会場には、山口文象、丹下健三、黒川紀章、坂倉順三、オスカー・ニーマイヤーなどの有名建築家たちのデザインした家具が展示してあった。もちろん、天童木工が製作したものだけである。
●「建築家と天童木工」展覧会風景
わたしのお目当ては、もちろん山口文象デザインの座卓である。
1961年第1回天童木工家具デザインコンクール金賞の作品である。展示の説明にこう書いてある。整形合板を立体的に用い、美しい造形の座卓。特に甲板は水滴の波紋を連想させるようなカーブをしている。その美しさの反面、甲板に狂いが生じやすく平面を保つことが難しいため、商品化は見送られた。
●山口文象デザインの座卓
そしてまた、そのコンクールのことも書いてある。
1961年、民間では初めてとなるコンペを開催、審査員に剣持勇(審査員長)、丹下健三、豊口克平、渡辺力、長大作、建築評論家の浜口隆一など、豪華な顔ぶれが並ぶ。応募規定は「成型合板を一部または全体に使用したものであること」。
このテーブルがあることは知っていたが、現物を見るのは初めてである。山口文象やRIAの建築作品紹介の雑誌写真には、自分の設計した家具が登場してることがよくあるので、これを探したら、あった。
●山口文象邸のサロン風景(1969年発行『新訂建築学体系・木造設計例」彰国社より)
山口文象の自邸の写真の中に写っている。座卓としてではなくて、小テーブルとして使っている。その向こうの椅子も山口文象デザインかもしれない。
この写真は、1961年~1969年の間に撮ったのだろうから、とすれば、わたしは山口邸で見ているはずであるが、忘れていた。
展示室の係りの人に、この座卓は天童木工の収蔵品かと聞いたら、どこかのお宅から借りてきたが、それがどこか知らないという。では、山口邸から来てるのかもしれない。
山口文象はいくつもの家具デザインをした。新制作派協会展覧会にも出品している。1953年にRIAを結成してから、メンバーの近藤正一と組んでいるようだ。
この小テーブルの前には、1954年全国工業デザインコンクール最優秀賞をとった小椅子がある。二次元カーブのプライウッドを組み合わせた量産向きの家具である。
●小椅子(通称チリトリ椅子)
口の悪いRIAの連中は、「これは通称チリトリ椅子というのだ」、そして「椅子にもなるチリトリなんだ」とも言った(今やチリトリは死語かもしれない)。
RIAの会議室にいくつもあったが、二つのチリトリの接合部の金物が外れやすくて、そっくり返らないように座ったものだ。
戦前の山口文象の建築作品の写真には、彼のデザインした家具が写っていることが多い。既製品の洋家具がない時代だから、建築家が家具の設計をするのがあたり前であったらしい。
●1928年三宅やす子邸の家具
山口文象が石本喜久治の下にいたころに担当した住宅であるから、山口のデザインかもしれないが石本のデザインかもしれない。
●1934年日本歯科医科専門学校付属医院の家具
●1934日本歯科医科専門学校付属医院の手術見学教室の机
●1950年久が原教会の椅子と講檀(プライウッドによる簡素なデザイン)
●参照⇒建築家山口文象サイト(伊達美徳)
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html
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