徘徊老人には、今は徘徊に絶好の気持ちの良い秋の夜である。
今夜は横浜は桜木町駅前あたり、ミーハー好みの美しい海辺の夜景の中を、わたしは能楽見物帰りで気分よく、さっそうと姿勢よく歩いているつもりであった。
突然、グラッ、つま先がなにかに引っ掛かった、オットットット~、前のめりに上体が崩れ落ちてゆく。
体勢をカバーしようと、両腕を伸ばして地面につけて支えたが、右手は握っているカメラを保護するべく、手の甲の側をついてしまった。でもそれじゃあグニャリと曲がって支える力にならない。
脚も当然出ておるはずだが、これがもうまったく機敏でなくて、ヨタヨタと遅いのである。おい、なんだよこの脚は、と思いつつも出てこないのである、ああ、昔と違うなあ。
なんだかスローモーション撮影実演をしているなあ、と、思えども止まらない。
そしてドタ~ン、見事に歩道に伏せて転んだ。
せっかく右手で上向きに支えてたカメラが外れてガチャン、カバンから何か飛び出してガチャン、あ、これは電子辞書だ。
右手がアイテテ、右膝もアイテテ、、。
道行く人たちが口々に「大丈夫ですか」と言ってくださるが、特に止まって起こして下さるようすもない。
初心者とはいえわたしは後期高齢者なのだが、あたりはもう暗いし、赤い帽子をかぶり、真っ黒なフリースを着ていて、そうは見えなかったのであろう。ま、ガタイもでかいし、。
こちらも恥ずかしいから、そそくさと起き上がる。カメラと電子辞書を拾う。
「は~い、ありがとう、大丈夫です、、、タブン、、」と、右手と右ひざの痛さをこらえ、びっこひきつつ強がりを言う。
「ダイジョウブデスカ」って、コーカソイド系のおじさんが言ってくれるので、「サンキュウ、イッツオーケイ、メイビー、」なんて。
あれはもう15年も前であったか、長崎市中の繁華街で転んだことがある。石で舗装してあるのになぜ転んだか、わずかに舗石に高さの差があったらしく、それにひかっかかった。今回もどうやらそうらしい。
どうも歳とると歩くときに足を上げないで、地面を擦るように歩いているらしいのだ。だから1ミリの突起でもひっかっかる。
引っかかって前によろけたら、脚が姿勢をカバーして身体よりも前に出るはずだが、もうこれがてんで出なくなってるんですねえ、ナサケナイ。
これはちょっと休むほうがよいなと、まことに都合のよい理由ができたので飲み屋に入った。
右手がちょっとおかしい。コップ酒をついつい左手で握る。箸を持って肴をつまむところまでは何とかよいが、口に運ぼうと曲げるのが苦しい。
家に帰って風呂に入るとき、右ひざ小僧を見たら、ズボンは何ともないのに、まるで小学生が転んだように、擦り傷であった。これは長崎でもそうだったが、なんだか懐かしい傷ぶりである。
この文章は、まあ普通に両手の指で打っている。
さて、明日の朝は忘れているだろうか。
(追記2012.11.06)
たいしていたくもないが、どうもある方向は力は入らないし、曲げにくいし、ちょっと腫れている感じもあるので、今朝、近くの整形外科に行った。
X線写真を撮ったのをみて医師が言う。骨が折れてはいないが、ひびが入っている可能性がある、特に手首の一部を押すと痛いのはその証拠だ。
で、そのままだと痛みが2,3カ月続くから、ギブスで固定する。ただし、右手なのでそのままだと不自由なので、取り外し型にして、ギブスがあると困るとき、たとえば飯、風呂では外すのだ。
ギブスを肯定するための包帯を巻くと、右手が重傷に見える。
参照→
http://datey.blogspot.jp/2012/11/690.html
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