2025/02/24

1869【音楽堂でオペラ】能「隅田川」を見る目でモンテヴェルディ「オルフェオ」を見た

  久し振りにオペラを見に行った。横浜にある県立音楽堂、17世紀初めに初演というモンテヴェルディ「オルフェオ」である。世界で初めてに近いイタリア作品。

●ヴィチェンツアのテアトルオリンピコ舞台を思い出した

 音楽堂だから舞台が狭いしオーケストラピットもないから、本格的なオペラには向いていない。それでも近頃はプロジェクションマッピングという映像映写技術が発達して、何枚も幕をつかわなくても巨大な背景が変化する舞台効果ができるようになった。

神奈川音楽堂でオルフェオ開演の前 舞台中央に門がひとつ


 今回の舞台装置は、西洋古典様式建築的な門がひとつ、しかも左右も前後も舞台中央部に立っているだけ。舞台装置らしきものは他にはなくて、演技はその門の前の狭い舞台でのみ行った。オーケストラは舞台前の平土間部分に固まっていた。

 その舞台構成を見て、かなり前に訪ねたことがあるイタリアのヴィチェンツアにあるテアトロ・オリンピコという劇場舞台を思い出した。この建築は16世紀末に有名な建築家パラディオの設計作品である。

ヴィチェンツア・テアトル・オリンピコの本格建築物の舞台装置
同上の舞台と客席
 
 この2枚の写真はわたしが1995年に訪ねて撮ったものだが、劇場を見ただけであり、それがどのように使われるのか知らない。舞台上にはこのような中央にゲートがある建築物が建っていて、ゲートの向こうは街並みのように作られている。

 このような本物建築が固定されていて、これを背景に舞台演技を行ったそうだ。舞台そのものの奥行きが意外に浅いのは、まだそのような必要があるオペラの時代がまだ来ていないということであろう。

オルフェオの舞台装置の前と後の舞台が同じくらい奥行き

 この建築背景の中央部のゲート部分だけが建つ舞台、それが今回の「オルフェオ」である。そのゲートと背後の板壁との間もゲート前と同じくらいの舞台奥行きである。舞台背後の壁は木製板壁であり音響反射板であろう。その木目の板壁に直接映像映写していた。門の前の舞台がもう少し広い方がよかったと思う演技だったが、映像映写の都合で門の背後もそれくらいが必要だったのだろうか?

 オペラを好きだがしょっちゅう見に行くには高価なので、我慢して年に2回くらいなものだ。この前に見たオペラはやはりこの音楽堂での「魔笛」だった。今調べたら一昨年の11月のことだった。去年は全く見てなかったのか、ウ~ン、これは高価で行けなかったのではなくて、家人の介護真っ最中だったからなあ。

 オペラよりは安い能(近ごろは高くなって来た)を好んで見に行く。だが去年は見ていないのは横濱能楽堂が修復中で休館していたからだが、いまだに開場していない。開場したころはこちらがあの紅葉坂を昇り降りする体力気力がなくなるだろう。

●日本の能「隅田川」を思い出した

 オルフェオを見ていて、そのストーリーの最も重要なところ、死んだ妻を冥界に訪ねたが、顔を見ただけでまた分かれる第3幕あたりで、能「隅田川」を思い出した。よくにているようなのだ。

 この能は15世紀初めにできているから、「オルフェオ」よりも150年以上も前だ。ついでにこれはすでに言われていることだが、「古事記」にある死んだイザナミを冥界に訪ねたイザナギの話との類似があるが、こちらはもっと古い。洋の東西や時代を問わず、親しかった死者に再開したい人間の気持ちは変わらないというだろうか。

 オルフェオが死んだ妻を求めて、冥界への川を船で渡るために、渡し守との間で乗せろ乗せないのやり取りするところから、オペラの後半第3幕が始まる。そして渡し守の居眠りのすきに川を渡ったオルフェは冥界にいたり、その王から妻を連れ帰る許可を得るのだが、その条件は帰る途中で妻を振り返り見ないこととされ、オルフェオは妻を後に従えてこの世への途に出る。

 しかし、その途上で後ろに本当に妻が後ろについてきているのかと疑念がわいたオルフェオは、妻を見たい願望に負けてしまって振り返る。その瞬間だけ妻の顔を見ることはできたが、約束破りなので冥界の王に妻を取り戻されしまい、ひとり寂しくこの世のトラキアの野に戻る。

 能「隅田川」の主人公は、死んだ子を訪ねる母親である。同じように川を渡って死んだとは知らぬ子を求めるのだ。彼女にとっては実は渡る前の川のこちら側はこの世であり、渡った向こう岸は彼女にとってはいわば冥界であったのだ。

国立能楽堂提供:『能之図(下)』より「能 隅田川」
 そこで子の墓を訪ねあてると、その日がその子の一周忌であるので、近くの人々が大勢集まって、供養の念仏を唱えているのだった。
 母も共に祈ると墓の中から死んだ子がは姿を見せる。だが一瞬だけで消えてしまう。母は「草ぼうぼうとして浅茅が原」の中に立ち尽くすと朝日がさして能は終わる。この母にはオルフェオのような救いの幕はない悲劇である。

 ということで、大筋ではかなりの類似性があり、これは決して牽強付会にはならぬ程度だと、わたしは思うである。そんなことを思いながらオルフェオの第3幕以降を見ていたのだが、比べてみてて能「隅田川」のリアリズムに今更に驚いたのである。

 それにひきかえ、オペラ「オルフェオ」は作者がいったように「音楽寓話劇」そのものである。「隅田川」の母親に救いはないままに悲劇に終わるのだが、オルフェオは悲劇かと思えばまだ先の幕があり、父のアポロによって天国に送られるという無理筋のハッピーエンドである。

 「オルフェオ」よりも150年以上前の「隅田川」の演劇として完成度の高さを感じてしまうのは、筋違いだろうか? もっとも、能には「オルフェオ」に負けない無理筋ハッピーエンドの曲はかなり多い。最後の最後で苦悩する主役が仏に救済される「清経」、「砧」、「鵜飼」など、オルフェがアポロに救済されると同様である。

 ここでもう一度思い直すのだが、「隅田川」は本当に悲劇のままだろうかと。朝日の中にひとり立ち尽くすと見える母は、実はその周りを共に念仏を唱えて供養してくれた大勢の人々に囲まれているはずだ。舞台上でそれは船頭、地謡い方、囃子方、後見の大勢の姿である。

 この地でたまたま行き倒れ死んだ見知らぬ旅人であったその子を、その一周忌に集まって供養をする「このあたりの人々」の親切な心は、悲しみに立ち尽くすその母親をも救済するに違いないと思うのである。見えない第五幕があるのだ。観世元雅の天才を想う。

●これで「オルフェオ」を3度も見た

 特にそのファンでもないが、実はモンテ・ヴェルディ「オルフェオ」を見たのは、これで3回目である。最初は2007年11月17日に北区の「北とぴあ」での公演「オルフェ―オ」(指揮は寺神戸亮)であった。これを見に行ったのは、そのころ能謡を教わっていた能役者の野村四郎さんが、これを演出・出演したので行かねばならなかったからだ。

 そのこ、野村四郎は東京芸大教授であったが、実に積極的に他の分野とのコラボレイションをしていた。能の他流派とはもちろん、オペラ、歌舞伎、文楽、美術などの芸術家たちと新分野の舞台芸術を模索していた。
 参照:野村四郎舞台芸術コラボat東京芸大2003~07

 笠井健一と組んでの野村演出は、もちろん能の様式を生かしていたが、オペラそのものであり、結構面白かった記憶がある。舞台は2階建ての装置で大掛かり、天上界が上にあった。衣装も能装束イメージの興味深いデザインだった。

2008年のオルフェオ公演
 この2007年は、初演から400年にあたるので、各所でこのオペラの公演があった。2008年1月20日、近所の神奈川県立音楽堂でもあったので、もともとはどんなオペラなのか知りたくて見に行った。指揮は今回と同じ濱田芳通であった。そのほかに今回も出演者がいるかとパンフを見たら、彌勒忠史がいた。

 よく覚えてはいないのだが、古楽器演奏者たちは舞台上にいて、狭い舞台には立体的に回廊のようなものが組んであった記憶がある。古楽器の旋律が美しくて、それで今回も同じ楽しみを求めて音楽堂に行ったのであった。美しい音色に癒されて、いってよかった。

 実は次第にわが身の老化が進み、県立音楽堂のような階段客席を歩いて登るしかない劇場には、敬遠するしかなくなりつつあるのだ。その点では、隣の横浜能楽堂が平土間だけで実によろしい。再開場を待ち焦がれている。(2025/02/24記)

 ●参照 YouTube動画による能楽とオペラ鑑賞はこちらへ
・能「隅田川」 ・オペラ「Claudio Monteverdi - L`Orfeo

ーーーこのブログでのオペラや能の関連記事ーーー

趣味の能楽・オペラ等鑑賞記録
https://matchmori.blogspot.com/p/noh.html

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2025/02/15

1868【確定申告】春先に年に一回の数字いじり仕事させるのは政府の高齢者ボケ遅延政策か

  毎年の今頃になると、世の中は所得税の確定申告の季節である。わたしもヒマツブシがお金になるからやっている。

品川駅東西通路にて

 お金になるとは、納め過ぎた源泉徴収税を返してもらって、その還付金を春先のお小遣いの楽しみにしているのだ。もっとも、もともと自分の金だけどね。

 源泉徴収とは、考えてみると奇妙な言葉だ、源泉つまり湧き出す源になっている泉のことだ。ということは、国家にとっては国民は、国民の所得というおカネを湧出する源なのである。温かい水が湧き出せば温泉だし、おカネが湧き出せば所得税源泉というらしい。温泉が無限に出ることが無いように、税の源泉の国民の所得だだって無限湧出ではあるまい。

 その湧き出す所得を本来は汲んで戻るべき国民がやってくる前に、国家がいち早くやってきてその一部をかすめ取る仕組み、これを源泉徴収といい、そのカネを源泉徴収税と言うらしい。
 ところが、国家が掠め取る金額が法律で決まっているのに、その額よりも多く汲み過ぎていく。そこで国民一人一人が、毎年このあたりになると取り過ぎたお金を返してくれと、国家に申請するのが、この確定申告であるらしい、と、わたしは理解している。
 とる国家も返せという国民も、この時期はご苦労なことである。わたしはボケ進行遅延策として有効に活用している。しかし、申請しないと戻ってこないのがけしからん。

 これまで毎年毎年これをやっているのは、国家が毎年毎年決まっている額よりも多く汲んで持って行ってしまうからだ。これまで少なく汲んでいったことが一度もない。
 いや、一度だけ汲み損ねていったことはあったが、それは所有不動産を売却した2015年であった。もっとも、この売却を国家が気がつかなかったから、こちらから国家に親切にも教えてあげたのだった。さすがに還付はなくて追加納付した。参照「父の家を売る

 さて、ことしのわたしの確定申告には、今まで一度もやったことがない「医療費控除」の申告がある。昨年は居宅介護していた病妻が亡妻になる一大変事のため、医療費と介護費が控除対象になるほどに多額になった。これまでは一度も申告可能額ではない健康家族だったのに、、。

 上に述べた不動産売却時もあれこれと申告書作りが面倒だったが、この医療費控除申告もそれに負けず劣らず面倒極まると知った。それがどれほどわが一人暮らし財政に寄与したのか実はよく分らないのだが、とにかく源泉徴収税を全額還付してくれるそうだ。無税の民に落ちぶれたのである。

 いまはなんでもネット時代であり、ご親切にもYouTubeに医療費控除のやり方指南動画がたくさん登場している。税務署サービスの動画かと思ったら、どうも確定申告書の作成依頼を受けて稼ごうとする税理士たちらしい。その数があまりにも多くて目移りがする。
 ついでに他の面倒なこと、今年だけらしいが「特別減税」なるものがあり、これが税額算定をややこしくしているらしいことも知った。知ったからとてなにも分からぬが。

 さて、その申告書類づくりをヒマツブシにやるのだが、いまどきは国税庁提供「確定申告書作成コーナー」なるサイトを利用すれば、ややこしい計算は自動計算して申告書を作ってくれる楽なものだ。
 ただし、これで作るとどうしてそうなるのか、国家が徴税してくる仕組みが全く分からないままであるのが、なんとも癪である。昔は手計算で手書き込みしたから、何となく理解させられたものだ。

 そこで思い出したので、本棚の片隅から昔の確定申告書の控えの束を取り出してみた。ほお、1998年分からあるのかあ、納税についてはこんなにも忠実にやってきたかと、われながら国家への忠誠に感心した。それ以前はやっていないということは、必要でなかったのだろうなあ。フリーランスになって9年目からとは、必要になることがあったのかしら。

 控えを見れば、2004年分までは数字が手書きである。ということは手計算だったのだろう。2005年分からは印刷だから、この時から国税庁の作成サイトが始まったのだろうか。

1998年分からの所得税確定申告書控え

 あらためて控えをみれば、2000年前後頃は還付金が50万円強もあったのに、いまや1万円にも満たない貧乏老人になっている。納税額が少なければ、還付金も少ないのは道理であると分かっている。

 ところで、納めた額以上に戻っては来ないのは常識としてよく分るのだが、今年はそれがあるらしい。それが一人当たり一律に3万円の特別減税である。これもYouTubeでよく分った(ような気がする)のだが、現金でくれれば簡単なのに、税金額を負けてくれるそうだ。

 複雑にして面倒なことをやるもんだ。税額そのものをオマケしてくれるのだが、わたしのようなオマケするほどの税額がない者には、減税の恩恵を公平に行き渡らせるために現金をくれるのだそうだ。岸田さんの置き土産とてオアリガタイことである。カネが入るとなると一生懸命に申告書づくりするものだ。
(2025/02/15記)
このブログの確定申告関係記事
2016/02/27【確定深刻の季節】増え続ける空家群マイナス資産津波 https://datey.blogspot.com/2016/02/1178.html

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2025/02/09

1867【キャリフォニア歌人】トラ強風太平洋越えて来る飛び火石破首相を火消しに派遣

 今朝(2025/02/09)の朝日新聞の朝日歌壇永田和弘選に次のような歌が載っている。

    強風で我が家の周りにまた飛び火 灰と煙に三日四晩も
                 (アメリカ)大竹 博

 このアメリカとはキャリフォニア州のことであり、歌に読み取ることができるように、先だってのロスアンゼルス大火の地である。
 そしてこの大竹博とは、わたしの大学同期生であり山岳部と寮で同じ釜の飯を食った仲間であり、畏友である。大竹とは時々ZOOMで出会う。

 あの大火については彼自身の家の街にも燃え広がってくるかと、大いにやきもきしたが幸いにして無事であった。それはよかったが、20キロほど離れた息子さん一家が住む街は、まる焼けになってしまったそうだ。

 しかし、その息子氏の家は奇跡的にまわり数軒と共に焼け残った。それはよかったが、家も庭も周りの火災で降ってきた灰まみれだし、壊滅した街で生活できる状況になくて、父親の家に避難してきているとのこと。なお、その焼け残りの家は、以前は大竹君一家が住んでいたのであった。

 そのような背景があっての上でのこの入選歌である。彼は朝日歌壇にちょくちょく入選しているのだが、この前(1月19日)の入選歌はこうだった。

  裏庭で立ち食いの栗鼠と眼が合えば 餌を差し出して分け合う仕草
               (アメリカ)大竹 博

 この歌の余りにものどかなる風景を読めば、今回の入選歌の「三日四晩」の激しさがじんじんと伝わってくる。
 ふつうは「三日三晩」と言うはずだから、これはUSA人となって半世紀以上になる大竹の怪しい日本語なのか、と、初めは思ったのだが、いや、やきもきを詠うのに「四晩」と強調したに違いない、うまい、と思い返したのであった。

 ところがまた別の同期畏友から教えてもらったのだが、「三日四晩」の上をいく「四日五晩」と、映画「もののけ姫」のセリフに出てくるそうだ。
 ということは、わたしは知らなかったけど、キャリフォニアあたりの外人が知っていてもじったのかと驚いている。失礼しました、ごめん。

 早速に今朝は入選祝メールを送ったのだが、そこにこう返歌を付け加えた。

   トラ強風太平洋越えて来る飛び火 PM石破を火消しに派遣
               (ニッポン)伊達美徳

 後のためにこの狂歌の背景を書き添えておくが、たまたま今朝の新聞を賑わわせている昨日行われた石破ランプ初会談のことを踏まえてるのだ。
 トラさん思いつき発言が飛び火しないように、イシさんはなだめおだて作戦を三日四晩も考えて会談に臨んだことであろう。(20250209記)

ーこのブログ内の関連記事ー

2025/01/13・1861【LA大火事】
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2023/11/02・1727 【老いの日々】
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2022/10/03・1649【朝日歌壇の歌人】https://datey.blogspot.com/2022/10/1549.html

2019/03/03・1391【カリフォルニア歌人登場】https://datey.blogspot.com/2019/03/1191.html

2018/12/23・1375【カリフォルニア旧友朝日歌壇】https://datey.blogspot.com/2018/12/1175.html

2018/08/12・1156【カリフォルニア夫婦歌人朝日歌壇登場】https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html

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