久しぶりに浅草に行ってみた。観音様はなんだかものすごい人出である。近頃はいつもこうなのだろうか。
信心深いのは老人ばかりだろうと観れば、大間違いで、若い男女ばかりであるのが、じつになんとも不思議である。
老人のこちとらが単なるヤジウマで、見物はしても神仏を拝みはしないのに、夏に行った靖国神社でもここ浅草寺でも、ガキどもがちゃんと拝んでいるんだ。
ちかごろ若者が信心深くなったのだろうか、そうだとしたら、それはなんともじつに不気味な世の中である。
雷門の前に妙な建物ができた。これってだいぶ前にこのブログに「建築という見世物」と題して書いた、あれである、できあがっていた。
http://datey.blogspot.jp/2010/09/315.html
計画時には、浅草寺からも地元商店街からも、その高さやデザインにクレームがついたというニュースがあったが、克服したらしい。
当ブログに「あの懐かしい見世物の掛け小屋のデザインである。筵の掛け小屋が立体的に積みあがっているのだ」と書いたとおりの風景が出現した。乞食小屋のビルである。
通りの向うにチラリと見えるkintamaは、隅田川を渡った向こうにあるアサヒビールの「空飛ぶ黄金のunko」の一部である。だから、その左に見えるビルの上の泡のようなものは、syonbenのアワである。
乞食掛け小屋といい、空飛ぶunkoといい、庶民のお寺の門前町に立ち並ぶ淫猥な見世物や香具師の群れにぴったりの風景が積み重なりつつある。浅草は不滅である。
立体かけ小屋だから、「可哀そうなはこの子でござい、親の因果が子に報い、、」って胴無し少女とか蛇喰い女がいたり、「とりいだしたるは四六のガマ、四六五六はどこで見分ける、、」ってガマの油売りがいたり、「お代は見てお帰りだよ~」ってお化け屋敷とか、「ジンタッタ、ジンタッタ~」ってサーカスなどの、常設小屋が積み重なっているんだろうと、おおいに期待して入ってみた。
なんだ、つまらん、観光案内所、休憩所、展示場、会議室、展望室ってことで、マジメなものばかり、ここってお役所の建物なんだな。
だから、恰好だけは掛け小屋のくせに、ヒラヒラ幟旗も無ければ、呼び込みお兄ちゃんもいないんだ。
やってる見世物も、大学生の提案の展示とか、隅田川の橋の色を考えるシンポジウムとか、お堅いものばかりである。あ、もちろん演し物の内容が悪いと言ってるんじゃないですよ。
ご隠居は言いたいよ、なあ、クマさんや、これでいいのかい、。
なに、建築家は中身にはタッチいたしませんって?、え、看板や幟旗でデザインを壊しては困りますって?
いや、そっちのクマセンセイに言ったんじゃないんだけどね、ま、いいや、ふ~ん、でもねえ、ここは猥雑な門前町なんですよ、そりゃ違うでしょ、気取ってどうすんです。
観光センターですよ、ま、このネーミングもどうしようもない代物だけど、もうちょっと色気を出したらどうですか。やっぱりこれは「凌雲閣」とすべきですよ、あの猥雑だった中身も持ち込んでね。
もっと猥雑さを求めて、ロックあたりを歩けば、なんだか大きな空き地で工事中で、寂しい。
歩き疲れて足が痛いので一杯やって休憩しようかと、安飲み屋に入ろうとしたら、なんと若い男女がうじゃうじゃと入っている。
ウワッと気おされて、隣にはいろうとしたら、こちらも、その隣もみんなそうで、ワーワーキャーキャーうるさい。
たしかこの辺に、むかし、静かで気軽な飲み屋があったはずだと、記憶をたよれども、記憶がおぼつかないし、閉店したかもしれないので、あきらめる。
お寺ばかりか、安飲み屋もガキどもに占領されてしまった。ああ、浅草で老人ビンボー酒飲みはどうすりゃいいんだよ~、、、。
しょうがないから演芸場に入って休むかと、看板の出番芸人名をみたけど気に食わない。すごすごと地下鉄駅へ。
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