近所の映画館ジャックアンドベティで、二つの映画を見た。
ひとつは話題の新作「キャタピラー」、もうひとつは1974年の旧作「氷雪の門」リバイバルである。11時半から15時半まで、続けざまに見て疲れてしまった。
ここでは俳優や映画制作については、知識がないから語らない。
二つとも反戦映画という分類はなるだろうが、36年という時間のギャップが見えて、そこが面白かった。
簡単に言えば、「氷雪の門」が一方的な被害者として戦争を語るのに対して、「キャタピラー」では加害者としての戦争も語るのである。これははたして時代の思潮の差なのだろうか。
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映画「氷雪の門」を制作した頃は、ベトナム戦争の末期に当り、加害のアメリカ、被害のアジアという図式があった。それをサハリンに置き換えたのだろうか。
あるいは、加害のアメリカ、被害の沖縄という図式の、サハリン版であったのだろうか。映画「ひめゆりの塔」(1953年)を連想する。
氷雪の門では、加害者としての日本は全く登場しない。日ソ不可侵条約を一方的に廃棄して、日本が敗戦降伏後も戦いを挑んで、多くの死者を出したソ連を糾弾している。
それはそれで事実であろう。だが同時に「キャタピラー」を見てしまったものには、あまりに安易なストーリーに見えてくる。
なぜ今、リバイバル上映になったのか、そこが分からない。
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サハリンの歴史は複雑である。歴史的に大昔からロシアと日本の共有の形であったが、互いに自国領土としていたようである。
いさかいもありながら共有してやってきたのだが、そのけりを正式につけたのが、1857年の「樺太・千島交換条約」の締結であった。日本は樺太島の領有権を完全に放棄して全島がロシア領となったときである。
この制度的に明快に落着した状況が破綻したのは、1904年に始まった日露戦争で、日本軍は樺太に上陸して占拠した。1905年日露戦争は日本の勝利となり、ポーツマス条約で樺太の南半分が、ロシアから日本へ割譲された。
その後、日本はこの地に植民して開発してゆく。大勢の朝鮮人の徴用があって、その問題は今に尾を引いている。ここには植民地としての加害の歴史がある。もっとも日本の制度としては、朝鮮や台湾と違って本土の一部と決めたので、形式上は植民地ではないとしてるらしい。
ロシアにとって見れば、条約で正式に領土となったものを、その後の日露戦争でむしりとられたとしていただろう。現代のいわゆる北方領土問題は、その延長上にある。
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「氷雪の門」に登場する若い女性が、わたしはここで生まれて育ったのだからここで死にたい、という。
そこに植民地の深層にいたる問題があるのだが、映画ではそうは語られない。故郷を奪われる悲哀のみである。
日本からの満州への植民で、現地の農民が追われたような加害は、サハリンではなかったのだろうか。歴史的にロシア、朝鮮、日本からこの島に人々が住み着いていたのだから、日本領となったときに何かがあったに違いない。
1974年の公開当時に、ソ連がこの映画に不快感を示して、当時の日本映画会社とソ連との合作映画制作とからんで、全国上映が円滑にできなかったという。この映画がフィルム配給制度を押さえている日本の大手映画会社の制作でなかった為である。
ソ連の不快感は、この映画を見れば単純によく分かるが、この島のソ連と日本の間の歴史的ななにかを見つめることも必要であろうと思う。
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さて「キャタピラー」である。性的な場面で話題のようだが、それは女性の俳優に気の毒である。
手足を戦場でもがれて芋虫(キャタピラー)となって帰還した男との性行為は、男の中国戦場での強姦という加害と関連あるために必要であるが、それは特に芋虫男である必然性はなかっただろう。映画として猟奇性の話題であろうか。
この加害の場面は、「氷雪の門」で上陸してきたソ連兵の、市民への無差別殺戮と同じである。
閉鎖的な農村の日常から針穴のような視界で、あるいは茅葺屋根の農家の座敷の茅の中から、日本の戦争を見渡すというこの映画の手法は、なかなかよくできている。ニュース映画の引用の戦場とのギャップが深い。
いっぽうの「氷雪の門」は、戦争の大局的な視界の中のひとつの悲劇の場面として描かれる。これが映画としては普通の描き方だろうが、「キャタピラー」のひとひねり、ふたひねりにはとても敵わない。
皮肉にも、前者がかなりの制作費らしいのと比べて、後者はかなり安かったように見える。
性と食の同じような執拗なるくり返し場面が、徐々に変化していく作り方が面白かった。それにひきかえ、茅葺農家の点在する棚田の村の風景は、全く変らない。
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わたしが気になった登場人物は、「あいつは戦争があるごとに気が触れる」といわれている、赤い着物の中年男である。
この赤い着物は、芋虫男の軍服の対照として描かれている。どちらが狂気か、どちらも狂気か。
このキャラクターは狂言まわし役であろうと期待していたが、それほどのこともなかった。もう少し、なにかをやらせることで、狂気と正気との逆転世界をあぶりだして見せてほしかった。
敗戦となった日、赤い着物から着替えて白ワイシャツと黒ズボンで出てきて、バンザイと叫ぶのも、分かり易すぎてちょっと安易であった。もうひとひねりほしい。
キャタピラーとは芋虫のことだそうだが、「氷雪の門」には戦車が登場して、ごうごうとキャタピラー音を立てて迫ってくる。思い出すと場面が混同する。
芋虫男のことで、だいぶ前に読んだ『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun ドルトン・トランボ作1934年)を思い出した。
もうひとつ思い出したこと。戦後、街角やお祭の露天の間に、カーキ色の戦闘帽、病院の白衣、黒眼鏡の風体で手足の切断面を見せ、座り込んだり松葉杖で立ちつつ、アコーデオンを弾いて物乞いする男たちがいた。傷痍軍人と呼ばれ、1960年代には消えた。
◆(追記100826)
大江志乃夫『日本植民地探訪』(新潮選書1998)を読んでいたら、サハリンのことも出ている。
それを読むと、映画「氷雪の門」の真岡郵便局事件は、その局長が後になって書いた「美談」を元に脚色しているらしい。
しかし、後に別の人が生き残りの人たちに聞き取りして出版しているが、それによると、真岡局には他にも局員はいたし、交換手も全員自殺ではなくて生き残りもいた、とある。
わたしは娯楽映画が真実を描くべきとは全く持っていないが、事実はまた違うところにあることに興味を持った。
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