2013/12/21

878理工学部出身の知人医者がシュトレンなるクリスマス用ドイツ菓子を送ってくれた

大学時代の先輩であり同期であり後輩の(要するに2年留年した)Mさんから、自家製お菓子「シュトレン」をいただいた。
菓子のことは和洋にかぎらずなんにも知らないが、送り状にシュトレンと書いてあるのでインタネットで調べたら、これはドイツのクリスマス用のケーキらしい。Stollenと書く。

毎年、奥方が1か月くらいかけて焼きあげ、暮れに知人に配っていて、その年の配布先にうまく当たると、わたしにもやってくる。これが2度目である。
この前は一昨年の暮れであったが、クリスマスも過ぎて小正月に越後山里の法末集落に持って行き、「賽の神」行事に集まった仲間と美味しくいただいた。

この菓子をくれたわたしの同窓生のMさんは、医者である。その同窓の大学は理工学部だけで、医学部なんてものはなかった。Mさんは何を専攻して卒業したのか、実はわたしは知らないのだが、大学時代は山岳部員仲間として知っている。
ちょうど60年安保反対闘争の華やかな時代であり、大学生の彼は学生運動の闘士であった。
ノンポリのわたしも、安保デモに参加したが、そのおかげでその後の人生が若干曲がった。曲がってよかったのかどうか検証しようがないが、生涯所得は確実に低下する方向に曲がった。

Mさんは大学を出て大手企業に就職したが、そこでも労働運動の左翼前線で活動をしてきた。
ところが、50歳くらいの頃か、突然に医者になると志して、予備校を経て医科大学に進み、インターンなどを経て、本物の内科医師になったのは還暦が過ぎていた頃だったろうか。
なにがかれを医者にさせたのかは知らないが、あきれるほどの情熱の人だから、ありえたのだろう。

そして今は、東京の町なかで診療所を持つ赤ひげ医者である。喜寿となった年相応になにやかやと医者の不養生さながら自身が病みながらも、町の年寄りどもを診て、時に看取っている。
幸いにして、わたしはMさんの患者になったことはない。まあ、めったに医者に行かないし、遠いから当たりまえではある。
その看取る日々と孫娘の成長の日々を、毎週のようにメールで仲間にレポートしてくれるのである。
そのレポート相手の中の運の良い者がシュトレンに当るので、わたしは今年は運が良かったというわけである。
Mさんのおかげで、今年は気持ちよく年を越せるというものである。

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