最近、世界遺産に太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁を、文化遺産として登録したという。
美しい珊瑚礁を自然遺産ではなくて、核爆弾実験場として人類の負の文化遺産だそうである。
ここで1946年から1958年まで、アメリカは水爆の実験を含めて67回もの実験を行なった。
今はマーシャル諸島共和国だが、その当時はアメリカが国連信託統治していたから、島民と協定して実験場にしたのであった。
南海の楽園に見えるが、実験のために持ってきて破壊沈没させた多数の戦艦、爆発跡の巨大クレーターなどが、美しい珊瑚礁の中にできものの如くちりばめられている。
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今では残留放射能は低減しているそうだが、現地の農水産物はあぶない。いまだに米軍基地らしいから、観光気分で世界遺産訪問はできないようだ。
南海の楽園ならぬ苦園である。見た目が美しいだけに一層その苦の世界が痛ましい。
世界遺産委員会のサイトに「its paradoxical image of peace and of earthly paradise」と書いてあるように、まさに矛盾の世界である。
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ビキニといえば思い出すのは、第5福竜丸事件である。
1954年、マーシャル諸島の海でマグロ漁をしていた日本の漁船が、水爆の放射能を含む灰を浴びて、乗組員1人が死亡した。
このときはマグロは食ってはいけない魚になって、日本漁業に大きな影響を与えた。
日本に保存してある第5福竜丸も、ビキニ世界遺産の一部とするって考えはなかったのかしら。
同時に、マーシャル諸島の住民も放射能の灰を浴びた。それは日本の原爆症と同じ問題をいまだに抱えているようだ。
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このような人類の負の文化遺産の世界遺産登録は、ナチスのユダヤ人収容施設、アフリカの奴隷輸出施設、広島の原爆ドームがある。ほかにもあるかもしれないがよく知らない。
今年の新規登録の中のひとつに、オーストラリアとタスマニアの刑務所群がある。
18~19世紀にかけてイングランドの犯罪人を、遠くオーストラリアに流刑して収容したところである。そこで囚人達に植民地建設をやらせたのであるが、そこでは原住民のアボリジニを追い払ったのであった。
アボリジニにとっては、イングランドと戦争したわけでもなく、その災禍はビキニの原爆実験と同じある。
これも負の遺産なのだろう。
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考えてみると、歴史的文化遺産は、それを築いた王朝か支配者が作った施設が多いのだが、そこに至るには戦いがあって多くの血が流れたに違いない。
京都は先の戦争といわれる応仁の乱があったし、登録待ちの中世都市鎌倉も地中から多くの中世人の白骨が今も出てくる血なまぐさい戦乱の地であった。
人類の発展の証しと唱える文化遺産の陰には、人類の負の遺産が隠されていることを、ついつい忘れそうになる。
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ビキニといえば、あの布切れの水着である。
あのような衣装は昔からあったのだが、なんでも、1946年にビキニ原爆実験のものすごさを知ったフランスの下着デザイナーが、「ビキニ」とネーミングしたら売れたのが元だそうな。
1945年の「ヒロシマ」ではないのは、どうしてなのだろうか。ヒロシマとビキニの間に横たわるなにかに、心がひっかかる。
●関連→210鎌倉の世界遺産
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