2014/09/22

999【福島核毒被災地徘徊1】当たり前の農家の風景にひそんでいる不気味さに戦慄する

 この一枚の写真は、日本の典型的な農家の風景である。
この何でもない風景に潜む不気味さを観よ
建っている一連の建物は、住居の母屋、車庫、作業場、倉庫などだろう。
 背後にある森は、かつては薪炭や肥料を得るための里山であり、もちろん防風林でもある。今は用材となるスギ林であるが、よく見れば近頃珍しく、下刈りや枝打ちの森林施業がされている。
裏山にズームアップしてみる
家の前には畑があり、作物をつくってはいないが、草取りはきちんとされているようだ。
 そのまた一段下には田んぼがある。今は黄金の穂が広がる実りの秋だから、ここは少し早いが既に稲刈りが終わったらしい。
 乗用車や軽トラックが見えないのは、家族は野良仕事や買い物に出かけているのだろう。

 だが、これは何も知らない人が見たらそう思うであろうと書いたのだが、実はとんでもない大間違い解釈なのである。

 裏山をよく見ると、地肌が見えるほどに下刈りをして、しかも落ち葉まで掻きとっている。いまどき林内低木や草本を伐って薪にするはずはないし、落ち葉を集めて肥料にするはずはない。枝打ちにしてはいい加減すぎる。
 実は、放射性物質を除去する作業の結果なのである。ここは福島県の飯館村の中、そう、あの福島第1原発事故で、東電から大量核毒空襲を受けた核毒被災地である。
 裏山の妙な手入れの姿は、林内の核毒を除去する除染(この言葉はおかしい)なる作業の結果である。造林地の森林施業ではないのであった。

 畑にも田んぼにも作物が見えないのは、田畑で食料となるものをつくっても、食べられないから農作が不可能だからである。
 あれから3年、田畑の耕作を放棄すれば、今や草ぼうぼうの原野になっているはずが、見たところではきれいな草地であるのは、核毒除去のために農地の表土を漉き取ったあとを、草取りをしているからだろう。

 左の方に電柱が立ったあたりの下に、黒い袋が横に並んでおいてある。
たくさん並んでおいてある黒い袋と何も作物のない田畑にズームアップ
この袋の中にらは、裏山から集めた核毒まみれの落ち葉や樹木の切れ端、あるいは畑の草や土が入っているのだろう。いずれ、これは集められて、第1原発近くにできるであろう中間処理場に行くことになる。
 この日本農家の典型的な平和な風景は、実はそのような不気味さを湛えた惨状の風景なのである。

 だから、普通なら必ず庭先に見える乗用車や軽トラックが無いのは、ここには人が住んでいないからである。核毒の地を逃れてどこかで暮らしているのだろう。
 なにも生産できない、だれも居ることができない、東電核毒が創り出した風景である。
 そう思って眺めると、わたしが支払った電気料金で作りだした核毒が降り積もり、わたしが支払った税金でそれを除去する費用が降り積もり、わたしが支払った電気料金による東電補償金が降り積もっているこの風景は、戦慄すべき状況であることに気が付く。
 
 9月20日と21日に機会あって、福島県相双地区視察バスツアー(主催:日本都市計画家協会東日本大震災復興支援タスクフォース福島チーム)に行ってきた。
 この農家の不気味な風景は、その旅の中のほんの一部の不気味さであり、この先いくつもの不気味な風景を見てきた。
 そのうちのひとつ、典型的な不気味な風景を予告的に載せておく。
福島第1原発が見える東電核毒汚染+津波被災地の風景

 福島市から南相馬市へ入り、南へ南へと核毒地帯を縦断して、いわき市から抜け出てきたのであった。かなり放射線量が多いところも通った。
 新聞やインタネットで入ってくる情報で、ある程度は知っても隔靴掻痒の感は免れない。しかし、勝手に入ってみてくるわけにはいかないので、気になっていた。この度、日本都市計画家協会の支援タスクフォースチームが企画してくれたツアーに乗ったのである。

 昨年秋と今年の春に見てきた宮城と岩手の津波被災地の荒れ方はものすごいものだったが、案内がなくても目で見ることで、かなりのことがわかる。
 だが、福島の核毒被災地は、案内がなくて目で見ただけでは、ほとんど本質を理解できないだろう。被災以来現地に入りこんでいる家協会の支援チームメンバーと現地の人たちの案内で、今回は多くのことを知ることができた。核毒被災風景の観方が分った。
 東電原発核毒汚染地帯で観たこと、聴いたこと、考え込んだことを、このブログにしばらく連載する。つづく

家のそばの森はどうやって除染するの?(環境省)
https://josen.env.go.jp/material/pdf/shinrin_20140221.pdf

地震津波核毒オロオロ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html


2014/09/14

998【今日のお詫び新聞】またお詫び広告を記事にして購読料を取る朝日新聞かよ

 ご存じ朝日お詫び新聞は、今日は任天堂に対して謝っている。
 これも先日の吉田調書問題と同じで、自社の謝罪広告を記事にして購読料をとっている。けしからん。

 こうやって連日お詫び記事が掲載されて来ると、次はどんな大きなお詫び記事が出るのだろうかと、毎日楽しみである。
 そうやって自社広告を金払って読まされている定期購読者としては、朝日新聞社がその理不尽にいつか気付いて、お詫び広告を出すにちがいない。

 そして、それまでのお詫び関係記事に関する新聞ページ分に相当する購読料を返してくれるだろうと、楽しみにしている。
 もちろん利子をつけて、ついでにお詫び金とかも付加してくれるに違いない。だから朝日購読をやめない。待っているぞ。
 だって、不良欠陥商品を売ったら、返品交換とか返品交換不能なら賠償するのが、世の中の通例でしょ。

 今回の連続お詫び新聞事件は、ほかの新聞社にも伝染しているのだろうか。新聞業界がお詫び流行になっていると、おもしろいなあ、。
 ところで、このよううな誤報お詫びは、今回のような大きな組織からの抗議や批判があっから仕方なしにやってのではあるまいかと、気になる。

 どこの新聞でも、あんなたくさんの記事を書いていると、たぶん、誤報、捏造、コピーなどのしょっちゅうあるだろう。
 そして、それは庶民をとりあげた記事でも、しょっちゅう起きているだろう。
 そのとき庶民の抗議に対しても今回のようにきちんと検証して謝罪記事を載せているのだろうか

 でも、そんな記事を読んだ記憶がない。せいぜい名前を間違ったくらいのことについて、片隅に2、3行で「訂正します」とあるくらいなものだ。
 まさかとおもううが、おおきな勢力の抗議には屈するが、庶民の抗議は無視するって、そういう朝日新聞社になったのであるまいな。


(追記2014/09/18)【本日の新聞折込謝罪広告】
 今朝(2014/09/19)の朝日新聞に、こんな紙が挟まっている。例の「吉田証言事件」(戦場慰安婦誤報)、「吉田調書事件」(原発事故誤報)、「池上コラム事件」(掲載拒否)の3件について、お詫び広告である。朝日は吉田さんが鬼門だね。
 これまでの謝罪は一般記事として読者から購読料を取っている。欠陥商品を売りつけておいて、そのお詫びでまたもや金をとるって、あまりに因業なる仕業である。
 それに対して今日の折り込み広告は、新聞購読料外だろうから、無料で謝っている。これが当たり前のようにも思うが、欠陥商品を売りつけたら、普通なら購入者に補償するはずなのに、それには一言も触れていないから、これとても当たり前ではない。
 このことに朝日新聞は、気が付いているのだろうか。そのうちに朝日新聞の社名入りのタオルでも配ってくるんだろうなあ。

参照→997朝日新聞誤報連続謝罪広告、この次はアジア太平洋戦争中の誤報取り消し謝罪広告ですな


2014/09/12

997朝日新聞誤報連続謝罪広告、この次はアジア太平洋戦争中の誤報取り消し謝罪広告ですな

 今朝(2014年9月11日)の朝日新聞が、第1面トップに社長の顔まで載せて、自社の全面広告を載せている。社会面などほかのページもこれに充てている。
 福島原発核毒バラマキ事件に関する政府事故調報告のもとになる、東電現地の吉田所長の証言録について、解釈を誤って報道したことについて謝罪しているのだ。

 これはどう見ても、報道記事ではないよなあ。明らかに自社の広告である。もしも記事とするならば、マッチポンプの自作自演事件である。
 この前の慰安婦報道誤報取り消し謝罪も同じである。だから、それらを掲載した新聞代を返してほしい。
 この数日間、わたしは読みもしない高校野球やら全米テニス記事やら押し売りされてきたが、またこの自社広告の押し売りである。
 この広告は読むけど、広告に購読料を払うのは、いやだ、金返せ。

 その謝罪内容については別にして、わたしが思ったのは、ようやくに「お詫び」の仕方が分ったらしい。
 これまで記事が間違っていても、片隅に2~3行で「訂正します」とあって、「お詫びします」と書いてなかった。それが今回は「お詫びします」と書いている。

 新聞だけじゃなくて、世の中どうもお詫びの仕方を忘れている感じがする。
 電車が事故で止まると車掌が放送するが、「ご迷惑をお掛けしております」とまでは言うが、「お詫びします」と言ったのを聞いたことがない。迷惑をかけていることは分かっているらしいが、それを悪いことと分かっていない。
 あるいは、一般に謝ったつもりで「失礼しました」で済ませる人も多い。これじゃあ失礼しっぱなしのままだ。

 極め付きは、福島原発から核毒をばらまいて、大損害を市民にも土地にも海にも与えた東京電力の広告である。
 2011年3月には、東電は新聞にあれこれと広告を出したが、そこにも「お詫びいたします」の言葉はなかったので、わたしは腹が立って、こう書いている。
http://datey.blogspot.jp/2011/03/400.html

 これでまた読売、産経、新潮、文春など、「朝敵」の新聞雑誌屋さんは喜んで、同じような朝日タタキ記事を書くのだろうなあ、そしてそれを喜ぶ付和雷同「朝敵」が増えるんだろう。ま、面白いから、やれやれ~。
 そして次第に、誤報の基になった事件の問題の本質を忘れて、誤報事件の責任問題のみに焦点が絞られていくだろう。

 わたしは、次なる朝日新聞の謝罪記事というか謝罪広告に大いに期待している。
 それはアジア太平洋戦争中に、大本営の言いなりになって書いた記事である。これを訂正取り消し謝罪したら、さすがに「朝敵」メディアも追随せざるをえないだろう。
 がんばれ朝日、次はそれをやれ!


2014/09/09

996神仏頼みで戦争に勝つなら南海トラフ大地震消滅・巨大台風退散も祈願したら、、

 昭和天皇実録が公開されたと、新聞が報じている。

 記事の中で面白かったのは、太平洋戦争の最末期に、宇佐、香椎、氷川の3神社に敵国撃破の祈願をしていることだ。
 天皇が神社への祈願とは、その神社に敵国退散を祈らせることである。

 太平洋戦争よりも700年ほども前のこと、日本では元寇という戦争があった。
 この蒙古襲来の文永・弘安の役の時に、鎌倉幕府が武士を動員して実際の戦闘を受け持ち、京都朝廷は寺社を動員して神仏に元軍撃退を祈願することが役割だった。
 そして朝廷の祈りが通じて、神仏は暴風雨を起し、元・高麗連合軍指導者の仲間割れをさせたり、作戦間違いさせたりして、元寇撃退は成功した。
 というわけで、太平洋戦争末期もその成功に倣うことにして、天皇が神頼みしたのだろう。でも、700年後は神に見放されたのであった。

 ところで、元寇あるいは蒙古襲来と言われる文永・弘安の役の敵国軍は、元と高麗つまり今でいえば中韓連合軍であった。
 元とはフビライのモンゴル帝国であったから、今は縮小したがモンゴルである。
 モンゴルと日本とのその後の戦いは、1939年のノモンハン事件が有名である。このときは日本軍がモンゴル・ソ連連合軍に敗退したから、モンゴルから言えばリベンジになったのだろうが、文永・弘安の役のように日本領土侵攻ではなかった。

 それからさらに世紀が変った今、日本領土の中にモンゴル軍は、いつのまにか、しっかりと侵攻してしまった。大相撲である。
 いまや大相撲は、日本国技ではなくて国際競技というべきプロスポーツの世界となり、完璧にモンゴル軍に席巻された。
 モンゴルは文永弘安の役敗退のリベンジを、文化侵攻で見事に果たしたのだった。

 では高麗のその後、つまりコリアとはどうか。
 ゲリラの倭寇は別にして、文永・弘安の役と逆に豊臣秀吉が日本軍をもって朝鮮に侵攻したは、1394年と1397年であった。日本側のリベンジだった。その後は1910年の日韓併合になってしまう。これはリベンジが行き過ぎた。
 モンゴルが相撲で日本侵攻を果たしたように、コリアもいっときは韓流映画で日本侵攻成功かと見えたが、今は下火になったようだ。
 でも、いつかはコリアも文化リベンジを果たしそうだ。

 さて、神仏に頼る話に戻ると、アベさんやら大臣のお方たちは靖国神社へちょくちょく何事か祈願されているようだから、そろそろ文永・弘安の役時代の成功譚が復活するかもしれないなあ。
 なんとかミクスが失敗して大不況が来たら、伊勢や靖国に不況退散祈願かもなあ。
 そういえば、スポーツ競技会に出る選手が試合での勝利とか、政治家が選挙立後補して当選とか、神社で祈願するのが流行とか聞いたが、効き目はどうなんだろうか。

 では、この際、こういうのはいかがか。
 このところ大地震とか大型台風とか大雨とかが多いし、南海トラフ大地震とかが予想されているので、大災害撃退を神仏に祈願することを、天皇とか政府がやるのである。
 天皇には戦争末期の「御祭文」を、このようにお書き替え下さって、よろしく。
「日本国の荒廃につながる甚だ由々しき難局にしあれば、国内ことごとく一心に奮い立ち、あらん限りをかたむけつくして、災害をうちやぶりこと向けしめんとなも思し食す」
 うまくいけば、いいね。神様仏様キリスト様マホメット様、よろしく。

2014/09/08

995・蚊がオリンピック開催を阻止するかもなあ

 東京の都心あたりでは、デング蚊がどんどん繁殖して、その生息地を拡大しているらしい。
発祥の地の代々木公園から隣の明治神宮の森へ、新宿御苑へ、新宿中央公園へときて、皇居の森も危ないとか。
 当然のことに明治神宮外苑もデング蚊登場となれば、これはもう2020年オリンピック開催が危ないかもしれないなあ。
 あ、そうだ、新国立競技場を設計変更して、蚊帳にすればいいのだな。ではJSCは、ザハ・ハディド女史に、ぜひそう頼むように。


 いや、オリンピックはまだ6年も先のことだから、それまでに蚊を絶滅させますって、そこらじゅうに猛毒を散布するのだろうか。
 蚊どころか、蠅も蝉も甲虫も飛蝗も蛍も、もう生きられない。そのうちに蛇や蜥蜴、猫や犬、そして公園好きのホームレスやカップル人間も絶滅するだろう。

 まあ、そのそんなことはなかろうと思っていると、そのうちにこれも蚊が媒介するマラリアが流行するかもしれない。かつて戦争していた頃、中国や東南アジアの戦地でマラリアに罹った兵士たちがたくさん帰国してきたものだ。
 今はまた国際化時代になって、外国からやってくる病気をとめるのは難しい。あ、オリンピックなんてとんでもないですよ。

 こうなったら、蚊の元であるボーフラが育つ水を絶つしかない。水道も降雨も停止するのだ。う~む、無理か。
 じゃあ、ボーフラが湧かないように、どこもかしこも地面は舗装してしまうってのはどうか。公園にも河川にも公共施設にも住宅にも、草地やブッシュは禁止にする。う~む、味気ないことになるなあ。
 こうなったら、数年間は人間はもちろん入国禁止、蚊が乗ってきそうな空や海の貨物便も入港禁止にして、鎖国するしかないかなあ、あ、いよいよオリンピックはだめだな。

 しかしなあ、公園の先住者である蚊にしてみれば、やってきた人間の血を吸うことで生命を保っているのに、たまたま吸ったやつがデング熱に罹っていたので、こんな騒ぎになり、絶滅の憂き目にあうことになる。
 これが公園の野犬狩りなら、いりいろと物申される動物愛護者の方たちは、野蚊狩りにはなにもなさらないのかしら。

  なんだかエコとか緑とか水とかビオトープなんて言ってても、蚊が出るとこの有様で、なんとも人間は弱くて勝手なものであるよなあ。
 わたしの生家には広い竹藪があって、やぶ蚊がブンブンとうなっていたなあ。あのころに蚊にしっかり食われたので、今じゃあ免疫ができてるって、そういうことはないのかしら。


2014/09/04

994【横浜都計審傍聴6】都市再生特区って都市計画で災害を増加する仕掛けのような

前回からの続き)

・こんなことを都市計画で規定するほど危険なのか

 横浜駅西口駅ビルに関する二つの都市計画、都市再生特別区地区計画について、文を読み絵を眺めていて、都市計画は都市防災について何ができるのだろうかと考え込んだ。
 この二つの都市計画の特徴を簡単に言えば、都市再生特別地区では容積率を800%を1240%に緩和したこと、地区計画では建築の中身をこまごまと決めたことである。
 
 地区計画を読んでみて、さすがに3・11以後のことであるためか、防災についての記述が、目標のお題目だけでなく、いろいろ多いことに気がつく。
 最近は、こういうことを書くようになったのか。
 例えば、地区施設の「歩行者通路は災害時に来街者を安全に避難させるための避難経路としても活用する」、建築物には「地震や津波発生等の災害時に、来街者の滞留や避難が可能となるスペースや帰宅困難者の受け入れスペースを確保し、滞留者・避難者・帰宅困難者の対応を積極的に行う」、そのほか、地域防災対策拠点、防災備蓄庫、耐震トイレ、雨水流出抑制施設などを設けろとある。

 その具体的な場所は、都計審の資料に書いてあり、滞留者10000人と帰宅困難者3000人分の受け入れ場所を建物の中と屋上広場に、地域総合防災拠点を建物の地上階の中に、雨水貯留ピット200トンを地下の奥底に、それぞれ計画している。
 それはそれで災害対応施設を設けるのは、まことに結構なことである。
 とは思えども、一方で、こういう防災施設の設置を都市計画で法的に担保しなければならないほど、つまり建築に任せておけないほどに、ここは危険なのか、とも思わせられる。


・建築は壊れないという神話があるのか

 本当にこれでよいのかと疑う気持ちを否めないのは、それらのいずれも建築物の中に設けることである。
 大地震で大都市の都心で建物群が壊れ、上下水も流れず、電力も絶えるという状況は、阪神淡路震災のときに行った神戸で、惨状にじっくりとお目にかかってきた経験がある。
 滞留者や帰宅困難者を受け入れる建築物が、大地震で壊れ、水も電気もないことが起きると、どうなるのか。防災拠点が建物の中にあるのも大いに気になる。

 つまり、リスク低減策を、リスク発生源の巨大建築の中に取り込んでいるのだ。リスクなるものは分散するべきであろうと思うのだが、どうか。
 特に、建物だけにに頼るのは危険である。災害時には公園広場道路などの公共公開空地が災害低減に大きな役割を果たすことは、これも阪神淡路震災でけ経験済みである。
 この西口駅ビル建築は、どんな大地震でも壊れないという前提に立っているらしいが、関連してすぐに思い出すのは原発安全神話である。

 ここはやっぱり、建築は壊れるものという前提に立つべきであると思うのだ。
 その点で、この地区計画には、公共公開空地が地上部にはほとんど無いのは、かなり危ないような気がする。西口地区を見回しても、広い空地は道路くらいしかない。まさか新田間川の中に避難もできないだろう。あ、高速道路が壊れて、川もだめかも知れない。

 「エキサイトよこはま22」を見ると、横浜駅西口地区を超高層建築街にしたいらしい。だが、大災害に備える大公園がない。
 例えば、東京駅丸の内には旧江戸城、西新宿には新宿公園があるが、横浜西口地区には、それらしい公園はどこにも見当たらない。

 以下に、いずれも同じ高度(127km)からの撮ったグーグルアース空中写真を並べる。比べてみると、横浜駅西口地区が過密でありながら、公園はひとつも見当たらないことがわかる。
新宿駅西口地区 (以下同じスケールでの比較)
横浜駅西口地区
東京駅丸の内地区
 わたしが知っていた都市計画は、これだけの大容積緩和をするなら、それに見合う公共公開空地を地上部に提供することと引き換えであった。公園、緑地、広場、公開空地などである。
 ところが、近頃はこういう引き換え無しの、太っ腹大盤振舞緩和都市計画をするようになったらしい。
 大盤振る舞いをすればするほど、災害リスクが高まることは、誰でもわかることだ。
 なにしろ、「災害」は人間が居るから起きることである。人間がいなければ、地が揺れようと火が吹こうと海が来ようと、災害ではないのである。
 災害は人間が創り出すものである。


・都市計画が災害を促進しているような

 太平洋戦争末期に、アメリカ空軍は日本全国の主要都市を空襲して焼き払った。山や田圃は空襲しなかったのは、それでは敵国に損害を与える規模が小さいからである。
 あのころは、まるで、いまの海から大地震がやってくるという恐怖を、空から火が降ってくる恐怖と言い換えると、時間を縮めた早回しのような災害頻発時代だった。
 だから、大都市は疎開をやった。建物疎開では都市の建物を壊して空間を開けること、人間疎開は子ども、老人、女性たちを都市から田舎に避難させた。
 そう、都市の空間も人口も密度を下げて、災害リスクを分散したのである。あのころのことが今の教訓になるとは、皮肉なものである。

 都市計画で容積率を高め、それに応じた建築が建つと、それだけ多くの人間が集まってくる。例えば、土地だけなら100人も集まれば満員の広さのところを、1240%もの建築を建てると1240人が入ることになる。つまり災害リスクも12倍余にもになる。
 特に鉄道駅では人は集まってくるし、そこにさらに超高密超高層建築を建てると、いったいどうなるのか、寒気がするほどだ。リスクを増大させている。
 人間を集めれば集めるほど、災害リスクは増加する。その建築内に防災施設をつくっても、量的にイタチゴッコだし、建築が壊れたら使いものにならない。とにかく横浜駅西口地区には、災害時に最も役立つ公園緑地が全くない。

 そのあたりの心配は、横浜市都市計画審議会の委員の方々は、お感じならないのであろうか。委員のおひとりが洪水対策の質問をなさっただけで、簡単に審議終了した。
 都市再生特区なんて言って、なんだか都市計画が災害を増加する仕掛けになっているような気がする。
 今や、太平洋戦争末期のように、建物も人も疎開させる時が来ているような気もする。人口減少時代になっているから、ちょうどよいとも思いますがねえ。
 どうでしょ、都市疎開特区っての作っては、、。

 と言いながら、これからもわたしは、あの駅を使い、駅前で呑んだりするだろうが、まあ、わたしは先が短いからどうでもよいのだ。若い人たちが気の毒である。
 でもまあ、こうやって、都市計画が建築の中に入り込んで法的規制をするんだから、横浜は安心な街ができるんでしょうね。そうか、横浜は事実上、許可制の建築制度になるんだな。

参照→993【横浜都計審傍聴5】横浜駅西口駅ビルはどんなエキサイトなデザインだろうか

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/09/02

993【横浜都計審傍聴5】横浜駅西口駅ビルはどんなエキサイトなデザインだろうか

 (前回からの続き)

 横浜駅西口には、シアルなる名前の駅ビルがあった。もともとは戦後に流行った国鉄民衆駅ビルであり、1962年にステーションビルとして建った。同じころに建った東京駅八重洲口の鉄道会館「東京駅大丸」(今はなくなった)と同じで、民間資本国鉄ビル方式である。
 それより前の西口には、木造の駅舎が建っていた。その頃の東口の堂々たる駅舎と比べての貧弱さは、なにしろ駅前が砂利置場と沼地ばかりだからしょうがない。


1947年ごろの横浜駅周辺地図

1962年横浜駅周辺地図
戦後の相鉄を中心とする西口地区開発は、まさに日本の高度成長を目に見るような進み方であり、東口地区との商業戦争も懐かしいほどの景気の良さであった。
 そして、どこもかしこも商業ばかりでにぎやかだが、公園や文化施設はほとんど見当たらない。駅前の物売りばかりの大型店、周囲には水商売・風俗系の店舗がひしめく。
 近くの文化らしいもは、東口のの百貨店客寄せ施設の「そごう美術館」くらいなものか。そう言えば、今のシェラトンホテルのところには、相鉄文化会館て言うのが建ていたなあ、映画がま文化だった頃のこと。

 かつては横浜都心と言えば関内・関外地区であったが、今では商業戦争に負けて落ちぶれた。だが、幕末からにしてもそこは旧家の旦那衆だから、零落しても何やかやと教養文化の場や雰囲気を持ち、西口にはない歴史をそなえている。
 それに比べて横浜駅西口地区は、戦後の成りあがりだから、埋立てで土地を生み出しては、不動産商売、物売り商売の街である。

 さて、その20世紀後半の高度成長に乗った開発が、21世紀になった今、時代遅れになったとて、作り直しの時期が来た。あの1964年オリンピックも西口にドライブをかけたようだが、2020年オリンピックもその再来だろうか。
 というわけで、西口駅ビルの再登場である。エキサイトなる掛け声に乗って、、あ、もしかしたら駅の側なのでエキサイか、、。

 最近の駅ビルと言えば、東京駅赤レンガ駅が有名である。昔の姿で出ています、とて、戦火で被災して戦後復興で修復していた駅舎を、戦前の姿にコピーして作り直した。大評判なエキサイト事件で、人々が絶えない。
 東京駅復原については、わたしは異論があるのだが、ここでは言わない。
 ちょっと前になったが、京都駅北口の駅ビルも大評判のエキサイト空間を登場させた。
京都駅の壮大なアトリウム
 大阪駅がつい最近、大変化を遂げて、これもエキサイトな空間を見せている。
では、われらが横浜駅西口駅ビルは、どんなエキサイトな空間を見せてくれるのだろうか。
 駅前広場側の姿は、東京駅のような華麗さは、、、ないなあ。ダダの硝子の箱の積み木じゃんかよ。やっぱりただのエキサイか。

地区整備計画にも、「建築物の1階から7階までの部分は、外壁面に透過性のある素材を用いる云々」とあるなあ。
 でもなあ、建築デザインをここまで地区計画で縛っていいのかなあ、設計変更したくなったら、都市計画変更手続きが要るんだよ、いいのかい。ま、提案者が自ら縛っているんだかららしょうがない。でも、それで良いデザインになるのか。
 どうせなら、昔々の2代目横浜停車場(1915~1923)のような華麗なる姿にでもしてくれると、東京駅に負けないのになあ。

 では内部の姿は、京都駅のような巨大アトリウムや巨大階段は、、、と、、東口の旧駅舎(1928年創建)にあったコンコースのような空間もあるといいなあ、。

あ、アトリウムと書いてあるなあ、どれどれ、京都駅に負けない空間なんだろうか、、う~む、、これじゃあなあ。
アトリウムってのは、普通は建築に囲まれている外部空間であり、そこにガラスの屋根をかけるもんだけど、これはただの4階吹抜けで上に床が乗っている、ふ~ん、、。
 そういや、地区計画にはひとこともアトリウムとは書いてなくて、吹抜けと書いて逃げてある。

 ほかにもいろいろ書きたいことはあるが、都市計画の話に戻す。
 この建築意匠やら吹き抜けやら、超高層部と高層部の区分や配置、地区施設等について、位置や姿や規模をここまで細かく都市計画で縛っていいものか、実務として気になる。
 このような複合大規模プロジェクトでは必ず起きる設計変更に、都市計画は対応できるのだろうか。
 都市計画変更まで及ばない設計の軽微な変更は、どの程度なのだろうか。

 とくにたくさんの地区施設を建物の中に設定しているが、これらは例えばテナント構成との関係、あるいは隣接プロジェクトや鉄道施設整備との関係で、変更は起きないのか。建築設計で困ることが起きそうだと、心配になる。
 変更したほうがよくなるのだけけど、都市計画変更手続きが面倒だからやらないってことになる。

 それとも、もうすでに設計は固まっていて、あとは工事するだけになっているのか。
 とすれば東京駅、京都駅なみの、エキサイトな駅ビルは望めそうもない。
 形態ばかりではない。機能的にも知的エキサイトの文化施設や緑の地上広場は見当たらない。横浜駅西口地区はいまもイケイケドンドン時代のままであるらしい。
 まあ、そういう景気の良い横浜に住んでいるのは、幸福なことなんだろうなあ。(つづく
横浜市制作の動画
参照→992【横浜都計審傍聴4】都市再生特別扱い提案はお手軽鵜呑み都市計画か

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin


2014/08/31

992【横浜都計審傍聴4】都市再生特別扱い提案はお手軽鵜呑み都市計画か

 (前回からの続き)横浜駅西口駅ビル計画の話を続ける。

・これでも都市計画なのか?
 
 この都市計画案の内容を、横浜市都市計画審議会の傍聴で知った時、都市再生特区は事業者提案だが、地区計画は市の独自計画だと思った。
 なぜそう思ったかと言えば、特区が超スポット的超容積率緩和だけの提案なので、いくら都市再生特別法による特別扱いといっても、それはあまりに虫が良すぎるから、横浜市としては地区計画でいろいろと規制やら社会貢献してもらうことにしたのであろう、ということである。

 ところが、地区計画を見ると、先にも書いたように、これがはたして都市計画なのか、という内容である。ほとんど建築計画説明書である。
 まわりの土地利用や都市基盤がどうであろうと、提案者が建てる建築敷地だけを対象にする地区計画なら、他の地権者の同意をとらなくてよいから、しごく簡単に違いない。
 そう、面倒だから周りには地区計画をもちかけなかったのだろう。
 でも、それは地区計画ではないでしょ、フツーは、あの横浜市がそんなことやるのか。ってことは、ここは、やっぱり、特別地区なんだな、、う~む。

 でも、どうもおかしいので、もういちど資料を読み返したら、なんと、地区計画も事業者提案であった。そうであったか、なるほど。そりゃもうお手軽にやりたいに決まってる。
 でもなあ、その提案を鵜呑み?にした横浜市って、これはいったいどうしたことか。都市計画行政の先端を行く横浜市にしては、いくら特別地区でも、これはおかしい。
 提案から6カ月以内に処理しなけりゃならないって、都市再生特措法にあるんだから、しょうがない、面倒なことしていられない、お手軽都市計画で行け、ってことにしたのかしら、。

 都市再生特別地区ってのは、そんなにも特別なんですか? 
 ねえ、都計審の委員さんたちよ、都市計画については何も審議しないで、建築計画の質問ばかりなさっていましたよね、たった3つだけど。
 都市再生特別法による都市再生特別地区内では、建築計画を地区計画で決めることになっていて、そういう提案があったら、横浜市は鵜呑みにするのかしら、どうも分らん。

・「エキサイトよこはま22」とはなんだ

 あ、わたしは、それがいけない、と言っているのではない。建築計画と都市計画がドッキングするのは結構なことであると、原則的には思う。
 でもなあ、そうやって敷地ごとに都市計画を決めると、都市計画っていったいなんなんだってことになるような気がする。このあと横浜駅西口地区の各建物敷地ごとに、特区と地区計画提案が出てきたらどうするのか。
 横浜市お得意の都市デザインはどうなるのか
 これに対してこういう答えが用意されているかもしれない。「エキサイトよこはま22」なる整備構想に準拠しますから、大丈夫です、と。

 しかし、地区計画の目標の記述に引用されている「エキサイトよこはま22」は、法定計画でもないし、地区計画ほどにも内容はツッコミがない。
 こういう計画がお得意の、きれいごとが並ぶお題目である。お題目がいけないのではなくて、これでは地区計画の目標ほどにも、法的規制が働かないのが問題なのである。
 ①都市計画マスタープラン→②エキサイトよこはま22→③都市再生特区→④地区計画(目標→方針→整備計画)の段階を踏んでいるつもりだろうが、その法的根拠のない漠然内容の②を引きあいにして、そこから、いきなり敷地に飛んでの③と④の都市計画提案は、都市計画を逸脱しているとしか思えない。
「エキサイトよこはま22」土地利用・空間形成概念図

・西口駅ビルのどこがエキサイトさせてくれるのか

 ところで、「エキサイトよこはま22」の「エキサイト」ってのはなんだろうか。
 駅のエキと、場所を言う英語siteと、英語exciteの、語呂合わせなんだろうなあ、たぶん。
 「みなとみらい21」を越えたくて、もう一世紀先の物まね命名をしたのか。

 しかし、siteとは「エキサイトよこはま22」が対象としているような広い地区を言うのではなくて、せいぜい敷地くらいの広さを言う。
 とすればこれは駅敷地構想ということか。そうか、横浜駅西口駅ビルの敷地を対象とする構想でるあるのか、、、だから特別地区も地区計画地区も敷地レベルなのか、、ヨクデキテイル。

 exciteってのは、他動詞で興奮させるって意味だから、ここではコーフンさせてくれるんだな。コーフンさせてくれるなにかを造ろうってことか。どこか品がないネーミングだよなあ。
 それは知的コーフンか、身体的コーフンか。

 西口駅ビル計画には、なにかコーフンさせてくれる機能があるのだろうか。地区計画という建築計画説明書を読んでも、文化施設はないから知的コーフンはなさそうだ。
 そのいっぽうで、肉体的にもコーフンしそうなものもない。なにしろ風俗営業禁止建築だからなあ、、。

 その点、駅ビル付属の駐車場計画地の周りには、風俗系も飲み屋系もあれこれたくさんあるから、肉体コーフンさせてくれるよなあ。こちらが「エキサイトよこはま22」のコーフン拠点になるのかしら。
鶴屋町地区には肉体的コーフン施設があるなあ、エキサイトさせられるよ
とにかく横浜駅西口地区には、知的コーフンを起させるエキサイト拠点は今も計画にも見当たらないのは、どういうわけか。
 差別表現を承知で書くが、なにしろ出自が砂利と燃料置き場の荒れ地の、なにもコーフンのないところだったせいだろうか。いやまてよ、貯蔵燃料が燃えて大火事になり、市民をコーフンさせた事件が、昔々あったそうだなあ。

 さて、そうやって都市計画まで引き出して決めた駅ビルは、さぞやコーフンさせてくれる素晴らしいデザインであろうと、完成予想図を見ると、これが、、、。(つづく)

参照→991【横浜都計審傍聴3】http://datey.blogspot.jp/2014/08/991_30.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/08/30

991・【横浜都計審傍聴3】この地区計画は都市計画じゃなくて横浜駅ビル建築計画だよ

前回からのつづき)

・地区計画による建築内容規制

 横浜駅西口駅ビル計画について、JR東日本と東急は、計画都市再生特別措置法に基づく都市再生事業として、建設をしようとしている。
 そのために、都市計画の都市再生特別地区(手続き上は変更だが事実上は新設)と地区計画を提案した。そして今回の横浜都計審には、この二つの都市計画が議題に出されていた。

 ところが、この地区計画は、わたしが知っているこれまでの例と比べて、地区の範囲も内容も、異例の決め方であるとしか思えない。
 これが都市計画のひとつである地区計画なのだろうか、とさえ思う。
 地区計画は、用途地域等による規制では不十分な都市計画を、その地区にふさわしいないように規制するものであり、指定の範囲は街区を単位とする。
 つまり道路で囲まれている区域を、一体的に有るべき環境に誘導するものである。建築のひとつひとつを敷地ごとに規制するものではない。だからミクロの都市計画である。

 それなのに、この地区計画の土地の範囲は、横浜駅西口駅ビルの商業建築敷地、それに付属する200mも離れた鶴屋町駐車ビル敷地、その二つの敷地を結ぶ紐のような鉄道線路跡地の敷地、これら3敷地を計画の範囲にしている。それらの敷地を含む「街区」ではないのである。
 だから地区計画の範囲が、これまで他では見たことがないような、南北両端にこぶがある奇妙な細長い形であるし、あちこちに虫食いがある。
北から見る南へ細長い駐車場用地と鉄道線路跡地
地区計画範囲
駅ビル敷地(A地区)は、同じ街区の中で隣の敷地の相鉄ジョイナスや高島屋の建て替えがあるはずなのに、地区計画の方針区域にも入れていない。
 モアーズやその北の三角街区との間は、細い街路で歩道もないのに、建築セットバックするだけで地区施設として街路拡幅する気配もない。(下図)
右が駅ビル敷地 狭い前面道路だが地区施設として街路拡幅しないらしい
鶴屋町の駐車場ビルの敷地のある街区には、他に多くの建物があるし、この街区の西の道路は6m程度で歩道もない。なのにそれらを除外している。
 この街区周辺は、都市整備が必要な土地利用や都市基盤の状態である。それらについては、地区計画方針地区にも入れていない。ただただ駐車場用地のみである。
 要するにこれは地区計画ではなくて、駐車場敷地建築計画なのである。これが都市計画か。

 とにかく、このような建築敷地だけを対象にした地区計画、つまり敷地の都市計画には、初めてお目にかかった。
 なぜこういう都市計画になったのだろうかと考えているのだが、都市計画審議会の委員たちは、どなたも疑問に思わなかったのだろうか。その審議の無作為はどこから出ているのか。

・地区施設で建築動線を手とり足とり決める

 地区計画の区域ばかりでなく、その内容も建築計画そのものである。
 一般的に地区計画の方針は、もっとざっくりとした書き方をするものだが、ここでは事細かに建築の使い方を書いてあり、地区整備計画ではさらにそれが詳細になる。
 地区施設はほとんどが建築の屋内空間にあるから、建築動線計画を文章と概略図にしたようなものである。
地区施設位置図(都計審資料より)


地区計画(案)はこちら http://goo.gl/ieHUzQ
それらは、これほどの大きな駅の駅ビル建築計画をするなら、常識的に考えて当たり前に整備しなければならないものばかりである。都市計画の地区施設であろうとなかろうと、そうしないとここのように多くの人が利用する駅ビルとして機能しない。
 そのほかの用途制限も、工場や風俗系規制だから当然のこと、意匠についても社会責任のある大手の鉄道事業者なら、都市計画で言われなくても当然に守るべきこと、というより、まさか、やりそうもないことばかりである。

 一般には、地区計画区域内に複数の地権者がいて、それらに権利移動が起きると、それぞれの敷地で起きる建築行為を、任意の規定では守られないおそれがあるから法的規制をするのだ。
 ここのように、特定の事業のために、ここまで親切?に決めるのは、どうしてか。これが都市計画なのか。
 現役から遠ざかっているうちに、都市計画は建築計画と融合をしているのであったか。それはそれでよいことだが、、。
  
 都市計画行政の先端にいる筈の横浜市が、このような不思議な都市計画をするのが、不思議である。横浜市では、建築行政と都市計画行政は一体になったのか。都計審の委員は誰も、これを不思議に思わないのが不思議である。
 どうしてこういうことになるのか、ちょっと、このあたりのことを考えてみたい。都市再生特別措置法に問題があるのかもしれない。また、つづきを書く。 (つづく)
 
参照→990【横浜都計審傍聴2】http://datey.blogspot.jp/2014/08/990.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/08/29

990・【横浜都計審傍聴2】横浜駅西口ビル計画の容積率大幅緩和はどうやってひねり出したのか

前回からの続きhttp://datey.blogspot.jp/2014/08/989.html

・巨大駅ビル計画登場

 JR横浜駅をわたしが使い出したのは、1970年くらいからだったろうか、それから現在まで、いつもいつも工事をし続けている。その中には駅西口にあるホテルや駅ビルの工事もあった。
1960年頃の横浜駅西口駅前風景
今、それらが取り壊されて、東急線が地下に潜る工事がやっと終わったと思ったら、またもや工事である。それらの跡地に巨大ビルの計画が登場した。JR東日本が事業者となる「横浜駅西口駅ビル計画」である。https://www.jreast.co.jp/press/2013/20140302.pdf

 新しい駅ビルができることには、わたしも歓迎するのだが、これを都市計画の変更を伴う計画とするには、いくつかの疑問点がある。もちろん、この疑問は先日の都計審傍聴において配布された資料のみによるのであって、それ以上の情報は知らないから、的外れかもしれないがが、市民はこれ以上は知りようがないのである。
 この駅ビル棟及び付属駐車場棟の二つの建築とそれらを結ぶデッキ歩廊という3つの建築物について、3つの都市計画を定めるのである。

 3つの都市計画とは、第1には都市再生特区による規模と外形の決定、第2には地区計画による用途と地区施設等の決定、第3には建築物建て替えに関連して生じる地下特殊通路の変更追加決定である。
 これらの中で最もドラスティックな都市計画決定は、第1の都市再生特区による、容積率の変更である。現行都市計画による基準容積率は800%であるが、この特別地区指定によって124%に上昇する。なんと440%も容積ボーナスが出るのである。
 こうして横浜る駅西口には、天理ビル(1973年、27階建て、延面積38000㎡、高さ102m、容積率1040%、特定街区)、相鉄ビル(2008年、28階建て、延べ面積69000㎡、高さ115m、容積率1100%、特定街区)につづく第3の最も巨大建築(26階建て、延面積94000㎡、高さ130m)が登場することになった。
 3つの都市計画の内、この都市再生特区について、先ず疑問点を書く。

現行の都市計画で容積率は800%、それが都市再生特区で1240%に!

・都市再生特区の容積率大緩和はどう判断して決めたのか

 都市計画は、文字通り都市を計画するのである。建築とその敷地のひとつひとつについて規定するものではない。少なくとも複数の街区や公共施設を対象にする。
 ところが、この駅ビル計画では、その敷地だけをとりあげて容積率を5割増し以上にしている。いわゆるスポット都市計画である。これが街区ではなくて、街区の中の一部敷地であることに注視する必要がある。西口地区の2つの著いう高層ビルはどちらも特定街区であった。
 街区の中の一部敷地でも容積割増ができるのは、普通では考えられないので、たぶん、都市再生特別措置法なるバブルパンク後の不良債権解消と景気浮上のために、2002年に作った特別法を使うからだろう。
 この法律による都市再生事業を行いたいからと、土地をもっているJR東日本と東急の鉄道2社が、横浜市に都市計画で都市再生特区を決めて、容積率割り増しをしてほしいと提案をした。
 それを受けた横浜市は、その提案の通りに都市計画審議会に諮問したらしい。
 そんな、おれんちの土地だけ容積率をアップしてちょうだい』、なんて提案が通るものなんだと、驚く。しかも、なにか社会貢献の良いことをするから、ボーナスちょうだい、ではなくて、なんにもしないけどボーナスだけちょうだいって、提案である。
 それも100%増しとかじゃなくて、440%増しだからもっと驚く。
 西口地区に建った二つの特定街区建築は、それぞれ1040%と1100%だから、この駅ビル計画の大盤振る舞い要求ぶりがスゴイ。
 
 どこをどうすれば、そのような巨大ボーナスを民間事業者が獲得できるのだろうか。
 都市再生特区の指定については、一律の基準にによることなく、一件ごとに審査して定めるとされているから、これもそうしたのだろう。そして、提案されたそのまま鵜呑みにして決めた、ってことでは、まさか、あるまい。
 だとすれば、都市計画審議会は、なぜこの容積率巨大ボーナスを与えるのかを、きちんと審議することが必要だろう。しかるに、なにも質問もなく、もちろん意見もなかった。委員は理解しているのだろうか。
 若干言い過ぎを承知で書くが、この民間事業者への特定利益供与のようにも思える。だって、JR東は居ながらにして、その所有地の利用価値が5割以上も上昇したのである。どんな公共的公益的な貢献があるのだろうか。

・この後に出てく建て替えでも敷地ごとに大緩和するのか

 横浜駅西口地区では、相鉄ジョイナスや高島屋の建て替えが報道されているから、そのほかの多くの老朽ビルも、次々と建替えするかもしれない。
 そのとき、うちの敷地も800%を1240%に緩和してくれと、それぞれから都市再生特区提案が出てくるだろう。
 公平を期するとして、駅前広場に面する建築はもちろん、西口地区一帯では提案が出るごとにひとつひとつ、どこの敷地でも都市再生特区にして1240%に緩和するのだろうか。
 あのあたりの昔の都市計画による貧弱な都市基盤が、それに耐えられるのだろうか。景観はどうなるんだろう。

 このあたりの疑問を、都計審には審議してほしかったのである。
 委員の方々はなにも質疑されなかったのは、なにか私の知らない事情をご存じだったのでしょうねえ、教えてくださいな。
 敷地ごとに都市計画を決めていては、これはもう都市計画を逸脱している。
 だから同時に決める地区計画で、そのあたりをうまく補完しているのかと思ったら、これも疑問だらけであるので、次回からそれを書く。 (つづく)

参照→989・【横浜都計審傍聴1】
http://datey.blogspot.jp/2014/08/989.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版) ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin