2009/03/05

104【各地の風景】この世とあの世は同じ景観:京都の鳥辺野墓地と横浜の久保山墓地

 京都の東山にある鳥辺野は、古代からの都の墓所であった。
 久しぶりに京都をたずねて、鞍馬。貴船にも行ってきたが、帰る日は毎度定番の清水寺に、鳥辺山を抜けて行くことにした。
 大谷本廟の北の細い道をだらだらと登ると、そこが鳥辺野の墓地である。尾根ひとつがそっくり林立する石塔で覆われる。
 わたしは現実主義者で、墓地が気味悪いくもないし、有名人だれそれの墓を訪ねる趣味は全くない。さすがに歴史がすごいだけに、この墓所の石塔は風雪の年季が入っているようだ。
 振り返ると京都の街が一目で見える。
 鎌倉の中世の墓地も山の上に作られていたが、京都でもそうだとすると、葬送は死者が生きていたときの世界を見下ろす高いところにあることに意味があるのか、それとも単に死体の捨て場所として街では困ったからか。
 京都駅のあたりを墓地を通して眺めると、お灯明の京都タワーが建っていて、その前あたりには京都駅ビルが灰色に立ち並ぶ墓石群である。この世とあの世の景観が見事に合体する。


 横浜でも同じような経験をしたことがある。久保山墓地から「みなとみらい21地区」の超高層建築群が、こちらの墓地の墓石群と見事にシンクロナイズしているのである。
現物の大きさには違いはあるとしても、ある一定のプロポーションによる建ちかたは、ビルと墓石は同じなのである。だから鳥辺山も久保山も墓地も街も同じ景観になるのは当然のことである。
 そういえば超高層建築の建て方に、低層部の10階くらいまでは広く、その上に細い縦長に乗る形になるものが多く、それはそっくり墓石の形そのものである。それが群をなす街の縮小版が墓地である。 街は高層建築が増えていくたびに、あの世の景観の拡大版になっていく。
 墓地は死者のための特別の空間と思っていても、しょせん人間が作る景観はそんなものである。(090302)

関連→099能幻想の清水寺  →100京都の街並み本物偽物? 

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