2011/09/02

488対日戦勝記念日の新聞広告

 今朝の朝日新聞の全面広告に、当時の極東指令官マッカーサーの姿が載っている。コーンパイプをくわえて、厚木飛行場に着陸した飛行機から降りようとする。
 これは1945年8月30日であった。

 日本では8月15日を終戦記念日というが、太平洋の向こうのUSAではこれに対応する日は9月2日で、対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)というそうだ。
 つまり日本がミズーリ号の甲板で公式に降伏文書に調印した1945年のその日なのだ。
 そう、今日である。対米敗戦記念日である。

 この広告はなにを言おうとしているのか。
「いい国つくろう、何度でも」
 下の端っこに「宝島社」とあり、文字はこれだけである。宝島社とは出版社のことだろう。
 多分、震災復興への期待を込めて、あの悲惨な戦争から復興したのだから、今度もがんばろう、なんて言ってるつもりなんだろう。

 極東軍司令官だったマッカーサーは、1942年3月にフィリピンから日本軍に追われて、「I shall return」と悔しさを込めて言ってオーストラリアに逃げ出した。
 それから3年半の戦いの後、自分を追った敵地日本に勝利軍としてリターンしたときの、得意の姿が今日の広告である。

 この後、すぐに横浜に行き、都心のホテルニューグランドに居を構える。
 極東軍司令官として彼は横浜都心を無差別爆撃により破壊していたが、こんどは連合国軍最高司令官として横浜都心部などを広く接収して、占領軍の基地とした。
 横浜は戦災の上に占領が重なったが、さらに1950年から始まった朝鮮戦争の連合軍基地ともなり、マッカーサーのおかげでその復興は他の戦災都市と比べて著しく遅れざるを得なかったのであった。
 
 あの頃を知る横浜市民にとっては、この写真に復興をかけるのは複雑な思いであろう。同じ思いは沖縄県民もだろうか。