2008/10/27

056【各地の風景】信州・松代で江戸時代の街並みと昭和戦中の大本営跡をみてきたが、、、

 10月25,26日に、「全国路地サミット」なる会議が長野市であり、善光寺門前町と松代の街を訪れてきた。
 松代は私は初めての訪問であった。わたしがある街を初めて訪問する時は、事前に調べることをしない主義である。ぶっつけで行って見て、その街がどれだけ私を街の入り口から歓迎してくれるか、そして街のなかをいかに上手に見せてくれる仕掛けになっているか、それを試すのである。

 結論から言うと、この松代は落第生であった。
 もっとも、これまで及第した街はないから、仕方が無いとも言える。
 いずれ私の「まちもり通信」にも松代のことを書くが、ここにはとりあえず落第の理由をレポートしておく。
 長野駅前からシャトルバス「エコール・ド・松代」号に乗る。日曜日というのにガラガラである。
 この日はたまたま私たちサミット参加仲間が乗っているからにぎやかだが、いつもは乗客がいるのかしら。ハイデッキの観光バスタイプの乗り合いバスなので、もったいない。
 そもそも、これに乗るのに、駅前で乗り場案内からして、どこにあるのか探すのにうろうろしてしまい、交番でも分からず、どうも不親切であった。

 私は観光的に用意されている名所旧跡には、あまり興味がないへそ曲がりなので、普通の街並みを主に見て歩いた。
 松代の街は、観光への取り組みをそれなりに街づくりとしてやっているようで、歴史的な武家町も商人町も、そして木町通りの新しい街並み作りへの努力も、なかなかよかった。
 一応は観光スポットとして、池田満寿夫美術館、佐久間象山記念館、大本営地下壕の3箇所でけは見学した。これらも満足だった。 


 
 大不満であったことが二つある。
 第1は、観光案内地図が全くもってなっていないことである
 歩くには、その距離が分からないのが一番困るのであるが、それが松代のどの地図を見ても分からない。かろうじて、街角に立つ案内看板が、縮尺が合っているのみである。
 一生懸命作ったらしい「信州城下町松代まるごとミュージアムかわら版絵地図」なる観光地図も、買い物ついでにくれる地図も、地図の基本である距離と南北が分からないのである。縮尺が合っていないお絵かきでは、これを持って歩くのが不便で仕方がない。

 それらの観光地図には、観光スポットしか書いていないから、そこが街の中なのか、田んぼの中なのか、山の中か分からないし、私の興味のある街並みはどこにあるのか分からない。路地も書いていない。
 これは松代に限らず、長野の善光寺門前町の観光地図も同じだったし、私の知る限り、日本全国の街で同じである。困ったものである。

 もっとも、私くらいの街歩き達人となると、わが眼と鼻だけでも、街並みのよさそうなところ(特にB級街並み)を探し出すことができるのであるが、。
 地図を作るには、どこの市町村にも、縮尺1/2500の地形図(国土基本図)がある。まずこれを下地に薄く印刷し、その上にお好きな案内地図を描いてはどうか、そこから先はデザイナーの腕次第である。
 そして重要なことは、地元の人が作ってはいけないのだ。知りすぎていることを記入しないからである。地図はよそ者のためのものなのだ。
 と、いつもどこの街でも観光関係の方にこう言っているが、やってもらえない。唯一、私が指導?した鯖江市の地図のみが、私の眼に適うものだ。

 大不満の第2は、街の中はそれなりに景観を保つ努力をされていて、ちょっと気持ちがよいのだが、街の出入り口周りになると、とたんに広告だらけのハデ派手な醜い風景に出くわしたことだ。
 頭かくして尻かくさずというか、玄関はゴミだらけでも居間がきれいならよいのか

 街を訪れる客が、最初に出くわす松代の風景が、こんなに汚れていても松代の人たちは平気なのだろうか、不思議である。わがコレクション「日本全国醜い風景アルバム」ここもクリックをどうぞ)に風景がひとつ増えた。