実はこれは、ここにあった三菱1号館の原寸大模型というかコピー建築なのである。それは19世紀末の昔昔に建った、日本で初めての洋風貸事務所であった。
◆
◆
丸の内は19世紀末以来営々とオフィス街の経営として、何度も建てては建て直してきた。
20世紀半ば、丸の内の高層建て替えがすすみだして、三菱1号館も1968年に壊された。
もちろん当時すでに重要文化財級の建物として、文化財保護委員会(後に文化庁)も学会も、その指定をして保存をするべきと考えていた。
所有する三菱地所に要望して保存策を検討していたが、まとまらないままに、1968年3月23日(土曜日)、三菱地所は取り壊し工事を強行してしまった。理由は耐震的に危ないからということだった。
三菱地所社史によると、どこかに移築するかもしれないとの考えもあったので、解体部材を三菱開東閣(これは重要文化財となっている)に保存したが、移築先がなくてほとんど廃棄されてしまい、ほんの一部が残っていたそうだ。
跡には15階建ての普通のオフィスビル・三菱商事ビルが建った。
◆
そして21世紀はじめ、この15階建て三菱商事ビルのほかに、9階建ての古河ビル、8階建ての丸の内八重洲ビルをまとめて壊して、丸の内パークビルという超高層ビルが建った。
なんとその足元には、三菱1号館の原寸大模型が、もとあった位置に建っているのである。
残していた一部の部材も使って、内外のデザインも工法も昔の図面通りに(基礎はそうはいかないが)再現したそうである。
◆
これはどう考えるのか?
第一の問題は、これにともなって壊した丸の内八重洲ビルは、1928年建設でそれなりに重要文化財級であったということだ。かつて文化財級と分かっていながら1号館を壊したことを、再度行ったように思うのである。
第二の問題は、このコピー再現建築(レプリカ)は、果たして文化財なのかということである。京都三条通りにあるみずほ銀行の建物が外観を再現して建て直したが、どうもこれは文化財とは認めない風潮のようだ。今後文化庁は新1号館をどう判断するのか見物である。
◆
第三は、景観としては新旧のギャップをどう見るのかということである。
丸の内で歴史的な建物としてなんらかの保全的再開発をしたものは、第1生命、明治生命、銀行協会、工業倶楽部、東京駅であり、現在時点で取り掛かろうとしているのは中央郵便局である。丸の内は歴史的建築ばかりの街だったから、このほかは全部なくなったといえる。
ところが、ここに来て、一度なくなった景観が一部に復活してきたのである。
だが、それが消えていた40年の間に、あたりの景観は激変している。
ひとつだけぽつんといまさらの出戻り浦島1号館は、頭の上にかぶさる超高層を見上げつつ、かつての壮麗な赤レンガ1丁ロンドンを思い出してため息をついているのだろう。
わたしも、その40年の長き不在に、その景観を忘れてしまっていて、あれッ、ディズニーランドの出先がここにできたのかい?、なんて思うのである。
◆
さて、これは東京中央郵便局の現下の問題に、何か教訓になるでしょうか。
そういえば、東京駅赤レンガ駅舎保存問題が起きたときも、国鉄民営化と大いに関係していたなあ。
関連→
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
0 件のコメント:
コメントを投稿