横浜関外のわたしの住いの近くに、横浜市立大学の病院がある。
いっときわたしは足が不治の難病となって通院していたときに、その近くにある廃墟の汚い5階建てのビルの前をとおっていた。
今は廃墟だが、かつては横浜市立大学医学部であったのだと、つい最近になって知った。
日本建築家協会(JIA)が主催して、旧日吉小学校の見学会があるというので見に行ったら、なんとその廃墟がそうであった。
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なんでも元はといえば、1926年に建てられた由緒ある小学校の建物が、戦後は市立大学になったのだそうだ。それがもうすぐ取り壊しになるという。
建物は特にデザインが特徴あるようなものではないが、入って驚いたのは、解剖室があったことだ。
ドアに解剖室と書いてあって、中は総タイル張り、傍らには冷蔵庫のような扉があって、中には死体を入れるラックが錆付いておいてある。
まさかこれが小学校教室であるはずはないから、小学校の建物を医学研究用に改造したのだ。
ほかにも寄生虫学教室とか動物飼育室とか書いてある。
最近廃墟探検が流行らしいが、都心の廃墟の心霊スポットとしてピカイチ物件かもしれない。
わたしは心霊スポットに興味あって行ったではなく、行ってみて初めて知ったのであった。
そんなことで侵入者が絶えなくて、防犯上で問題があるらしく、町内会から市に対して取り壊しの要望が出たそうだ。
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なんにしても区役所に建替える予定で、今月中には壊すとかで、建物の保存を要望していた建築家協会がお別れの見学会をしたのであった。
わたしは保存する建築家団体メンバーでもないのだが、保存要望した建築家達がこの建築をどう評価して保存したいのか、そこに興味があった。
だが、わたしが見学して考えた歴史的評価とは、ずいぶん食い違っていた。
なお、不治の難病との診断は、治癒する病の誤診で、治療もせずに自然治癒した。
参照→歴史の証言としての建築記録保存
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