突然、ワンマン宰相による白紙撤回指示で、振り出しにもどった新国立競技場地競技場計画の、やりなおしコンペ(正確にはプロポーザル)による応募案が公開された。
噂通りのたったの2案応募、しかも応募者のうちの大半が、白紙撤回前の計画に携わっていたんだから、他のものでは手を出しようがないどうにも変なコンペである。
提案書を全部見るのがめんどくさいから、図だけを見て、ここで勝手に審査をすることにした。
結論を先に書く。ジャジャ~ン、当選は「B組」です。
B組とは、公開文書では隠してあるけど、提案者名は、竹中工務店、清水建設、大林組、梓設計、伊東豊雄(あるいは伊東豊雄建設計事務所)である。
ついでに、勝手審査落選のA組の提案者名は、大成建設、日本設計、隈研吾(あるいは隈研吾都市建築設計事務所)である。
思い出したが、伊東豊雄って国際コンペに応募して落選、槙文彦の後にくっついてザハ・ハディド案反対の言説やら新案提示、そして今度はまた新案提案、ふ~む、今回は最初のコンペ応募案と同じなんだろうなあ、同じじゃない、また違うん案だとしたら、なんだか節操がない人だよなあ、デザインはうまいけど、。
●権威に頼る応募者たち
どっちも優秀な建築家を抱える大手の設計事務所がいるのに、デザインアーキテクトにどっちも東大教授を起用しているところが、なんとなく権威に頼ろうって雰囲気が見えて、気にくわない。
国立大学教授がこんなところでアルバイトやっていいのかい。
ま、両教授の腕前競争になったが、これまでの両者の建築から予想したとおりに、伊東の腕前には、隈はとてもかなわないってことを再確認したようなものである。
これらの応募者のうちの大半が、かつてザハ・ハディド案の実施設計や工事アドバイスなどやっていたから、両チームとも内容は熟知しているので、細かく見るヒマはあるが面倒だから見ないことにしても、たぶん、機能的には全く同じものであろう。
違いは、外観と周辺環境対応のデザインである。
わたしが観るっところでは、どちらもB案のほうが優秀である。
ここでは外観についてはあまり論及しないが(世の人々があれこれ言いいたいだろうから)、A案の森のスタジアムとて、建築に木を生やすなんて、子どもっぽい絵には笑ってしまう。建築家の森への認識って、この程度のものなんだよなあ。
ま、M2から続く隈流のポピュリズムデザインであるが、機能的にはこういうニセモノは森とは言わない、盆栽である。手間ばかりかかる。
B案のもつ、ある種の様式性が、記念的な意味を持つスタジアムにふさわしい。白い帽子の鍔が広がり過ぎだが、貴婦人を気取ったか。
なお、念の為にまた書いておくが、わたしはザハ・ハディド案に反対ではないし、期待もしていた。明治神宮外苑の持つ20世紀半ばまで日本を支配した国家主義的な景観を、これでぶち壊してくれるはずだったのだ。
その意味ではA案はどうしようもないし、B案にも不満を持つしかないのである。
●都市計画公園への対応をどう考えるのか
外苑地区地区計画 |
明治公園全体像 |
明治公園の都市計画変更
立体公園部の右側カーブはザハ・ハディド案をなぞっている
出直しになって、わたしがいちばん期待していたことは、都市計画的対応である。
とくに都市公園の明治公園を、ザハ・ハディド案に合わせるために、一部を大幅にいじめる立体公園に都市計画変更したことに対して、出直し案がそれをどう修正するか、ということである。
いじめた内容は、「四季の庭」の部分を、渋谷川も流れず、草木も繁茂しないコンクリ床の空中庭園にしたことである。
要するにザハ・ハディド案の建築の幅が広すぎるので、四季の庭にはみ出すのだが、なにがなんでもと言われるもんだから、都市公園の下に潜り込ませて、公園を空中に持ち上げたのである。しかも道路の上まで含む空中に持ち上げたのだから、姑息極まりない。
なお、国立競技場敷地も都市公園指定範囲であるから、都市公園そのものの面積は減少してはいない。空中という妙なところに一部移転したのである。
さて、この立体公園を、A,B両案はどう扱ったか。平面図と断面図だけで判断する。
A案は、グランドレベルの四季の庭をつぶして、屋上に空中公園をもうけているから、ザハ・ハディド案の通りである。渋谷川を描いているが、姑息である。
B案は、現在の都市計画決定の立体公園の位置を避けて、本体建築をしている。つまち立体公園でなくてもよいのである。それでも立体公園だからとて、下がピロティになった空中デッキを、建築本体とは別にわざわざつくっているのが奇妙だが、こんなものは不要である。
もう少しうまく配置を考え直すと、四季の庭を復活できそうである。
だからこれは、B案のブッチギリ勝ち(のように見える)。
そもそも、立体公園にしたのは、ザハ・ハディド案をなにがなんでも実現せよとの、オリンピック筋から脅迫されて(多分)、しょうがないからドサクサ、ムリヤリ考え出した方法である。
こんどは白紙出直し案がでたのだから、それに合わせて都市公園の変更も白紙見直しするべきである。それは渋谷川の四季の庭の復元である。そうなるように、新計画を調整するべきである。
ドサクサムリヤリ都市計画なんて、プロとして恥ずかしいだろ。
●国立競技場を明治公園として拡大開園を
この明治公園であるが、そもそも東京都体育館、国立競技場、明治神宮外苑まで、このあたり一帯全部が都市計画決定している明治公園である。
都体育館まわり、四季の庭、霞丘広場が開園しているが、そのほかは未開園で、開園面積は指定面積の1割程度である。
だから国立競技場も未開園だが、じつは明治公園の一部なのである。
今回の新提案を見る限りでは、両案とも周囲に広い緑地を計画しているから、この際、ここも明治公園として開園すればよいのである。明治公園の開園区域の拡大である。
東京都体育館の敷地のように、国立競技場の建築だけを避けて(その理由は都市公園法の建蔽率制限対応のため)、ここの敷地の全部を明治公園として開業するのだ。
立体公園なんて、草木も生えないような姑息なことをお止めなさいよ。そうしたのはオリンピック開催という恐喝にあって、ムリヤリだったんでしょ。
新国立競技場敷地を明治公園として開園すれば、霞丘都営住宅用地を霞丘広場の代わりの明治公園にしなくても良いはずである。
それなのに都営住宅を廃止してまで公園にした理由が、不可解極まるのである。地区計画図を見ながら考えていたら、その不可解さの原因が分かった。(つづく)
●五輪騒動:新国立競技場と外苑都市計画に関する論考集
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