2011/03/09

395江戸城本丸から

 寒かったが晴の天候で、友人と江戸城内堀半周、約5時間のぶらぶら歩き旅をした。
 久しぶりに江戸城天守台に登った。天守そのものは17世紀半ばに焼失して以来、再建されなかったが、石垣の天守台は健在で、公開されている皇居東御苑の一角にある。
 丸の内側しか眺望が開けないが、ずいぶん超高層ビルが建ってきたものだ。
 1960年代末の東京海上ビルの建て直しで、皇居をみおろすから不敬にわたると前時代的な大論争になったことがある。
 その超高層建築申請に始まる景観論争で、丸の内はなんとなく100m限度の暗黙の了解ができていたのだが、丸ビルの建て替えを契機に今はそれも破られた。
 今では赤いタイルで特徴ある東京海上ビルは、その後の超高層に紛れ込むほどになってしまった。これからどれほど高いビルが出てくるのだろうか。
 天守台から見ると、超高層ビルもたいして高くは見えないのが不思議であるが、それほどここは高いのだろうか。
 しかし丸の内側の出入り口近くの百人番所あたりがら見上げる87年の写真と比べると、今はけっこう見下ろされていることが分る。
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 江戸城の正門かどうか知らないが、今の皇居前広場の南に近いあたりにある二重橋に、ここも久しぶりやって来た。
 おのぼり観光名所だから賑わっているかと思ったら、西欧系と東洋系の数人がいるばかりで、がらんとしている。時期が時期だから観光バスもこないのか。
 ここから丸ノ内方面を見ると、超高層ビルスカイライン一望である。

 6年前の写真と比べると、この間でたくさん建ったことが分る。今も建ちつつある。
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 平川門から木造の平川橋を渡って出て、右に曲ると濠端に巨大な銅像が建っている。
 このあたりは何度も通っているのに、初めて気がついたのは、純粋に遊びで歩くのが始めてだからだろう。
 それは和気清麻呂で、紀元2600年記念に建てたと書いてある。おお、この姿を思い出したぞ。
 この銅像のミニコピーが、生家の床の間の隅にいつも飾ってあった。高さ30センチくらいだったから、この4メートルはありそうな銅像の10分の一もないが、まさにこれと同じ形をしていた。
 とするとあれは、紀元2600年記念にどこかがミニチュアを販売したのを、父が買ったのであろう。陶製であったような気がする。
 手に持っている杓(しゃく)と腰に吊るす剣が、着脱できるので幼児の玩具になり、わたしが少年になった頃には両方ともなくなっていた。
 眺めていたら若い男が、これは誰ですかと聞いてきた。和気清麻呂ですが、ご存知ですかと答えると、知らないと言う。まあ、それが普通だろう。
 うろ覚えながら弓削道鏡と女性天皇との事件のことを思い出しつつ教えたが、ああ、わたしはこんな戦前思想のことを人に教えるような年寄りなんだと、あらためて自覚した。
 わたしは紀元2597年生まれで、2600年元旦に生家の神社であった記念行事が、人生第1号の記憶である。

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