2013/11/23

861【五輪騒動】明治神宮外苑はやっぱり神社の境内だからお祭りの賑わいがよく似合う

国立能楽堂で「盛久」公演が終わって、ぶらぶらと神宮外苑方面に歩いて、そのまま青山から渋谷まで歩いてしまった。
絵画館前のイチョウ並木が、ちょうど葉を金色に輝かせていた。このイチョウ並木を青山通りから絵画館方面にまっすぐに見通させるのが、外苑ランドスケープデザイナー折下吉延の一番狙った風景デザインなのだろう。

視覚の焦点に絵画館の中心のドームタワーを据えて、イチョウを針葉樹のように頭をとがらせる剪定をして、しかもその高さを青山側から次第に低くなるように頭を切り、パースペクティブを強調する。
もともとイチョウの木はあのような円錐の樹形にはならない。自然には横に大きくばらけて広がるものだ。ここの並木の樹形は不自然きわまる風景をつくり、そして、そこにこそ意味があるのだ。

ヨーロッパの王族の造りに造り込んだ庭園を真似て、明治天皇の事績を表す絵画館への視点を絞り込むことで、日本にはなかった王権賛美の風景をつくりあげた。
日本の王権賛美の風景とは、奥へ奥へと王権そのものが見えないように囲い込むことで権威を高めるものだから、正反対の風景が登場した。それが日本の大急ぎの近代化の風景のひとつであった。

それにしても、あの高い木の剪定はクレーンに乗ってやるのだろうが、形がよくそろうものだ。毎年ではあるまいが、本数も多いから時間も金もかかることだろう。
イチョウ並木の道はほかにもたくさんあるが、あのような揃え方をしているところはないだろう。横浜の日本通もイチョウ並木だが、もっとおおらかである。王権賛美の風景のためには、あれほどの手間がかかるというものだ。

視界を前方に限定されていたイチョウ並木を抜け出ると、丸い噴水池が現れて風景の出直しを演出する。
そこから先には、芝生の大広場が出現して視界が広がり、その向こうに絵画館の威容が全貌を見せて、芝生の大広場の真ん中をまっすぐにつき切る園路が行動を絞りこみ、絵画館が待ち受けるという風景の新展開があるはずだったが、今はそうはならない。

ちょうどイチョウ祭りとかいうイベントが行われていて、イチョウ並木の終わる噴水池の周りには、B級がC級グルメだかなんだか知らないが、雑多な食い物屋台が並んでいて、猥雑にして喧騒な風景に取り囲まれる。
その屋台の向こうに、絵画館が坊主頭だけちょこっと見せて隠れている。なかなかの劇的な風景展開である。面白い。これこそ神社のお祭り風景である。

そう、ここは明治神宮の一角であった。内苑でお祭りをやっているのかどうか知らないが、外苑は秋祭りである。
ではその屋台の向うに回ってみると、下世話な草野球が何チームも現れて、ウロウロわあわあと眼にも耳にも喧騒なことである。ここが草野球の場になったのは、戦後の進駐軍に接収されてからだろうか。あ、そうだ、ここはあの「血のメーデー」デモ出発点だったところだ。
野球広場のまわりには何やら仮設小屋のような建物がいくつもあるのは、屋内練習場やら更衣シャワー室などらしい。向こうのほうには鳥かごのようなものとか、照明塔も見える。
今日は野球をしていたが、祭りの休日には大道芸とかもここでやるらしい。
その庶民的猥雑な雰囲気と絵画館の権威的な姿との対比が、なんだかもう笑いたくなるほどに面白いのだが、これらを折下吉延が見たら怒り狂う風景だろう。

だが、考えるまでもなく、ここは神社の境内なのだから、お祭りには露店、屋台が出るのは当たり前、サーカス、怪見世物、お化け屋敷などが小屋を建て、素人芝居の仮設舞台が出現するべきなのである。これこそが神社境内のあるべき風景なのだ。
浅草にみるように、やがてそれらの小屋が常設になる。神宮外苑では、素人芝居舞台が軟式野球場であり、見世物小屋が神宮球場である。絵画館は当初から造られた見世物小屋である。あ、あれは絵馬殿だな。
野球場やテニス、プールなどは、いわば貸し小屋で明治神宮のご商売の場であって、宗教活動じゃないから税金がかかるらしい。

隣接する国立競技場も秩父宮ラグビー場も東京都体育館も、その一連のものだ。これらも神宮外苑の施設と思っている人が多いようだが、外苑の外であることはこの案内図に見る通り。

なんでも7年先には、地球上の各地で4年ごとに持ち回りするお祭りがここにやってくるとかで、それに対応するために常設小屋のひとつを建て替えるとて、なんやかやと騒がしい。

屋台や草野球の喧騒を抜けだし、まっすぐに行けないので横に回り込んで絵画館にようやくやってくる。ここは聖域かと思いきや、絵画館のまわりの広場は駐車場と言う物置場になっているのであった。うっとしい風景である。
せめてここくらいは折下さんの意図を実現してあげてはいかがでしょうかと、思いたくなる。

では、この外苑計画のもっとも焦点たる聖なる場所に行ってみようと、駐車の間を抜けて絵画館をまわりこむ。
明治天皇の葬式を記念する葬場殿址があるはずだ。いわば絵画館は拝殿であり、葬場殿址は本殿ともいうべきところである。ところが、ここも駐車場なのであった。
明治天皇の棺をとめていた聖なる場所が、大きな記念樹となって姿を見せているのだが、まわりは変哲もない団体バス駐車場である。ここが聖なる場所としてデザインされたとは、誰が見渡しても思わない風景である。

おやまあ、明治天皇の葬儀の場をもって聖なる場所としたのではなかったのか、なんだか肩すかしを食わされた。このあたりのランドスケープデザインには、佐野利器がとりしきっていて、折下吉延は腕を発揮できなかったのか。こういう奥の風景は、日本的な仕掛けなので、折下にはむかなかったか。
あるいはかつては、聖なる場所としてランドスケープデザインされていたのだが、いつのまにか車置き場の修景植栽に改変されてしまったのか。
わたしは、聖なる場を求めているのではないが、なんだか外苑の王権的デザインの心理的なあるいは宗教的な焦点が見えなくなっていることを、不審に思っているのだ。

佐野利器は、イチョウ並木の青山通りの入り口両側に、石積みゲートをデザインし、並木の視点の行き着く先の絵画館の奥に、こちらにも石積みで囲う樹木による葬場址記念シンボルをデザインし、両端で完結したつもりだったのだろう。
さて、今はどちらも見忘れられたというか、無視されているようだ。
それを妙に考え過ぎるとすれば、明治天皇が死んで1世紀、日本もようやくに王権の風景を捨て去る時代になったと見ると、それはそれでよいことである。

黄金色のイチョウ並木は美しいが、わたしの生家のあった神社境内の巨木のイチョウのことを思い出せば、秋に散り敷く落ち葉の掃除が大変だった。ギンナンの実が臭かった。

(関連ページ参照)
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

長屋談議 2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

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