2013/12/03

866【五輪騒動】都市計画談議(その1)デカすぎ論も歴史的文脈論もいいけど

オリンピックが2020年に東京にやってきたら、その主会場となる新国立競技場の建て直し計画について、一部か主要か知らないが建築家の方々が異議を唱えておられる。
異議の中身はいろいろで、デカ過ぎて景観阻害だから小さくせよとか、建てなおすよりも修繕したほうが良いとか、工事費が高すぎてもっと安くしろとか、国際コンペ(もう1年も前に終わった)のやり方がけしからんとか、あれやこれやだが、概して建築屋らしい言い分である。

わたしはオリピック嫌いだから、無駄使いだとは思うが、新競技場がどうなろうと知ったことではない。ただ、建築と都市計画を趣味としているから、横からイチャモンを言ってはみたい。
これまでも、ちょこちょこ言ってきたが、ヒマに任せてちょっと長く言いたいので、連載することにした。

建築家たちの市国立競技場案へのイチャモンは、いくつかあるようだ。
そのひとつは、去年やったコンペのやり方がおかしいというものだ。
でもなあ、1年も経った今ごろになってコンペがおかしいと言うのなら、なぜ、コンペのとき言わなかったのかって、わたしは思う。

ふたつ目は、あの形が大きすぎるので、景観的におかしいというのである。
でもなあ、これも今年の春にあの大きさを許容する都市計画を決める手続きがあった時に、どうして反対の意見書をだして、法的な対応をしなかったのかって、わたしは思う。
もちろん、今になってあれこれイチャモンつけるのは、それはそれでよいことである。
でもなあ、建築家ってのは専門家だろ、だのに公開手続きがとっくに終わってからあれこれ言うのは、素人と同じでしょって、わたしは思う。

気になっているのは、建築家たちや市民の反対派の言に、あの土地の「歴史的な文脈を尊重せよ」なる言い方がある点だ。
あそこの歴史と言えば、どこまでさかのぼるのか。
18世紀か、19世紀半ばか、20世紀初期か、20世紀後半か、はたまた縄文期か、それによって大いに異なる。多分、いま歴史的文脈を説く人たちの心の底にあるのは、明治神宮外苑ができた20世紀初期、つまり1926年あたりのことだろうと思う。

つまり、明治大帝賛美のためにつくった外苑の景観を保全せよ、こういうのだろうが、さて、その王権賛美の空間は今、どうなっているか、そこのところも考えなければなるまいし、それよりなにより、いまどき明治大帝王権賛美の景観とはいかがなものかと、わたしは思う。
あるいは、1940年の東京オリピックの時に、会場にするしないであれこれあった時の偉い人の言葉を持ち出すのも、なんともアナクロニズムであると思う。
デカすぎ論も歴史的文脈保存論もいいけど、話が冗長的いや情緒的にになって、なんだかなあ。

その話は、また別のところにとっておくことにして、ここでは都市計画のことを考えてみた。もちろん、王権賛美の景観は都市計画と大いに関係するのだが、それも別においておく。
ここでは、このたびの新国立競技場改築計画を実行するにあたって、この競技場の敷地とその周りに「神宮外苑地区地区計画」なる都市計画が新たに定められたことについて、ちょっと考えてみたのだ。
といっても、わたしが知る情報は、インタネットサイトにでタダで拝見可能な公開されたものだけであって、裏情報は全く知らないから、推理と言うか妄想を働かせて憶測するのみで、信用してもらってはいけないので、じゅうぶんにご注意を。

とにかく、国立競技場という、たった一つの建物のために、なぜ、まわりまでひろ~く新たな都市計画をかけ、公園や道路の変更もできたのだろうか。
普通は、オレのうちを建て替えたいから、容積率と高さの制限を今の2倍に緩和してよなんて、都知事に言いに行ったって、相手にしてくれないよなあ。それがここでは日本スポーツ振興センターが言いに行ったら、OKになっちゃった。  (つづく

参照→「新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢ページ一覧
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

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