この5年ほどコロナと介護で出歩けなかったが、8月から独り身になったのっで独り街歩きを少しづつ再開している。ついでに言えば、同時にやめていた酒飲みも少しづつ再開練習中である。
街歩きはコロナ前にはしょっちゅうやっていて、何時間でも歩いていたものだが、介護で逼塞している間に、老いが進むとともに脚力が衰えた。老いてもまだ歩けるうちに、せっせと都市歩きをやっておきたい、転ばぬように杖を突いて。。
復活してから訪ね歩く街は、5年もあれば大変化に十分な時間であり、まるで浦島太郎の気分になることもできて、それはそれで楽しいものだ。品川駅東地区、新宿駅周辺地区についで、新横浜駅周辺地区に行ってみたが、駅そのものと新幹線には浦島気分だったが、町はそうでもなかったので、ここに書くほどのことはない。
昨日は、横浜「みなとみらい21」地区(MM21)に浦島太郎気分を味わいに行ってきた。まあまあ太郎気分もなくはなかったが、新宿と比べるともの足りなかった。
みなとみらい地区に入るのはたぶん5年ぶりだろう。わざわざ紅葉丘から掃部山に登り、山を下っていく昔のルートから、久しぶりのMM21である。
国道16号を横断し、頭上を走るJR線路の高架をくぐり、すぐまた地上を走るJR貨物線の踏切を渡るという、せせこましいMM地区入口を過ぎると、途端に超高層街が現れるのが面白い。実はこの踏切あたりは、かつて巨大造船所時代には工場の門があったそうだから、伝統的には正し入り方である。
街からMM地区に入るには国道をわたり鉄道高架をくぐりぬける |
鉄道高架をくぐり貨物線の狭い踏切を渡ってMMへ、昔このあたりが造船所の門だった |
もちろんもっと北や南の広い道から入るのが普通のルートだが、今日は久しぶりにこのルートにしたのは、浦島太郎気分のためである。踏切を過ぎると高速道路の高架をくぐるという、まことに念入りに現代風のゲートが仕組まれている。ここは昔のままの風景である。
はいってしまうと広い広い道路に高い高いビルが立ち並んでいて、昔はこのあたりが原っぱだったことが不思議な世界になっていた。さすがに海だったころを知らない。
ここにあった大きな広い平屋のDIY屋は、黒くて高いホテルのビルに変わっていた。ごちゃごちゃした住宅展示場も白いオフィスの超高層になっている。巨大なイベント会場もできている。汚らしい幟りやら小旗がはためいていた野天の自動車屋はどうしたのかしら。子供でにぎわっっていたアンパンマンなんとかってのはどこに行ったのだろうか。
浦島太郎気分であたりを見まわしつつ歩けば、広い道路に沿って一様に白っぽい壁と黒っぽいガラスの似たような超高層ビルばかりが並び立ち、歩道がにぎわうことはなさそうだ。ちょっと寄ってみようかなと思った建物は、神奈川大学が新キャンパスの白い超高層であった。ここだけは広場に学生たちがいて、3階あたりまで一般開放しているらしいから、人影があるのがよろしい。広い芝生がないキャンパスは寂しい。
アトランダムに風景を載せる。
モールの樹木は高くなり緑が繁って、景観がよくなっている。でもビルの姿は空き地に大きなものが建っても基本的には変わりがないというか、別に面白くもないものだ。
PCの中を探したら上の写真と同じアングルの10年前の写真を見つけた(下図)。遠くの正面にビルが建ち、左の空き地にもビルが建ったところが変化だろうか。10年前のモールは緑が貧弱で街に潤いがなかった |
でも考えると、今どきは誰もがスマートフォンを持っており、その中にある町案内に頼って歩けば、どこに何があるかわかる。ビルの上やら前やらに看板広告を掲示する必要がないのだろう。なるほどネット時代は街の景観をすっきりさせるのか。今に中華街もすっきりするのだろうか?
2011年12月13日 |
2014年3月25日 |
でも、まだ空き地はあり、こんな風景がごうごうと音を立てていた。
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伊達美徳=まちもり散人
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