道を歩き下って、緑が丘や自由が丘の街に出かけたものだ。今はこの一帯は建築系のエリアらしいが、遠くないうちに付属高校になるとか。そうしたら建築系は入れ替わって、田町に移るらしい。いつ頃のことだろうか。

  裏門を出て街から振り返る。裏門というには立派過ぎるほどに大きくなっている。

   緑が丘の「緑が丘百貨店」という市場は昔もあった気がする。健在である。





















 緑が丘駅は立派な高架駅である。この効果の下をくぐって向こうに行けば、そちらにも裏門ができている。





















 これで今日の雨中単独花見はおしまい、また晴れた日に仲間と語らって出直し、花吹雪を浴びようか、それとも葉桜見物でもやりたいものだ。(20230325記)

(20230329追記)
 物好きにも3月29日に今年2度目の大岡山花見をしてきた。この前が雨だったので、晴れた日に見ておこうと、同期同クラス仲間も誘ったら5人が集まった。その中には私と同様に2度目が一人いた。晴れたり曇ったりだったが、桜はやはり雨より晴れた空のもとで見る方が美しい。





























 ついでに2018年の参加者も見よう。故人となったものが一人いる。



1678【創宇社建築会創設百年】関東大震災の余燼の中に立ち上った若者たちの建築運動グループ

 1923年9月1日の関東大震災、今年はそれから100年、天災は今も盛んになるばかり、関東大震災100年で何か大きなイベントがあるだろうとは予想できる。
 その大震災の余燼がくすぶる中の東京駅前、中央郵便局裏の掘立小屋で若者建築家たちが、建築運動のグループ「創宇社建築会」を立ち上げた。それから百年目になるので、誰かが何か記念行事をやるのかなと、ちょっと期待を持っていた。

 3年前の2020年に「分離派建築会100年展」なるものが分離派100年研究会によって、開催された。建築史界では、創宇社建築会をその分離派の亜流のごとくにを位置づけているようだ。
 創宇社建築会が創設100年目にあたるなら、こちらも研究会を作って何か展覧会とかシンポジウムをやるだろう。どうせなら研究を推し進めて、亜流説を脱するような展開があると面白いだろうと思っているのである。

 そんなところにドンピシャ、『創宇社建築会100年研究会 第1回シンポジウム「建築運動」を語る  アーカイブズをめぐって』への参加お誘いが、名古屋市立大学の佐藤美弥さんから来た。3月25日、東京都市大学世田谷キャンパスである。


 おお、やっぱりこちらも100年目イベントがあるか、分離派ほどに有名エリート建築家グループではないので、世間が知らないのは当たり前としても、建築界、建築史界でもどれほど興味持つのだろうか、特に若い建築家たちが知っているだろうか、それがわたしの興味の一つでもある。第2回、第3回へと期待する。

 分離派が東京帝大出の石本喜久治、堀口捨巳、山田守らの、後に有名建築家になるメンバーたちに比べると、創宇社は帝大出は一人もいない。後に有名建築家になった海老原一郎がエリート学校といえばそうである東京美術学校出であるのみ。
 会のリーダーの山口文象は後に有名になったが、東京職工徒弟学校出であったし、多くが実業専門学校出であった。これらの出自のせいであるということもできないだろうが、これらふたつの会の活動の展開方向がおのずから異なっていったのが、実に興味深い。

 コロナでこのところシンポジウムとか会合参加はZOOMやU-tubeばかりで、参加度合いが浅いままに終わるから不満がたまる。たとえ自分の発言がなくても、実際にその場の雰囲気で面白度合いも理解度合いも大いに異なる。ズームやっててムズムズしてきた。
 そんなところにこのお誘いで、ちょっと顔を出して知ってる人たちに会うかもしれないなと、久しぶりにちょっとうれくなって参加した。この3年間ロクに遠出していないから、子どもの遠足の気分でもある。

 せっかくだから久しぶりに会った旧知のお方たちを書いておく。会場参加者は全部で20人ほど、ネットではどれほどか知らない。
 挨拶した順に、岡山理香さん、佐藤美弥さん、鈴木進さん、山口勝敏さん、山口麗子さん、小町和義さんである。
 4年ぶりの小町さんには驚いた。山口文象の最後の弟子で95歳のはずだ。こういう会合に参加するとほとんどの場合、わたしが最高齢になってひそかに当惑するが、今回は小町さんにその地位を奪われた。小町さんから「北鎌倉の宝庵に一緒にまた行きたい」と誘われてしまった。う~む、元気すぎるお方だ。

 さてシンポジウムの内容である。「アーカイブズをめぐって」京都大学の西山卯三、東京都市大学の蔵田周忠、建築家竹村新太郎が、それぞれ遺した資料についての各報告、次いで討論や質疑であった。
 いずれの資料も近現代の建築や社会を語る歴史的資料として貴重であると分ったが、その膨大な数をどのように評価し、どう整理して、世にどう公開するか、課題はいっぱいらしい。特に公開するときのプライバシー問題が深刻らしい。

 わたしは研究者でも学者でもない趣味人だから、聞いていて気楽なものである。わたしが建築家のアーカイブズらしきものにかかわったのは、建築家山口文象が遺したRIAにある資料である。山口は西山や蔵田と違って資料を積極的に保存する性格ではなかったが、それでもかなりの点数がある。

 それらをアーカイブズとして保存し、時に外部からの閲覧に対応するには、それなりの組織体制と人材が必要である。
 わたしがRIAにいるころに、その基礎的な仕掛けは作っておいたが、大きくもない民間組織でアーカイブズ化をどこまで可能か。わたしがRIAを出てから収集した紙資料類は、RIAの文象アーカイブズに数年前にエクセル目録と共に全部納めた。
 この創宇社建築会100年という節目で、また山口文象資料への需要が出るかもしれない。シンポ会場にRIAの若い人が3人来ていたから、文象アーカイブズに取り組むらしく、頼もしくも楽しみだ。

 わたし個人としてもアーカイブズがある。ほとんどデータ化してネット空間とPCディスクに入れてある。そのうち山口文象関係に関しては、そのサイトでわたしに自主研究遊びとして公開しているが(山口文象+初期RIA)、個人趣味のサイトだから勝手なものである。
 しかし、大学あるいは企業のような立場でのサイトでは、わたしのような勝手な個人と違って、著作権や版権あるいはプライバシーに厳重に配慮しなければならないから、半端では公開できないだろう。

 実を言えば、わたしの山口文象関係のサイト掲載分もPC内データ分も、勝手な言い分だがどこかに引き取ってもらいたい気がしている。わたしはこれらの維持管理が不可能になる日が、もうすぐくるに違いないからだ。
 その時にすべて消滅させてもわたしはかまわないのだが、ちょくちょく院生や学生から問い合わせがあるように(最近は東北大のドクターコースの人から高松美術館についてのインタビューを受けた)、もしかして誰かが研究用に使うこともあるなら、どこかのアーカイブズに今のうちに引き取ってほしいとも思う。

 シンポジウムの主催者側の佐藤美弥さんが、創宇社建築会の本「創宇社建築会の時代 戦前都市文化のゆくえ」を今月末に上梓するとのことである。最上の創宇社建築会創立100年記念になった。http://yoshidapublishing.moon.bindcloud.jp/pg4784863.html

 そういえば思い出したが、創宇社建築会リーダーの山口文象にその出世作となる黒部第2発電所とダムの設計にあたらせた人は、日本電力技師長の石井頴一郎だった。後に関東学院大学の教授になり、その遺した資料が大学の図書館に寄贈されたと聞いたことがある。山口が関わった黒部川や庄川のダムや発電所などの資料があるはずなので、閲覧したいものである。寄付されてしばらくはまだ整理されていないので非公開だったが、もう10数年たつからアーカイブズとして公開されているだろうか。
                      (20220326記)






2023/03/24

1677【日本流ウクライナ支援】お土産は必勝杓子千人針防空頭巾竹槍火叩き

熊五郎:こんちわ~、ご隠居、お元気ですね。

ご隠居:おお、熊さん、まあ、お上がりよ。今日はマスクなしだね。

:そう、自主判断だそうですから、ご隠居と話すのならいいかと思ってね。

:まあいいか、たがいに感染しあっても、古い仲だからね。

:そういうもんでもないでしょうがね。

:ところでプーチン戦争はまだ終わらないねえ、終る前に私が死んでしまうよ。

:え、関係ないでしょ。

:いやね、コロナと戦争というとんでもないことに人生の終盤に出会ってね、これが終わると世の中がどう変わてるんだろうかと、それに大いに興味を持ってるんだよ。

:なるほど、どちらも早く終わって、その後を見たいんですね、う~ん。

:第2次大戦が終わってからの大きな社会変化を、身をもって興味深く見てきたから、今度の事実上の第3次世界大戦の後も大いに興味あるんだよ。

:その戦争ですが、つい先日のこと日本の総理大臣がウクライナを、お忍び訪問したらしいですね、堂々と訪ねるとロシアからミサイルで狙い撃ちされるからでしょうね。

:5月に広島でG7とかって世界の7つの自称大国の会議をやるのだけど、ホスト役の岸田さんだけがまだウクライナに行ってない、で、メンツがないとて慌てて行ったらしい。

:で、お土産に持っていたのが、なんと、必勝飯杓子だというのだから、何とも面白い。

:杓子って岸田さん出身の広島県宮島名産の土産品だろ、なんでも日清・日露戦争の時に、杓子=飯取る=敵を召し取るってごろ合わせで、必勝と表面に書いて勝負事の縁起物として売り出して流行りだしたらしい。日清日露日中日米の戦争で本当に縁起よかったのだろうかねえ。

宮島名物必勝杓子(杓文字)

:だから岸田さんも選挙の時に、この必勝杓子にすがって当選したので、ゼレンスキー大統領にもあやからせようってんですね。ゼレさんに意味が通じたでしょうかねえ。

:あ、そうだ、もしかしてアレも贈ったかもしれないね、ほれ、弾除けというかミサイル除けのあれだよ。

:え、なんです、アレって。

:うん、昔、日本が戦争してた頃にね、戦場に行く男に持たせたのがアレ、そう、処女の陰毛だよ。

:え、なんでそれが弾除け、ミサイル除けなんです。

:うん、ほれ、まだタマもミサイルも当たっていないから、と、昔の人は言ったもんだよウヒヒ。

:おお、それはいかにも日本独自のウクライナ援助物資ですねえ、ほかにも千人針ってのもあったでしょ。

:そうそう、死線を超えるって五円玉とか、ミサイルが頭に当たっても大丈夫なように布製防空頭巾とか、ミサイルで火事になったら消す火叩きとか、ロシア兵との市街地肉弾戦用の竹槍とか、あれやこれやと日本式ウクライナ支援物資をたくさん持って、岸田さんは隠密訪問したのだろうね。

お土産は必勝杓子千人針防空頭巾竹槍火叩き

:それってご隠居の知ってる戦時中の防備ですか、よく分からんけど、そのような戦争国援助なら日本国憲法違反にならないでしょう。これでウクライナも大いに反撃することができる。ところでこれが首相のウクライナ訪問を報じる新聞の第1面ですよ、この扱いって、どういうことなんでしょうね。


:おお、トップ記事の「はべるジェイ世界一奪還」って何のことか知らないけど、ミサイル飛びくる戦場への首相の直接訪問で、なんとNATO基金を通じて3000万ドルもの巨額戦争支援金提供約束よりも、もっともっと重大なことがアメリカで起きたらしいね。

:いやいや、大したことじゃないですよ「サムライジャパン世界一奪還」と読むんですがね、世界中の野球チームの勝負で、日本チームが優勝ってことですよ。。

:おお、野球もやっぱり必勝杓子を持って行ったのだろうね、ご利益あったね、ウクライナでもさぞやご利益あることだろうよ。

:でもねえ、これでプーチンが怒って日本に向けてミサイルを撃ち込んでくるかもしれないほどに深刻な仕業なのに、野球ごとき遊びよりもニュース価値が低いって、朝日新聞は大丈夫なんでしょうかね?

:いやいや、さすがに必勝杓子ごときに怒るようなプーチンじゃないだろうよ、わはは、あ、いや、3000万ドルの方には怒るだろうな、ぶるぶる。      (20230324記)

(20230329追記
 宮島必勝杓子の御利益がもう現れた。
 
上の記事にプーチンが怒って日本に向けてミサイルを撃ち込んでくる」と書いたら、今朝の東京新聞に「ロシアが日本海で巡航ミサイル2発」の見出し記事である。



◆コロナ大戦+プーチン大戦おろおろ日録◆

2023/03/10

1676【東京大空襲】1945年日本は現代ウクライナと同じに無差別空爆におののく日々

 3月10日と言えば、1945年のこの日夜半からUSA空軍による大空襲で東京は大炎上した。10万人以上で実数はわからない死者の巨大人災は、現在もウクライナで続く。
 もちろんこの年はその後に横浜も小田原も大阪も、日本中の各地が空爆にあって炎上した。今、ウクライナではミサイルが降ってくるように、日本各地で空から降る焼夷弾におののきながら暮らしていた。人間は78年経っても変わらないのか、忘れたのか。

東京大空襲空撮(1945)Wikipedediaより 

 わたしは岡山県中西部の空にめったに飛行機も見ないような小さな盆地にいたので、幸いにも空襲を経験しないで済んだ。
 だが父は国内で軍務についていて、その軍隊が移動中にこの大空襲直後の東京を通った。そして移動先の小田原で湘南海岸に上陸してく連合軍に備えて、本土決戦の準備の塹壕掘りで郊外の山中にいて、8月15日未明の小田原市街の空襲炎上を遠望した。

 戦中のUSA軍の空襲と言えば、建築家アントニン・レイモンドを思い出す。彼は日本空爆のコンサルタント建築家だったのだ。
 帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの助手として来日し、そのまま日本で建築家として独立して、1937年まで日本で仕事をして多くの名建築を生んだ。

 そしてUSAに戻ってからは、第2次世界大戦におけるUSA軍の日本空襲につき、日本の都市と建築をよく知る建築家として、効果的な空爆を行うための実物大の市街地模型の建設を指導した。
 木造家屋群を効果的に破壊炎上させる実験により、空爆エリアの周辺部から焼夷弾を投下して燃やし尽す空爆システムが開発された。
 これについてはわたしは既にこちらに書いているので参照されたい。https://datey.blogspot.com/2016/02/1171.html

 そういう日なので、今日の横浜都心徘徊は、思いついてそのレイモンド設計の不二家という菓子屋レストランの建物を横浜都心の伊勢佐木町商店街で眺めてきた。1938年竣工だから、彼の離日直前ころの作品である。
 彼の作品だからというわけではあるまいが、1945年5月29日の横浜大空襲からも焼け残った。そして終戦直後に横浜都心部一帯が占領軍(進駐軍と言った)に接収された時、この不二家の建物も接収され、「横浜赤十字クラブ」と呼ばれる進駐軍専用の娯楽厚生施設になった。
 レイモンドはここでもUSA軍に貢献した。不二家が返還されたのは1952年であった。

横浜伊勢佐木町不二家(1938)と防火建築帯(1950年代)の建築群


不二家建築の裏側

 では同じころにレイモンドが設計した、USA軍空爆実験のための「Japanese Villedge」のデザインはどうか。
 もちろん木造密集市街地であるのだろうが、妻壁が防火壁らしく立ち上っている棟もある。「後方にドイツ村」と書いてあるから、それはドイツ空爆のため煉瓦造だろうか。
 こうやって見るとさすがレーモンド設計だなあと、皮肉を言いたくなる。
 なんだか立派に見えるが空爆実験用だから、建てては燃やし、建ては破壊したのであろうが、もったいない。

 そういえば横浜の山手には、レイモンド設計の木造のエリスマン邸が建っている。今は観光施設になっているが、これを見ても不二家を見ても、その設計者が日本に巨大な災難をもたらした建築家と思う人はいないだろう。

エリスマン邸(1926)

 余談だが、アントニン・レイモンドが指導した空爆模型を作ったJapanVillageのことをWikipediaで読んでいたら、そのころやはり日本の街を炎上させる空爆方法として、コウモリ爆弾の研究があったという。
 コウモリに時限作動装置付き焼夷弾を抱かせて投下して、習性として屋根裏に飛び入る頃に発火炎上させる。家屋炎上はするが人命災害は少なくて済む利点があるとされたが、開発が遅れて実用に至らなかったという。なんだか風船爆弾を連想した。(20230310記)

2023/03/01

1675【コロナ大戦休戦か】第八波が衰えつつあるがこれで消滅か年末には最後の壮大なる第九かも

 コロナ騒ぎが始まって3年と2カ月、このところなんとなくコロナ休戦になった模様で、マスメディア報道がめっきり少ない。
 でも終戦じゃない証拠には、やはり昨日だって感染者が1万5千人近くも出たし、67人も死んだのだ。
 だが世の中はコロナを忘れたみたいである。わたしも忘れているのだが、外出するときに習慣となっているマスクをつけた時だけコロナの世であることを思い出す。

●2020年1~3月のコロナ

 ちょっと思いついて、コロナニュースに初めて出くわしたころの私の日記(抄)を読んでみた。ここに日記本文ではなくて、ある会の機関誌に3カ月ごとに抄録を掲載するのだが、その2020年1月から3月初め分抄録をここに載せる。
 チャイナの武漢の話から始まり、日本初のコロナ死者、クルーズ船コロナ禍、学校閉鎖、非常事態へと歩む初期の緊張を思い出す。

・2020年1月
 24日武漢三鎮】中国の武漢をコロナ軍が攻撃中とか、武漢と聞けば1938年「武漢三鎮攻略作戦」日中泥沼十五年戦争、あの時は陥落したけど最後は追い出したから、今度も頑張ってね。
 29日新型コロナ肺炎流行】新型風邪大流行開始の危機、用もないのに出歩くと犯罪扱い、うちで寝てると年寄りはそのまま寝たきりに、積極的に出かけてコロリがよしと思えど低死亡率、どうしたもんかねえ。
・2020年2月
 6日【身近なコロナ】コロナに襲われ幽閉された大型船客ら3700人、その船がうちの5キロほど先の横浜港埠頭にいるとて野次馬遠望してきた。遠い武漢が一気に身近、現代社会は脆弱、中世ペストと大差ないか。
 24日感染覇権あらそい】現在感染者数は中77000人、日855人、韓833人、チャイナが群を抜いて新興国覇権ぶり、後塵を拝して日本は第2位、日本に負けるなコリアが3位、中日韓アジア3大国の覇権争い中。
 26日日韓逆転】韓1261人、日869人、おお、大逆転されたあ、いや、そういうもんじゃないか。
 28日コロナ死亡】日本ついに10人、人生最期くらいは流行最先端ベスト10入り狙ってたのになあ。
 29日【学校閉鎖】インフルエンザで毎年千人以上死ぬのに、コロナならどうして百人で全国の学校閉鎖するほどの大騒ぎなのですか?、教えてください。
・2020年3月
 2日濃厚接触回避】今朝のニュース『首相は、換気が悪く人が密集する空間に集まることを避けるよう国民に求めた』ってさ、次は『狭い空間で男女濃厚接触行為を避けるよう求める』んだね、人口減るばかり。
 4日騒ぎ過ぎかな】世界的コロナ感染で日本は学校閉鎖、だが身辺は何事もなしなのに、観光地ガラガラ、乗り物ガラガラ、飲食店ガラガラ、こりゃあ快適だ、当分続いてくれ。3月5日【非常事態宣言】安倍首相は強制力ある非常事態宣言発令願望らしい、宣言1号「全国民の男女狭隘空間濃厚接触禁止」、宣言2号「全国民の空気吸引禁止」とか、堂々とピンピンコロリ政策ですな。

●2023年2月のコロナ

 コロナ騒ぎが始まって3年と2カ月、このところなんとなくコロナ休戦になった模様で、マスメディア報道がめっきり少ない。でも終戦じゃない証拠には、やはり昨日だって感染者が1万5千人近くも出たし、67人も死んだのだ。

 だが世の中はコロナを忘れたみたいである。わたしも忘れているのだが、外出するときに習慣となっているマスクをつけるときにコロナの世であることを思い出す。逆に言えばマスクがないとコロナもなくなるのだ。これでよいのだろうか。

 病理学的なことは分からないし興味もないが、社会学的にまことに面白い世の中であると思う。壮大なる社会実験をやっているのだ。実験の結果で社会はどう変わるのか、もう3年もやっていると、すでに社会は変わったに違いない。誰か社会学者がそのあたりをうまくまとめて書いてくれないものだろうか。自分自身のことを客観視はできないものだ。

 コロナ第8波(どうしても八波むと志を連想する)は、感染者数は第7波に次ぐ多さだったし、何よりも死者数は第7波を越えて日本一の大山だったのだなあ。第7波の時よりもワクチンが普及するから感染者も死者も減る、と言われいたような気がする。だが、これではワクチンは関係なかったみたいな数字だぞ。なんかへんだなあ

 あ、そうだ、1月末に飲み会やろうと、大学同期生たち7人で集まる企画を立てていたら、うち一人がコロナ感染してみんな我がことと思い、急遽延期したのだった。コロナはわれらが超高齢者の身に迫ってきた体験だった。
 幸いにもその感染した知人は基礎疾患あるのに治癒して、3月末に飲み会をやり直すことにしたのだ。その前にまた誰かが感染するかも知れない。


 そんな大物の第8波だったのにしては、第7波ほどに騒がなかったのは、いったいどうしてなのだろうか。もう人間がコロナ慣れして、何が起きても無視するようになったのか。あるいはコロナ疲れしてもう何もしたくなくなったのか。あるいは政府に資金が尽きてしまって何もしないという政策を選択したのか???

 でもこれまでの波の具合から考えて、このままパタリとコロナがオサラバしてくれるとは思いにくい。3年前の出だしからの波の具合の逆をたどって、次第に減衰すると考えるのが普通だろう。そうっだ、年未にまたやってくるに違いない、そう、年末が危ない。
 そこで狂歌を1首

第八波コロナ消えゆく気配見せ油断をさせて年末に第九

●日本都道府県別コロナランキング

 都道府県別のコロナ防疫ランキングで、当初からいつもトップを走ってきた鳥取県は、いまも堂々たるトップをである。同様に2位を走ってきた隣の島根は、このところ四国の徳島に追い抜かれている。4位は四国の高知、5位は東北の秋田、ついで福井、山梨と続き、ここまでベスト7が10万人台である。

 ワーストランキングトップはもちろんいつも東京である。ついで大阪、神奈川、愛知、埼玉、福岡、兵庫、千葉、北海道で、ここまでが100万人を超えている。

 これらベストもワーストも順番は原則として総人口順であるが、若干の入れ替わりもある。特異なのはワースト14にある沖縄県で、県の総人口では30位にあるのだから、コロナ感染率が異常に高い。これは観光客の入れ込みが影響したのだろうか。

●プーチン戦争とコロナ

 ウクライナでのプーチン戦争はいっこうに終わろうとする気配がない。2022年3月1日のブログにウクライナとロシアのコロナ模様を書いているが、両国ともに数回のコロナ大波の襲われてた。そしてこう書いた「第1次大戦時のスペイン風邪ウィルスのように、戦争終結に寄与してくれることを期待するしかない。戦争よりもウィルスのほうがまだましだろう



 その後にもウクライナのコロナ状況を見ていたのだが、すぐにコロナ統計が出てこなくなった。それはそうだろう、戦乱の中では統計どころではないだろう。
 もちろんロシアの方のコロナは昨年秋には猛威を振るっているのだ。だが、コロナと戦争が関連するニュースを見ない。どうもコロナにはスペイン風邪の様に戦争を止めてくれる力はないらしい。

(2023/03/02記 まちもり散人=伊達美徳)
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伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
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