ここに1枚の写真がある。広い海の風景のようである。
今月の初め、わたしははじめて当方被災地を訪れた。小さな復興ボランティア活動に合わせて被災地を見物してきた。まさに見物であり、よく言えば見学、見て学ぶことであった。
仙台からJR仙石線に乗って東へと向かう。途中の松島海岸駅で代行バスに乗り換える。つまり、震災でここから先が復旧していないのだ。ここまでは被災の姿が見えなかった。
しばらくバスが走ると、あたりはまだ売れていないと見える宅地分譲地の草原になったが、そうではない、津波にさらわれてしまった街が、瓦礫塵芥がかたずいた風景である。
バスは普通の線の跨線橋の上に上がって見晴らしがよくなった。と、海の景色が開けたと思ってとったのがこの写真である。
だが海にしては、家が建っていたり区画が見える。あ、これは津波後に海面下になった土地なのだと覚った。
実はそのあたりに行ったのは初めてで、土地勘が全くない。どこをバスが走っているのかさえその時はわからなかった。
戻ってから調べた。現代は「貧者の百科事典」たるインタネットウェブサイトが充実していて、なんでも出てくる。
そしていろいろなことが分かった。縄文遺跡、塩田開発、野蒜築港、航空自衛隊基地など、この地域には長い長い水と陸と人との戦いの歴史があったのだ。
そしていま、この地の人々は縄文時代に戻ろうとしているらしい。これはまことに考えることが多い風景である。
●このエッセイの全文は
「ー地震津波被災地を見て思う―自然と人間はどこで折り合って持続する環境を維持できるのか」
http://goo.gl/MioUb
●関連
・691【東北被災地徘徊譚2】森の長城で大津波に備える市民プロジェクトが動き出した
http://datey.blogspot.jp/2012/11/691.html
・689【東北被災地徘徊譚1】石巻で映画「猿の惑星」の主人公になった眩惑に
http://datey.blogspot.jp/2012/11/689.html
・地震津波火事原発コラム
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#jisin
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