横浜能楽堂で、能「砧」(世阿弥作)と「玉井」(観世小次郎信光作)を観た。
能のスーパースターの世阿弥(観世元清)は1443年没、小次郎信光は1516年没だから、70年ほどの活躍の時代差がある。
世阿弥が完成させたいわゆる幽玄なる能、早く言えば見ていて眠たくなる能に対して、信光の能は面白能、要するにスペクタクル能である。道成寺、紅葉狩、安宅などである。
多分、戦国時代のおエライ能スポンサーたちが、言ったに違いない。
「世阿弥の能は眠くなって困る、もっと面白いものをつくれ」
横浜能楽堂の企画は、その両方の代表作を一日のうちに並べて演じさせようというのであるから面白い。
わたしが昨日見たのが、その2回目の企画公演で、「砧」も「玉井」も浅見真州のシテであった。シテ方の出演の顔ぶれは銕仙会のメンバーであった。
青山の銕仙会には20年も前から何度も見に行っていたから、久しぶりに見た地謡座のあの人この人の年とった顔つきにびっくり、それはすなわちわたしのことでもあるんだよなあ、、。
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で、まず眠くなるほうの「砧」である。
実は眠くならなかった。前場がよかった。
砧は何度か見たことがある。この能はある部分の詞章もメロディーも実に美しいのはよいが、ストーリーにどうも難があると、わたしは思う。
前場の見せ場は砧を打つところだろうが、まずそのきっかけがおかしい。
シテの女性が「聞こえてくるあの音はなんだろうか」と、都から戻ったばかりの侍女に聞くと、それは砧を打っている音であると答えるのだ。
でも、おかしいよ、だって自分の家で聞いているのだし、砧を打つなんての日常的な音だから、今日初めて聞いた音のはずがない。なのに、それを知らないなんてねえ。
下々の仕事である砧を打つ作業を、豪族?の妻が福岡県にいながらやることで、京都にいる夫にその音を聞かせて、郷愁を誘って帰ってこさせようという作戦だが、なんでそういうことをするかというと、中国での故事に倣っているのである。
だから、あらかじめその故事を知っていないと、なんのことやら分からない。
まあ、能は源氏物語や平家物語を知っていないと何のことやら分からない演目が多いのだが、中国のその故事までも知っていろというのは無理がある。
わたしは何回か「砧」を見たからそれを知っている。だから前場がよかったと言えるのである。でないと眠いだけである。
後場にも、わたしには腑に落ちないところがある。
妻が死んだ後に戻ってきた夫が供養の席を設けるのだが、そこに妻が亡霊となって出てくる。蒼白な顔(痩せ女面)で、長々と恨みの言葉をうたい、ほったらかしにした夫に詰め寄って非難する。
「君、いかなれば旅枕、夜寒の衣うつつとも、夢ともせめてなど、思い知らずや恨めしや」
地謡が厳しく盛り上がってきた。
さて夫はどうこれにこたえるかと見ると、持っている数珠をちょっとあげるだけである。すると突然に地謡が調子を変えてこう謡う。
「法華の読誦の力にて、幽霊まさに成仏の、道明らかになりにけり、、」
幽霊はよろよろしざってたちあがり、しずかに引き下がってしまうのだ。
そりゃないでしょ、そんなに簡単に成仏してたまるもんか、と、今回も思ったのであった。肩すかしジャン。この能の終わり方が嫌いである。安易である。抹香くさい。
立場は反対だが、能「清経」の妻が幽霊の夫に、勝手に自死したのを非難して迫るのを思い出した。この幽霊は悲しむ妻をおきざりにして突然成仏してしまう。
どうも勝手な話なので、能「清経」は面白い演目なのだが、せっかく盛り上がった最後のところで、ひょいと肩すかしとなるのが嫌いである。
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さて次は小次郎信光の面白能「玉井」(たまのい)である。
これは小さいときに絵本で読んだことが海幸彦と山幸彦の物語である。
もともとは古事記・日本書紀に出てくる話らしいが、今どきの子供はこんな物語を読んでいるのだろうか。
まあ、ストーリーはどうでもよろしい、いろいろな扮装の役者がおおぜい出てきて(26人)、いろいろな演技をしてみせ、いろいろ謡い、囃子もいろいろあって、見て楽しいが、それだけの能である。
小書きが狂言のための「貝づくし」で、アイ狂言で山本東次郎家が一家そろって出演した。6人もそろえることができるのだから偉いものである。
その全部が狂言面を付けていたのも珍しい。
シテが後場の後半にしか登場しないのも珍しい。
それに対して、ワキは最初から最後まで出ずっぱりである。海幸彦のワキが、ワキツレ二人を連れて登場するのだが、もともとは彼がこの物語の主人公であるはずだのに、どうも役のしどころがないのはつまらないし、ワキに気の毒だ。
こんな見世物づくしの能なのだから、なにかワキにも面白い演技をさせる演出をしてほしいものだ。
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横浜能楽堂企画公演 美の世阿弥 華の信光 2012年11月3日
●能「砧」(観世流)
シテ(蘆屋の妻・妻の霊)浅見真州、ツレ(夕霧)北浪貴裕
ワキ(蘆屋某)森常好、ワキツレ(従者)森常太郎、アイ(下人)山本泰太郎
笛:一噌隆之、小鼓:飯田清一、大鼓:亀井広忠、太鼓:小寺佐七
後見:小早川修, 浅見慈一
地謡:観世銕之丞,浅井文義,柴田稔,馬野正基,長山桂三,谷本健吾,安藤貴康,青木健一
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能「玉井 貝尽」
シテ(海神の宮主)浅見真州、ツレ(豊玉姫)片山九郎右衞門、ツレ(玉依姫)味方 玄
ワキ(彦火々出見尊)森 常好、ワキツレ(従者)森常太郎、則久英志、
アイ(文蛤の精)山本東次郎、(鮑の精)山本則俊、(蛤の精)山本凛太郎、(赤貝の精)山本則孝、(法螺貝の精)山本則重、(栄螺の精)山本則秀、
笛:一噌隆之、小鼓:飯田清一、大鼓:亀井広忠、太鼓:小寺真佐人
後見:観世銕之丞、谷本健吾
地謡:浅井文義、清水寛二、西村高夫、岡田麗史、安藤貴康、青木健一、小早川泰照、観世淳夫
2 件のコメント:
ついお便りしたくなりました。ありがたいお経のおかげで成仏しましたという終わり方に、つねづね不満を感じておりましたので、「そのとおり!」と声をかけたくなったしだい。それにいたしましても、お能はおもしろい芸能です。私は不埒にも、「いつか『松風』を演じたい』なぞと思っております。(妙智)
藤田智子さま 130102 伊達美徳より
コメントをいただきありがとうございます。
その後「定家」を見て、うん、よしよしと思いました。
http://datey.blogspot.jp/2012/10/677.html
わたしがほそぼそ管理している野村四郎サイトも
ご覧くださるとうれしく存じます。
http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/index.htm
ではまたコメントを期待しております。草々
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