震災関連用語で前からわからないやつがいっぱいある。せんだっては除染と電源喪失がわからんと書いたが、今日も新聞にある「がれき」がわからん。
東日本大震災で大量に発生したがれきの広域処理について、全国知事会(会長、山田啓二・京都府知事)は6日、がれきやその焼却灰の一時保管費用は国が負担することなどを求めた要望書を環境省に提出した。(産経新聞 1月6日(金)12時34分配信)
「がれきやその焼却灰」とあるのだが、がれきって瓦礫のことでしょ、瓦と石ころだよ、これを焼いても灰になるはずがないだろう。
燃えるのなら、こんどうちの庭の石ころを紙くずと一緒に燃えるゴミの袋に入れて、持っていってもらおうっと。
まちがってるよ、新聞屋さんよ。それを言うなら大型ゴミとか廃物とかでしょうに。
携帯電話機がケータイになるように、いっそのこと瓦礫もがれきとせずにガレーキといってはいかが。
2012/01/06
2012/01/04
565高梁:盆地の山並み風景
●山あての風景
盆地は周りが山だから、街に中のどこからも山が見える。外の通りからでも家の庭からでも、向こうに必ず緑の山があり、それが背景となって風景を作っている。
高梁盆地にJR伯備線で高梁川をさかのぼって南から入ると、向こうに見えるのが臥牛山である。ああ、高梁だとこれではっきりと認識する。それは舟で海に出ている漁師が、自分の港に戻るときに陸にある山を目印にする「山あて」とおなじである。
高梁に暮らして毎日見ていると何ということもないだろう。だが、久しぶりに故郷を訪ねて、駅前から稲荷山が、駅の向こうにお城山が、街の通りの向こうに高倉山が、小路の向こうに八幡山が、方谷橋のアーチの向こうに方谷林が、その反対からは御前神社のある秋葉山が、それぞれに特徴を持って見える。どれもこれもなるほどなるほどと、独りでうなづきたくなる。
だからわたしはハイデルベルクで、同じような山あて風景に出会って、懐かしい風景であることを再認識したのであった。 もちろんそれだけではなく、方谷林から見下ろすように、ハイデルベルクの哲学の道から見下ろし、あまりの類似に驚いたのだ。
●つづきの全文は→高梁:盆地の山並み風景
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/takahasi-yamanami
●関連→ふるさと高梁論集やあれこれ
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#takahasi
盆地は周りが山だから、街に中のどこからも山が見える。外の通りからでも家の庭からでも、向こうに必ず緑の山があり、それが背景となって風景を作っている。
高梁盆地にJR伯備線で高梁川をさかのぼって南から入ると、向こうに見えるのが臥牛山である。ああ、高梁だとこれではっきりと認識する。それは舟で海に出ている漁師が、自分の港に戻るときに陸にある山を目印にする「山あて」とおなじである。

だからわたしはハイデルベルクで、同じような山あて風景に出会って、懐かしい風景であることを再認識したのであった。 もちろんそれだけではなく、方谷林から見下ろすように、ハイデルベルクの哲学の道から見下ろし、あまりの類似に驚いたのだ。
●つづきの全文は→高梁:盆地の山並み風景
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/takahasi-yamanami
●関連→ふるさと高梁論集やあれこれ
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#takahasi
2012/01/02
564箱根駅伝と日本近代化遺産群
珍しくTV放送を見た。箱根駅伝である。
最後の山登りに東洋大のこの3年間の名物男が出るところだけを観るつもりである。
ところが今年はトップで襷を受けとって走り出したから、とたんに興味を失った。
さて、箱根駅伝の山登りを毎年観る重要な目的は、実は別にあるのだ。
箱根湯本の手前に「東京電力山崎発電所」、湯本を過ぎて「早川取水堰」、どちらもまだ健在かどうかTVで確認するのである。
どちらも山口文象の設計で、1936年に竣工したものである。今年は発電所は見逃したが、取水堰は健在であった。
これらは日本の近代化時代にできた遺産である。土木学会が近代化遺産として認定している。
箱根にはこのほか、旭橋、千歳橋、函嶺洞門、富士屋ホテル、箱根登山鉄道など、多くの近代化遺産に認定や文化財登録した建造物があり、駅伝のルートで見つける楽しみがある。
早川取水堰を観てTVを消した。競技の行方は知らない。
なお、あのうるさいばかりか、こちらが恥ずかしくなるクサイ文句を平気でしゃべる音声を消して、ただ画面だけ見たのであった。
●参照→山口文象のモダニズム建築 作品新発見か
http://homepage2.nifty.com/datey/bunzo/1936yamazaki.htm
●参照→079箱根駅伝TV無神経CM
http://datey.blogspot.com/2009/01/blog-post_02.html
最後の山登りに東洋大のこの3年間の名物男が出るところだけを観るつもりである。
ところが今年はトップで襷を受けとって走り出したから、とたんに興味を失った。
さて、箱根駅伝の山登りを毎年観る重要な目的は、実は別にあるのだ。
箱根湯本の手前に「東京電力山崎発電所」、湯本を過ぎて「早川取水堰」、どちらもまだ健在かどうかTVで確認するのである。
どちらも山口文象の設計で、1936年に竣工したものである。今年は発電所は見逃したが、取水堰は健在であった。
これらは日本の近代化時代にできた遺産である。土木学会が近代化遺産として認定している。
箱根にはこのほか、旭橋、千歳橋、函嶺洞門、富士屋ホテル、箱根登山鉄道など、多くの近代化遺産に認定や文化財登録した建造物があり、駅伝のルートで見つける楽しみがある。
早川取水堰を観てTVを消した。競技の行方は知らない。
なお、あのうるさいばかりか、こちらが恥ずかしくなるクサイ文句を平気でしゃべる音声を消して、ただ画面だけ見たのであった。
●参照→山口文象のモダニズム建築 作品新発見か
http://homepage2.nifty.com/datey/bunzo/1936yamazaki.htm
●参照→079箱根駅伝TV無神経CM
http://datey.blogspot.com/2009/01/blog-post_02.html
2012/01/01
563フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」
めったに縁がないのに、2年連続で賞なるものをいただいた。
フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」
第16回彩の国ホームページコンテスト2011シニアの部最優秀賞
(主催:埼玉県情報サービス産業協会)
昨年も「風景を愉しむ」を応募してシニアの部優秀賞だった。
シニアの部に限るのが悔しいが、少しは上達したってことらしい。
あ、まさか年寄り応募者がわたし一人だけだったってことじゃないだろうなあ。
2011年3月~4月の「ネパール400kmバスの旅」の一部を応募用に編集したのである。
追記2012年1月19日 本日表彰式あり、聞けばシニアの部応募は3点のみ。それに優秀賞は該当作なしとある。冗談抜きにこりゃ入賞率が高いなあ。シニア資格は60歳以上だから、もっといてもおかしくないのに不思議である。
応募総数は108点、入賞は13点だった。わたしのほかは全員埼玉県内の人、しかも幸手中学校2年生の女生徒がそのうち5点を占めている。それはよいのだが、ほかの中学校はどうして応募しないのか。
16回目というのにまだ全国的な広がりを持っていないのか。インタネットという無境界性の代物なのに、地域限定的になっているはどういうわけだろうか。
孫のような入賞者ばかりの中で、そう思った。
フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」
第16回彩の国ホームページコンテスト2011シニアの部最優秀賞
(主催:埼玉県情報サービス産業協会)
昨年も「風景を愉しむ」を応募してシニアの部優秀賞だった。
シニアの部に限るのが悔しいが、少しは上達したってことらしい。
あ、まさか年寄り応募者がわたし一人だけだったってことじゃないだろうなあ。
2011年3月~4月の「ネパール400kmバスの旅」の一部を応募用に編集したのである。
追記2012年1月19日 本日表彰式あり、聞けばシニアの部応募は3点のみ。それに優秀賞は該当作なしとある。冗談抜きにこりゃ入賞率が高いなあ。シニア資格は60歳以上だから、もっといてもおかしくないのに不思議である。
応募総数は108点、入賞は13点だった。わたしのほかは全員埼玉県内の人、しかも幸手中学校2年生の女生徒がそのうち5点を占めている。それはよいのだが、ほかの中学校はどうして応募しないのか。
16回目というのにまだ全国的な広がりを持っていないのか。インタネットという無境界性の代物なのに、地域限定的になっているはどういうわけだろうか。
孫のような入賞者ばかりの中で、そう思った。
2011/12/31
562余はこともなし
本当は、世はこともなし、というのだが、世にはことがあり過ぎるし、余にはことがなさ過ぎるのである。
一日が夜昼あって、間に睡眠という動物的行為があるから、これは明らかに変化の節目がある。
しかし、一年が終わるといっても、突然老化が進むという時間が飛ぶわけじゃなし、起きてみたら別の世界にいるって環境が変わるじゃなし、この日から正しく生きようなんて心が変わるじゃなし、何の変化の節目もない。
それなのに人々は騒ぐのはどうしてか、昔から不思議におもっている。
わたしは、わざわざことをつくるべき理由がないから、普通なる時間をすごすだけである。
年賀状も書かなくなった。その代わりに寒中見舞いを書くのだが、これは寒さという季節の節目があるからだし、寒いと人間は能力が衰えて病になるから見舞うのは妥当なる行為である。
明日の朝は、いつもの元日のように雑煮を食うのは、生まれてからの習慣であり、これだけがわたしの唯一の正月らしいことである。
なお、わたしは服喪という習慣が理解できないので、わたしの父母のときも普通にしていたし、人様のそれもほとんど気にしないので、ますます正月気分はない。
そんなショウモナイことを言って年を越すことができるのは、これをもって平和であるというなら、余はこともなし。
一日が夜昼あって、間に睡眠という動物的行為があるから、これは明らかに変化の節目がある。
しかし、一年が終わるといっても、突然老化が進むという時間が飛ぶわけじゃなし、起きてみたら別の世界にいるって環境が変わるじゃなし、この日から正しく生きようなんて心が変わるじゃなし、何の変化の節目もない。
それなのに人々は騒ぐのはどうしてか、昔から不思議におもっている。
わたしは、わざわざことをつくるべき理由がないから、普通なる時間をすごすだけである。
年賀状も書かなくなった。その代わりに寒中見舞いを書くのだが、これは寒さという季節の節目があるからだし、寒いと人間は能力が衰えて病になるから見舞うのは妥当なる行為である。
明日の朝は、いつもの元日のように雑煮を食うのは、生まれてからの習慣であり、これだけがわたしの唯一の正月らしいことである。
なお、わたしは服喪という習慣が理解できないので、わたしの父母のときも普通にしていたし、人様のそれもほとんど気にしないので、ますます正月気分はない。
そんなショウモナイことを言って年を越すことができるのは、これをもって平和であるというなら、余はこともなし。
2011/12/30
561大学卒業50年記念品
先月のことだが、大学同窓会から、大判の本ほどの箱が送られてきた。
あけてみると、大学本館を描いた風景画を焼きつけたA4版ほどの大きさの陶板である。
そうか、これは、食卓で使う鍋敷きであるな、寒くなって鍋物の季節を狙って送ってくださるとは、なかなか気が利いていると、ありがたくちょうだいした。
陶板のほかに木製の架台のようなものもついている。
あ、そうか、鍋の下に敷いてないときは、これに載せて食卓を飾るのであるか。ふむ、飾りにもなる鍋敷きであるのか、それも気が利いている。
送り状に、卒業50年の記念品であり、有名な(らしい)画家が描いたもので、なかなか良いものであると自負していると、同窓会長が書いていらっしゃる。
というわけで、同期の友人たちにメールで話題にしたら、いろいろ返事が来た。
500年くらい経てば価値が出るからとっておくかとか、半世紀前の頃の風習のレベルを思い出させるとか、もう歳が歳だから無駄なものをなくす身辺整理中なのにこりゃ困ったとか、陶磁器趣味のヤツからはこんな代物をどうすんだよとか、なかなかの評判であるのが面白い。
ひとつわかったことは、どうも勘違いしていたらしい。これは鍋敷きではなくて、純粋に部屋を飾る陶板画であるらしいのだ。でも鍋敷きにしてもいいでしょ。
あけてみると、大学本館を描いた風景画を焼きつけたA4版ほどの大きさの陶板である。
そうか、これは、食卓で使う鍋敷きであるな、寒くなって鍋物の季節を狙って送ってくださるとは、なかなか気が利いていると、ありがたくちょうだいした。
陶板のほかに木製の架台のようなものもついている。
あ、そうか、鍋の下に敷いてないときは、これに載せて食卓を飾るのであるか。ふむ、飾りにもなる鍋敷きであるのか、それも気が利いている。
送り状に、卒業50年の記念品であり、有名な(らしい)画家が描いたもので、なかなか良いものであると自負していると、同窓会長が書いていらっしゃる。
というわけで、同期の友人たちにメールで話題にしたら、いろいろ返事が来た。
500年くらい経てば価値が出るからとっておくかとか、半世紀前の頃の風習のレベルを思い出させるとか、もう歳が歳だから無駄なものをなくす身辺整理中なのにこりゃ困ったとか、陶磁器趣味のヤツからはこんな代物をどうすんだよとか、なかなかの評判であるのが面白い。
ひとつわかったことは、どうも勘違いしていたらしい。これは鍋敷きではなくて、純粋に部屋を飾る陶板画であるらしいのだ。でも鍋敷きにしてもいいでしょ。
2011/12/28
560核毒の森つくりが始まる
福島第1原発から出た核毒汚染物を、まとめて集めておく場所を決める手続きがようやく始まろうとしてきた。
除染除染といってもしょせんは滅染ではないので、移動して集めるだけ、だからだんだんと毒が濃くなってくるばかりである。
それら毒物質をあちこちに集めて置くわけにはいかない、どこかにまとめて集めて、毒が消えるまでおいておくしかないってことは、誰でも知っていることだ。
そして、その場所をどこにするかについても、ほぼ誰もが予想していることである。発生源の原発あたりに決まっている。
ただ、誰もそれを言えないだけだ。いつまでも言わない、決めないってわけにはいかない。
ようやくそれが動き出したらしい、
細野環境相は28日、福島県の佐藤雄平知事や同県双葉郡の8町村長らと面会し、東京電力福島第一原子力発電所事故で放射性物質に汚染された同県内の土壌などを保管する中間貯蔵施設について、同郡内に国が建設することを正式に要請した。
知事は受け入れに向けて地元の意向を尊重する姿勢を示した。町村長らが受け入れれば、今後、国は地元と建設場所を選定する。(中略)
細野環境相は施設は1か所とし、同郡内に建設する理由に、▽推定の年間被曝(ひばく)線量が100ミリ・シーベルト超で除染を進めても住民の帰還が極めて困難な地域がある▽高線量で除染による大量の汚染土などが出る地域に近い――ことなどを挙げた。
環境省が10月に示した工程表では、2013年度内に施設の基本設計や用地取得を終え、15年1月をめどに汚染土壌などの搬入を始める。
(2011年12月28日14時01分 読売新聞)
どうもよくわからないことは、どうして当事者の東電が行かないのだろうか、ということだ。
これでは事故は政府のせいになってしまっているが、それはおかしい。せめて社長が細野環境相とともに行動して、地域に対応するべきとおもう。
原子力発電は国策だから後始末は政府がすべてやるんだというなら、これから以後、電気代はすべて税金にしてしまって、東電には収めません。
この事故のために使っている税金からの支出は、東京電力が後で全部返してくれるんでしょうね。東電のためにわたしの税金を使うことは大反対です。
参照→核毒の森と海
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods
除染除染といってもしょせんは滅染ではないので、移動して集めるだけ、だからだんだんと毒が濃くなってくるばかりである。
それら毒物質をあちこちに集めて置くわけにはいかない、どこかにまとめて集めて、毒が消えるまでおいておくしかないってことは、誰でも知っていることだ。
そして、その場所をどこにするかについても、ほぼ誰もが予想していることである。発生源の原発あたりに決まっている。
ただ、誰もそれを言えないだけだ。いつまでも言わない、決めないってわけにはいかない。
ようやくそれが動き出したらしい、
細野環境相は28日、福島県の佐藤雄平知事や同県双葉郡の8町村長らと面会し、東京電力福島第一原子力発電所事故で放射性物質に汚染された同県内の土壌などを保管する中間貯蔵施設について、同郡内に国が建設することを正式に要請した。
知事は受け入れに向けて地元の意向を尊重する姿勢を示した。町村長らが受け入れれば、今後、国は地元と建設場所を選定する。(中略)
細野環境相は施設は1か所とし、同郡内に建設する理由に、▽推定の年間被曝(ひばく)線量が100ミリ・シーベルト超で除染を進めても住民の帰還が極めて困難な地域がある▽高線量で除染による大量の汚染土などが出る地域に近い――ことなどを挙げた。
環境省が10月に示した工程表では、2013年度内に施設の基本設計や用地取得を終え、15年1月をめどに汚染土壌などの搬入を始める。
(2011年12月28日14時01分 読売新聞)
どうもよくわからないことは、どうして当事者の東電が行かないのだろうか、ということだ。
これでは事故は政府のせいになってしまっているが、それはおかしい。せめて社長が細野環境相とともに行動して、地域に対応するべきとおもう。
原子力発電は国策だから後始末は政府がすべてやるんだというなら、これから以後、電気代はすべて税金にしてしまって、東電には収めません。
この事故のために使っている税金からの支出は、東京電力が後で全部返してくれるんでしょうね。東電のためにわたしの税金を使うことは大反対です。
参照→核毒の森と海
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods
2011/12/27
559核毒マッチポンプ事業
東芝という会社が、福島原発事故で核毒に汚染された土や水を除毒(除染ともいうらしい)する事業で、一儲けしようと乗り出すとのニュースがある。
asahi.com(2011年12月26日)にこうある。
放射性物質で汚染された土や水をきれいにする新装置を東芝が開発、26日に公開した。コンテナに積んで移動させることもできる。今後は東北や関東などの自治体向けに「出張除染サービス」を売り込む予定だ。除染サービスの費用は1日数百万円を想定している。(以下略)
http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY201112260524.html?ref=any
たしか、東芝って会社は原子力の事業をやっているよなあ、事故を起こした福島第1原発にも絡んでいるのかどうかしらないが、これって典型的なマッチポンプだよな~。
常識的には、無料でやるべきことである。はずかしくないのかしら。
次は東電などの電力会社が核毒除去事業(除染事業ともいう)を始めるだろうなあ。
なんでも、原子炉には製造者責任がないのだって読んだことがある。だから福島原発事故にメーカーは表に出てこない。
原子炉作って儲け、事故で儲ける、これじゃあ事故がある原子炉を作るのがあたりまえだよな。
asahi.com(2011年12月26日)にこうある。
放射性物質で汚染された土や水をきれいにする新装置を東芝が開発、26日に公開した。コンテナに積んで移動させることもできる。今後は東北や関東などの自治体向けに「出張除染サービス」を売り込む予定だ。除染サービスの費用は1日数百万円を想定している。(以下略)
http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY201112260524.html?ref=any
たしか、東芝って会社は原子力の事業をやっているよなあ、事故を起こした福島第1原発にも絡んでいるのかどうかしらないが、これって典型的なマッチポンプだよな~。
常識的には、無料でやるべきことである。はずかしくないのかしら。
次は東電などの電力会社が核毒除去事業(除染事業ともいう)を始めるだろうなあ。
なんでも、原子炉には製造者責任がないのだって読んだことがある。だから福島原発事故にメーカーは表に出てこない。
原子炉作って儲け、事故で儲ける、これじゃあ事故がある原子炉を作るのがあたりまえだよな。
2011/12/24
558東京冬枯れ風景とコンサート
青山から護国寺まで、寒風吹く冬枯れ東京を歩いた。
直線だと約5kmだが、表通りは嫌いだから曲がりくねった裏道ばかり歩くし、東京は結構坂が多くてよたよたするし、うろうろと道草を食うし、実際は6km余か、2時間かかった。
うろうろの途中の風景ふたつ。
ひとつは鉛筆ビルと超高層。左のビルは鉛筆ビルのようだが、実は俎板ビル(煎餅ビルとでもいうか)。
多分、右の道ができたときに昔からの左の道との間にできた狭く長い敷地に建てたのだろう。
東京や横浜にはこんな俎板ビルやら三角ビルがちょくちょくある。
もうひとつは東京カテドラル。丹下健三の1960年代代々木体育館と並ぶ傑作。
本体のHP曲線を描く意匠はすばらしいが、その足元のいろいろはどうもボキャブラリーが貧しい。
直線だと約5kmだが、表通りは嫌いだから曲がりくねった裏道ばかり歩くし、東京は結構坂が多くてよたよたするし、うろうろと道草を食うし、実際は6km余か、2時間かかった。
うろうろの途中の風景ふたつ。
ひとつは鉛筆ビルと超高層。左のビルは鉛筆ビルのようだが、実は俎板ビル(煎餅ビルとでもいうか)。
多分、右の道ができたときに昔からの左の道との間にできた狭く長い敷地に建てたのだろう。
東京や横浜にはこんな俎板ビルやら三角ビルがちょくちょくある。
もうひとつは東京カテドラル。丹下健三の1960年代代々木体育館と並ぶ傑作。
本体のHP曲線を描く意匠はすばらしいが、その足元のいろいろはどうもボキャブラリーが貧しい。
信仰のないわたしには奇妙でおかしいのは、敷地の一角に何やら泥臭い洞窟とマリア像である。ヨーロッパの田舎にでもありそうな原始マリア信仰の場のコピーだろうか。
この教会の北隣町あたりにある小さな教会で、知人たちのソプラノとピアノのコンサートを楽しみ、仕事仲間だった人たちにも久しぶりに出会って、帰りに一緒に学芸大学で途中下車、焼き鳥屋で久しぶりの宴会はやっぱり良いものだ。
2011/12/21
557紅白歌合戦がわからん
年末恒例のTV番組「NHK紅白歌合戦」なるものがあるってことくらいは知っている。
今日の新聞に歌手と歌の一覧が載っている。
で、見たら、歌手の顔とその歌のメロディーがセットでわかったのは、たったひとつだけ、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」であった。
大昔はこの番組を見た記憶があるが、トンとご無沙汰だし、もともと歌謡番組を見ないし、そもそもTVを見ないのだから、知らないのが当たりまえ。
顔だけ、歌だけを思い出せるような気がするのは、和田アキ子、北島三郎、「北国の春」、西田敏行(この人は歌手じゃなくて映画俳優として見たことがある)、森進一であった。
なんとなく目と耳に入ったことのある歌手と歌が、52組のうちで、たったこれだけ。
それにしても「紅白」といい、「歌合戦」といい、懐かしい言葉である。
いや、内容じゃなくて、女と男を「紅白」に分けるとか、バトルを「合戦」という言葉が、なんだかもう死語のようで懐かしいのである。
あ、そうか、歌を知らないってのは、カラオケ嫌いだからだな。
カラオケをやったことがないのではない。昔々ちゃんと仕事していた頃、営業カラオケをやったことがある。あれって馬鹿らしくてやっていられない。
そういえば、営業ゴルフもやったことがある。なんの練習もなくてコースに2回出たが、1回目にドライブコンテストをとって、こんな易しい遊びは馬鹿らしくてやっていられないって、以後やっていない。
●参照→「ゴルフは易しい」
TV見なくてカラオケやらないでゴルフもやらない、これって時代遅れか、ならば、時代遅れでもいいや!。
そうだ、カラオケに「一調」とか「一管」があるならやってみてもよいぞ、でも、わが能力で謡えるかなあ。
まあ、あるわけないよなあ、需要が少なすぎて。
今日の新聞に歌手と歌の一覧が載っている。
で、見たら、歌手の顔とその歌のメロディーがセットでわかったのは、たったひとつだけ、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」であった。
大昔はこの番組を見た記憶があるが、トンとご無沙汰だし、もともと歌謡番組を見ないし、そもそもTVを見ないのだから、知らないのが当たりまえ。
顔だけ、歌だけを思い出せるような気がするのは、和田アキ子、北島三郎、「北国の春」、西田敏行(この人は歌手じゃなくて映画俳優として見たことがある)、森進一であった。
なんとなく目と耳に入ったことのある歌手と歌が、52組のうちで、たったこれだけ。
それにしても「紅白」といい、「歌合戦」といい、懐かしい言葉である。
いや、内容じゃなくて、女と男を「紅白」に分けるとか、バトルを「合戦」という言葉が、なんだかもう死語のようで懐かしいのである。
あ、そうか、歌を知らないってのは、カラオケ嫌いだからだな。
カラオケをやったことがないのではない。昔々ちゃんと仕事していた頃、営業カラオケをやったことがある。あれって馬鹿らしくてやっていられない。
そういえば、営業ゴルフもやったことがある。なんの練習もなくてコースに2回出たが、1回目にドライブコンテストをとって、こんな易しい遊びは馬鹿らしくてやっていられないって、以後やっていない。
●参照→「ゴルフは易しい」
TV見なくてカラオケやらないでゴルフもやらない、これって時代遅れか、ならば、時代遅れでもいいや!。
そうだ、カラオケに「一調」とか「一管」があるならやってみてもよいぞ、でも、わが能力で謡えるかなあ。
まあ、あるわけないよなあ、需要が少なすぎて。
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